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1.噂の変態、ジェイミー・ウィレット

 天高く突き抜けるような夜空は、輝く無数の宝石をちりばめている。白銀に染まりつつある山岳を無視して、王宮は色とりどりの花で彩られた。きらびやかなドレスが会場を埋め尽くす。耳に心地いい音楽が、人々の心を踊らせる。そして彩り鮮やかな花々の香りが、紳士淑女の出会いを後押ししている。


 アンタレス国では今宵、国王主催の舞踏会が開かれていた。


「見て! ジェイミー様よ」


 真っ赤なビロードカーテンの影から会場を覗いていたメイドのアニーは、扉近くに立っている警備の騎士を見て頬を染めた。


「どちらがジェイミー様ですか?」


 アニーの後ろから同じように会場を覗いているメイドのシェリルは、二人の騎士を交互に見て首を傾げた。アニーが一方の青年を指し示す。その凛としたたたずまいを見て、シェリルはほぉー、と感心した。


「わぁ、素敵ですねぇ。でもほら、お隣も負けてませんよ」


 シェリルの感想に、アニーのキラキラと輝く瞳が一瞬で曇る。


「まあね。でも、性格が頂けないわ」


 何か事情がありそうだ。聞けば面倒なことになりそうなので、あえて触れないでおくことにする。


「ジェイミー様はね、殿下の婚約者であるリリー様のお兄様なの。しかも歴史あるハデス伯爵家の、次期当主なのよ」

「へぇ、すごい方なんですねぇ」


「アニー! シェリル!」


 突然背後から怒声が飛んできた。アニーとシェリルは恐る恐る振り返る。


「げ」


 アニーは思わずそう漏らした。そこには、腕を組んで鋭い眼差しをこちらに向けた家政婦長が立っていた。


「こんなところで覗き見なんて! さっさと厨房に戻りなさい!」

「はーい」


 王宮メイドのささやかな楽しみは、これにて幕引きとなった。


◇◇◇


「ジェイミー様、今日も舞踏会には参加なさらないんですか?」


 肩を落とした令嬢を前に、ジェイミーは曖昧に頷いて見せた。


「残念ながら、任務なので。お気になさらず楽しんでください」


 令嬢が立ち去る様子を静かに見届けていたら、隣に立っているニックが皮肉っぽい口調で話しかけてきた。


「何が残念ながらだ。隊長に必死に頼み込んでたくせに」

「声がでかい」


 ジェイミーはギクリと顔を強張らせ、キョロキョロと辺りを確認する。ニックはやれやれとわざとらしく首を振る。


 事の発端は、ジェイミーの婚約者の浮気である。

 浮気を告白された日のことだ。泣いて謝る婚約者をジェイミーは「全く気にしていない」と言って慰めた。結果、ビンタを食らいそれと同時に二人の関係には終止符が打たれた。あっという間の展開に首を捻ったものの、ジェイミーは彼女を引き留めたりはしなかった。だが彼女はそれが不満だったらしい。腹いせにジェイミーに関するありもしない話をふれまわった。ジェイミーは妹に手を出しているろくでなしだとか、婚約した途端豹変する変態だった等々、それはもう散々なものだ。


 社交界の醍醐味(だいごみ)と言えばスキャンダル。よって現在、社交の場はジェイミーの噂話で持ちきりなのである。


 さすがに堪えたジェイミーは、今期参加予定だった舞踏会にほとんど参加しなかった。ほとぼりがさめるまで身を隠すことに決めたのだ。ただ、国王からの招待である王宮舞踏会は、臣下である以上軽々しく断ることは出来ない。そこで隊長に必死に頼み込み、舞踏会当日に警備の任務を入れてもらうことで致し方なく不参加という体をとった。だが結局、騎士隊の持ち場は舞踏会場だったので全く意味がなかった。


「あーあ、お前のせいで俺まで巻き添えだよ」


 ニックは人々の視線を鬱陶しそうにしながら不機嫌にぼやく。


 ニックはジェイミーの同期である。軍学校の寮が同室だったのがきっかけで知り合い、以来二十三歳になる現在まで何だかんだと腐れ縁は続いている。ご自慢の赤毛を頭の後ろで一つに縛っているニックは、琥珀色の瞳に非難の色を滲ませてジェイミーを睨み付けてきた。ジェイミーはその視線に気付かぬフリをしながら肩をすくめた。


