20.神官長
――今から約三百年前。
後のアンタレス国となる土地は、元々アレースという男が統治していた。アレースは相当な喧嘩好きで、毎日周囲の国に戦争を仕掛けては、自らの所有地をどんどんと拡大していた。アレースの親友、ハデスは、死者の弔いを生業とする葬儀屋である。アレースのおかげで自分の仕事が繁盛することに感謝しつつも、本来温厚な性格のハデスは、日々増えていく戦死者に心を痛めていた。
ある日アレースの元に、自らをアンタレスと名乗る勇者、アクラブがやってくる。いつ襲われるかと怯えている人々の代わりに、アレースを倒しにやってきたのだ。
二人の戦いは互角だった。果てなく続く戦いにアレースは早々に飽き、親友のハデスにこう提案した。アクラブに毒を盛って、殺してくれないか、と。ハデスはその人柄で、アレースの親友でありながらアクラブからも信頼されていた。だからハデスの差し出した毒入りの水を、アクラブはまんまと口にして地面に伏した。ようやく果てのない戦いが終わったとアレースが喜びの声を上げたとき、毒にやられたはずのアクラブは立ち上がり、油断していたアレースの心臓を剣で突き刺した。
ハデスは、アレースを裏切ったのだ。あらかじめさそりの毒が入っていることをアクラブに告げ、アクラブはその水を飲むフリをした。そして油断したアレースの不意を突いて、戦いに勝利した。
勝利したアクラブは、アレースの統治していた土地をアンタレス国として、建国の王となった。父を失ったアレースの息子には、公爵という地位を与えた。親友を裏切ったとはいえ、アクラブの手助けをしたハデスには、伯爵の地位を与えた。
代々国王はアレースの一族を側近に置いていたが、いつしか復讐を恐れ彼らを遠ざけるようになった。そして裏切り者として静かに暮らしていたハデス一族は、そのしたたかさで王家に近付き、今では名門貴族と呼ばれるまでに名を上げた。
「アレースにとってハデスは裏切り者ですから、お互いに決して相容れないというわけです」
「でもそれって、三百年も前の話でしょう?」
礼拝堂の椅子に腰掛け、アンディの話を聞いていたシェリルは納得できないと眉をしかめた。その様子を見た神官は、貫禄ある雰囲気を漂わせながら静かに言った。
「三百年も前の話だからだよ。堅苦しい史実なんて、ほとんどの人間は気にしない。今は確執だけが残っているんだろう」
そんなものかと、シェリルは渋々納得する。
「アレース公爵家の長男はジェイミー様と同い年なんですよね。軍学校に入学した年は大変だったと神官様に聞きました」
アンディが無邪気な笑顔で持ち出した話題に、シェリルの隣に座っているジェイミーは苦い顔をした。
「それじゃあ、アレース公爵の息子も国軍にいるの?」
「いや、途中で学校を辞めたから、軍にはいないよ」
シェリルの問いに、ジェイミーは妙にうしろめたそうな声で答えた。神官は気の毒だと言いたげに嘆息する。
「あの頃は可哀想だったねぇ。何から何まで二人は比べられて。成績に足の速さ、挙げ句の果てに身長まで。まだ八歳の子供だったのに」
神官はそう言って、気遣わしげな目をジェイミーに向けた。
「ジェイミー、私はずっと気がかりなんだ。お前は父親の言うことを真面目に聞きすぎる。ギルバートも最近は好き勝手にやっているようだし、お前ももう少し自由に生きてもいいんじゃないのかな」
「案外自由に生きてますから、大丈夫ですよ」
ジェイミーが困り顔で言ったので、神官はそれ以上は何も言わなかった。
シェリルは段々と、気付きはじめた。自分が本来の目的を忘れていることに。なぜだかジェイミーのルーツを語り合う展開になっているが、ここは早急に軌道修正せねばなるまい。
「あの、私、この神殿に寄付したいのですが」
