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21.※神殿ではお静かに

「つまり、彼の噂のせいで、君の留学生活にも影響が及んでいるということかな?」


 静かに話を聞いていた神官長は、シェリルの話を要約した。シェリルは勢いよく「そうなんです!」と頷く。


「この国で私の世話をしてくれているのはジェイミーですが、一緒にいると私までおかしな噂に巻き込まれてしまって。思うように交流が出来ません。このままではわざわざ留学した意味が無くなってしまいます」

「世話役を変えることは出来ないのかな?」

「手遅れです。周囲には完璧に避けられるようになってしまいました」

「なるほどね」


 神官長は緩慢な動きで頷いた。そしてシェリルの目をまっすぐ見据えて、緩やかに目を細めた。


「今しか見えていない者にとって、この世とは非常に息苦しい場所だろう。だから、目に見えるものだけに囚われてはいけないよ。この世界には不変なものなど何一つ存在しないのだからね。他人の噂も、同じことだ。噂とは、にするにはあまりに頼りないものだよ」


 諭すような神官長の話に、シェリルはまともに聞き入りそうになった。しかしすぐに我に返り、首を横に振る。


「私には時間がありません。祖国に帰らなければならない日が、刻一刻と迫っているんです。そこで神官長さまに一つお願いがございます」


 鬼気迫るシェリルの様子に、神官長はなるほどと柔らかい笑みを浮かべた。


「そのお願いが、本題なのか」


 話してみなさい、と、神官長は視線で促した。シェリルは背筋を伸ばして話を続けた。


「ジェイミーの噂は真っ赤な嘘なのだという手紙を一通、したためて欲しいのです」


 神官長は興味深げにシェリルの顔を覗きこむ。


「それは誰に送る手紙だい?」

「神官長さまに決めて頂きたいのです。社交界で最も影響力のある女性を一人、ご存じではないですか?」


 シェリルの言葉に、神官長は予想外だというように目を見開いた。


「面白いことを言うね」

「女性の噂話というものは、瞬く間に広まりますから。神官長さまがジェイミーの噂を嘘だと仰れば、悪い噂はすぐになくなるはず。私に対する扱いも、きっとよくなると思うんです」


 神官長は静かに目を閉じてしばらく考えに沈んでいたが、やがて、ゆっくりとした動きで首を縦に振った。


「分かった。手紙を書こう」

「ありがとうございます!」


 シェリルは思わず声をあげて立ち上がった。神官長は呆れた顔でシェリルを見上げる。


「大きな声を出すのはやめなさい。ここはアクラブ神の住まう御殿ですよ」


 静かにたしなめられて、シェリルは頬を赤らめ椅子に座り直した。


「すみません……」

「一つ確認したい。噂の内容は、本当に根も葉もないものなんだね?」


 完全に空気と化していたジェイミーは、神官長に問われてすかさず姿勢を正した。そして万感の思いを込めて首を縦に振る。


「はい。身に覚えのない話ばかりです」

「それなら問題はない。一通くらいなら、書いても構わないよ」


 そう言って、神官長は立ち上がり部屋を出ていった。しばらくして便箋や封筒、封蝋印などを持って戻ってきた。


「それで、何と書いて欲しいのかな?」


 神官長はシェリルに笑顔を向け、尋ねる。


「ジェイミーに関する噂は嘘であることと、そのせいで彼が困っていること。真実を広めるために、手を貸して欲しいという旨を記して下さい」


 シェリルの言葉に、神官長はゆっくりと頷き、ペンをとった。






「では、サルガス公爵夫人にこの手紙を送りなさい」


 手紙を書き上げた神官長は、封をしてシェリルに封筒を差し出した。シェリルは意気揚々と手紙を受け取ろうとして、冷ますだけ冷まして結局一度も口をつけなかったカップに腕をぶつけた。カシャン、と控えめな音がして、机の上に置いてある予備の便箋や封筒にどんどん紅茶が広がっていく。


「きゃーー!」

「わーーー!」


 シェリルとジェイミーは真っ青になって、同時に立ち上がった。神官長はとうとう大きくため息をつき、呆れたように首をふった。






「落ち着きとは一種の礼節ですよ。特に神の身心に触れることのできるこの場所では、穏やかな気持ちを保つということが一体どれだけ重要か――」


 遂に本気の説教をはじめた神官長の前で、シェリルとジェイミーは小さくなり「はい……はい……」と何度も頷いた。こぼれた紅茶を片付けていたアンディは、気の毒そうな視線を二人に向ける。際限なく続く神官長の説教を受けどんよりとうつむいている二人に、アンディは救いの手を差し伸べた。


「神官長さま。そろそろ礼拝の準備をはじめなければなりません」


 アンディの言葉に神官長は渋々、永遠に続くかと思われた説教を切り上げた。シェリルとジェイミーはアンディに向けて全力で感謝の念を送る。伝わっているのかいないのか、アンディは苦笑したまま紅茶の残骸を手に部屋を出ていった。


「では、これを」


 疲れたような声で、神官長は手紙を差し出した。シェリルが手紙を受け取り、ようやくすべての事が終わる。三人は何故だか分からないが、同時にホッと肩の力を抜いた。


◇◇◇


 応接室を出て逃げるように出口へ向かう二人を、アンディが呼び止めた。


「あ、ちょっと待ってください」


 焦ったように近付いて来るアンディの手を、シェリルはすかさず両手で握りしめる。


「アンディ! さっきのあなたの優しさ、とっても心に染みたわ。アクラブ神もあなたの行いをきっと見ていらっしゃるはずよ。あなたに神の導きがありますように!」


 シェリルは全身全霊でアンディに感謝の気持ちを伝える。あまりの勢いにアンディはひきつった笑みを浮かべた。


「どうやら信仰を持って下さったようで……嬉しいです」

「私も嬉しいわ! 親愛のしるしに抱擁してもいいかしら!」


「やめてやれ」


 ジェイミーはシェリルをアンディから引き剥がした。完全に勢いに押されていたアンディは、戸惑いつつもシェリルに小さな鐘を差し出した。


「これ、寄付して下さったので差し上げます。さすがに四百個も用意出来ませんから、一つだけですが」


 アンディの差し出す鐘を受け取ったシェリルは、金色に輝く鐘の表面に"シェリル"と彫ってあるのを見つけた。


「綴りはそれで合ってますか?」


 にっこりと微笑むアンディに向けて、シェリルは静かに両手を広げる。


「やっぱり抱擁を」

「それだけはご勘弁を!」


 逃げるアンディをシェリルが追いかけ、それを止めようとジェイミーも二人を追いかける。結局、騒がしいことに気付いた神官長に、三人まとめて説教されることになってしまったのだった。

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