「舞踏会でこんなに注目されることは滅多にないぞ。俺のおかげで貴重な体験ができたな」


 ニックはジェイミーの言葉を鼻で笑った。


「さすがだな。俺には不快なだけの視線も、お前にとっては一種のお楽しみと化すわけだ」


 途端に、ジェイミーの表情はうつろになった。ニックは悪びれることなく言葉を続ける。


「お前は知らないかもしれないけど、最近の噂はもはやジョークみたいになってるからな」


 ジェイミーは言葉を返すことをせず、開け放たれたテラスに視線を移した。


「あ、流れ星」


 現実逃避をはじめたジェイミーを無視して、ニックは続ける。


「そうだな。例えば、小さい子供が異常に好きだとか、かと思えば熟女趣味で未亡人に執着してるとか。そうそう、この間聞いた話なんか祭壇でのプレイが趣味で神官と……」

「あー、まてまてまて」


 ジェイミーは光の早さで現実に舞い戻り、ニックの言葉を制止した。


「そんな奴、俺だって近づきたくない」

「悲観することはないさ。今やお前はタブーに挑む勇者だと讃えられつつある」


 ジェイミーはうんざりした気分で天井を仰ぐ。


 噂話なんて、すぐに収まるものと思っていた。はてさてどうしたものかとジェイミーが頭を悩ませていると、一人の男が片手を差し出してきた。


「ジェイミー、久しぶりだね」

「あ、ああ。ギルバート、久しぶり」


 ジェイミーは慌てて愛想笑いを浮かべ、握手に応えた。ギルバートは意味深な笑みを口元にたたえながら言った。


「元気そうで何よりだ。ここ最近見かけなかったけど、どこで何してたんだい?」


 ジェイミーは自分の顔に張り付いた笑顔がひきつらなかったことに心底安堵した。

 ギルバートはジェイミーの噂話を積極的に盛り上げている中心人物だ。白々しくも舞踏会に参加しない理由を尋ねるギルバートの表情は、実に意気揚々としていた。


 遠巻きにジェイミーの様子をうかがっていた男たちが、次々と声をあげる。


「まさか陛下の招待まで断るとはね」

「いつまで逃げ回るつもりなんだ?」

「実の妹に手を出したって話、詳しく聞かせろよ」

「あれ、男にしか興味がないんじゃなかったっけ」

「気を付けろギルバート。あんまり近寄ったらお前も襲われるかもしれないぞ」


 男たちの援護を受けて、ギルバートはニヤリと笑みをこぼす。


「ああ、ローズと別れたのもそれが原因だったっけ? 難儀だねジェイミー。ウィレット家の将来は大丈夫?」

「問題ないよ。根も葉もない噂だ」

「ふーん。まぁ、この場ではそういうことにした方がいいのかな」


 ギルバートはそう言って周囲に視線を移した。皆ヒソヒソと何かを囁きあっている。どんな言葉が交わされているのかは想像に難くない。


 そのとき、ジェイミーの隣にいるニックが小さく舌打ちした。ギルバートは興味深げにニックの方へ視線を移した。


「失礼、仕事の邪魔だった?」

「自覚があるならとっとと失せてくんねーかな」


 ぶっきらぼうに吐き捨てるニック。ギルバートはわざとらしく面食らったような顔をする。


「君、あのニック・ボールズだろう。いくら教養が無いといっても、国に仕える身なら必要最低限の礼儀は身に付けて欲しいものだな」


 ニックはフンと鼻を鳴らす。


「下世話な噂話で盛り上がるのが金持ちの礼儀だってのか? お前らさ、高貴なお貴族様ならもっとこう、品のある嫌がらせをしてみせろよ」

「嫌がらせだって? まさかとは思うが、この僕に喧嘩を売ってるのか?」


 ジェイミーは慌ててニックとギルバートの間に入った。

 だがそんな行動が、この場で何の役に立つだろうか。


「どけよジェイミー。そいつは喧嘩を買うって言ってんだぜ」


 ニックは指をボキボキ鳴らしながら、間に立つジェイミーを無視してギルバートに近づこうとしている。


「ギルバート、まだ挨拶が残ってるんじゃないか? ここは気にせず行ってくれ」


 ジェイミーは渾身の助け船を出港させた。しかしギルバートはその場を動こうとはしなかった。


「恩でも着せようってのか? 余計なお世話なんだよ」


 ニックに詰め寄られてびびっているくせに、ジェイミーの言うことを聞くのはしゃくに障るらしい。ジェイミーはギルバートの説得を諦め、ニックに向き直った。


「ニック、ここで騒ぎを起こしたらまた隊長に大目玉を食らうぞ」

「今朝のことだが、机につまずいて隊長がやってた完成間近のパズルをバラバラにした。そろそろバレる頃だから、どっちみち大目玉は食らう。大丈夫だ」

「どこがどう大丈夫なんだよ」


 ジェイミーの制止を聞かず、ニックがギルバートの胸ぐらを掴もうとしたそのとき、騎士隊の同僚の一人が会場に現れた。そして何やらばたばたと慌ただしくジェイミーたちのもとに駆け寄ってきた。


「ジェイミー、ニック、隊長が呼んでるぞ」


 ジェイミーは天の助けとばかりに大げさに頷く。


「あ、ああ、わかった。じゃあギルバート、そういうことだから」


 ギルバートはしばらく物言いたげにジェイミーのことを睨みつけていたが、ひとつ舌打ちして、大人しくその場を去った。遠巻きに様子をうかがっていた人々もゆっくりと会場に散らばっていく。


「何かあったのか?」


 怪訝な顔で辺りを見回す同僚に、ジェイミーは苦笑いを返す。そしてこのタイミングで呼び出してくれた隊長に、心の底から感謝した。

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