唐突に切り出したシェリルに、重い空気をかもし出していたジェイミーと神官は同時に目を向けた。アンディは状況が分かっているのかいないのか、ずっとにこにこ笑ったままである。
「それなら、鐘を買って頂くことになりますね。一鐘50カロンです」
愛想よく言ったアンディに、シェリルは先程ジェイミーが用意した二万カロンを差し出した。アンディと神官はシェリルの持っている袋を見て目を丸くする。
「あれまぁ。随分な大金だ」
呆然と呟く神官。アンディはシェリルから袋を受け取り、中身を確認する。そして驚いたように神官を見た。
「神官様、これ全部金貨ですよ」
「シェリルさん。あなたはアクラブ神への信仰は無いんだろう? 寄付はありがたいが、なんでまたこんな大金を?」
シェリルは大げさにため息をついて、見るからに困窮しているという顔をしてみせた。
「実は私、ある悩みを抱えていて。出来ればこの神殿の神官長さまに、導きの言葉を頂きたいんです」
シェリルの言葉に、神官とアンディは顔を見合わせた。
「それは、私ではダメなのかな? 神官長はこの神殿で一番高名なお方なんだよ」
「存じています。だからお言葉を頂きたいのです」
「申し訳ないけど、信者でない君が神官長に会うというのは難しいな」
「では、そちらの寄付は無かったことに」
そういってシェリルは、大金の入った袋を持っているアンディに手を差し出した。静かに話の行く末を見守っていたジェイミーは、ぎょっとした顔をシェリルに向ける。
「我々は商人ではありませんよ」
アンディがたしなめるように言った。シェリルはにっこりと悪気のない笑顔を浮かべて、アンディの持っている袋を指す。
「二万カロンですよ」
シェリルの言葉に、神官とアンディは困ったような視線を交わした。
◇◇◇
「こちらでお待ちください」
シェリルとジェイミーは、何やら神々しい雰囲気が漂う応接室のような場所に通された。並んで座る二人の前に紅茶を並べたアンディは、やっぱり愛嬌のある笑顔を浮かべつつ部屋を出ていった。
「金で聖職者を脅すなんて」
ジェイミーが微妙な表情で呟く。シェリルはカップを持って湯気を吹きながら、呑気に笑った。
「脅したんじゃないわ。取引したのよ」
ジェイミーは色々諦めたようにため息をつき、カップに口をつけた。
しばらくして部屋の扉が開き、荘厳な雰囲気をまとった神官長が現れた。ジェイミーが立ち上がったので、シェリルも同じように立ち上がる。神官長は二人を一瞥すると、にこりともせず口を開いた。
「構わないから、二人とも座りなさい」
神官長は無表情で言ったあと、二人の向かいに腰を下ろす。そして冷々とした視線をジェイミーに向けた。
「君はハデスのとこの息子か。とうとう父親に習って、私を金で買収しようとしているのかな?」
険のある声色で放たれた神官長の言葉に、部屋の空気が凍りつく。これはまずいと察したシェリルは、慌てて声をあげた。
「あ、あの、違うんです。ジェイミーは私の付き添いで、私をここに連れてきてくれただけで……」
必死に誤解を解こうとするシェリルを、神官長は何の感情も含まない表情で眺めていたが、しばらくしてふっと笑みを浮かべ、クスクスと笑いはじめた。
「落ち着きなさい。冗談だよ」
穏やかに笑う神官長。シェリルとジェイミーは神官長の変化に着いていけず、固まったままだ。そんな二人に構わず、神官長は用意されていた紅茶に口をつけた。
「むしろ君にはそれくらいの気概を持って欲しいものだね。行儀の良すぎる者は時々とんでもないことを仕出かすものだ」
そう言ってフフフフと不敵に笑う神官長を前に、ジェイミーとシェリルは無理矢理笑顔を浮かべて見せた。
「それで、シェリルさんと言ったか。二万カロンもかけて私に話したい悩みとは一体何なのかな」
何もかも見透かすような瞳で問われて、シェリルは慌てて表情を引き締めた。




