17.アンタレス国の奇跡
まるで砂糖菓子みたいな、キラキラした少女が立っている。シェリルは駆け出そうとしていた足をとっさに止めた。使用人として働いていたとき、先輩メイドに必ず覚えろと叩き込まれた覚えがある。彼女は確か。
「リリー」
ジェイミーが気まずい声色で口にした名前で、シェリルは自分の記憶に確信を持った。彼女は王弟ウィリアムの婚約者で、ジェイミーの妹だ。
リリーはチラリとシェリルに目を向けると、膝を曲げて挨拶した。リリーに見惚れていたシェリルは我に返り、慌てて挨拶を返す。
「兄さん、ちょっと」
リリーは愛らしい容姿に似合わず冷たい口調で、人差し指をちょいと曲げジェイミーを呼んだ。ジェイミーは躊躇いながらもシェリルの腕を離し、「いいか、この場所から絶対離れるなよ。絶対だぞ」と逆に離れた方がいいのかと勘ぐってしまうくらい念入りな言葉を残してリリーと去っていった。少し離れた場所で話し込む二人を眺めつつ、初めて間近で見た国内随一の美少女に、シェリルは謎の感動を覚える。
「アンタレス国の奇跡……」
そう呼ばれるのも納得の美しさだ。一人感動しているシェリルの隣で、ウィルが刺々しい声をニックに向けた。
「ニック、隊長が探してるぞ。こんなところで何やってるんだよ」
「ジェイミーの監視に貢献してるんだ。お前こそ何やってるんだ」
「リリーがジェイミーと話があるっていうんで、付き添いを」
ウィルがどことなく暗い表情になったので、ニックは片眉を上げた。
「なんだ。またジェイミーの噂に巻き込まれたのか?」
「いや、家の話だよ。ウィレット家のね」
「ふぅーん……」
興味なさげに相槌を打ったニックは、突っ立ったままのシェリルに手招きした。
「シェリルちゃん。こっち」
そう言ってニックは自分の隣を叩く。シェリルは大人しくニックの隣に座った。ウィルがその向かいに腰掛ける。
「悪いね。さっきの話、全部嘘なんだよ」
「そうなの?」
ニックが平然と明かした事実に、シェリルは不満顔を浮かべる。悪いと言っているニックは反省の色が微塵も見えない。ようやくはめられたことに気付いたシェリルは、折角慎重に行動していたのに努力が水の泡だと嘆息した。
「本気で何とかするつもりだったのか?」
「当然よ」
「君、アケルナー国に反すること以外なら何でも引き受けるんだっけ」
「……うん」
確認するようなニックの言葉に、シェリルは躊躇いがちに頷いた。確かにそんなことを言った覚えがある。ニックはニヤリと笑って、シェリルの方に体を向けた。
「本当に何でも引き受けるの?」
「……うん。まぁ、常識の範囲内でね」
一応、付け加えておく。警戒して椅子の上を後ずさるシェリルをニックは面白そうに眺めている。そうして綺麗に口角を上げたまま、シェリルとの距離をつめた。
「じゃあさ、悪い噂を消したりも出来たりするの?」
予想していたような話ではなかったので、シェリルは目を丸くした。
「噂?」
思わず聞き返したシェリルに、ニックはしっかりと頷く。
「そう、噂」
「え、噂に悩んでるの?」
「そう、あいつがね」
ニックの指差す先には、何やら深刻な表情でリリーと話しているジェイミー。
「ジェイミーが?」
戸惑うシェリルに、ニックは耳を貸せと手招きしてきた。
◇◇◇
いつものごとく不機嫌な様子のリリーは、冷めた目でジェイミーを見上げていた。
「あの方は?」
リリーが視線だけで器用にシェリルのことを示す。ジェイミーは頬をかきながら適当な言葉をひねり出す。
「彼女は、アケルナー国からの留学生だよ。今世話役をやっていて……」
「つまりアレース公爵家の舞踏会を都合よく断れる仕事を手に入れたってわけね」
何でもお見通しという顔で言ったリリー。ジェイミーは複雑な気持ちで相変わらずな妹を見下ろした。
「なんだよ。わざわざ嫌味を言うためだけに会いに来たのか?」
「お母様が療養地に移動なさるわ。明日よ」
突然本題に入ったリリーに、ジェイミーは返す言葉を一瞬失った。
「……悪いのか?」
「かなりね。今年は雪が早いそうだから、念のため今のうちにレサトの別荘に移動するんですって」
リリーは探るような視線をジェイミーに向けてくる。ジェイミーは眉間にシワを寄せたまま黙り込んだ。
「王都を出るところまで、ウィルは付き添ってくれるそうよ。兄さんは? お母様に会いに来る?」
リリーの問いに、ジェイミーは表情を強ばらせた。暫く重い沈黙が流れる。
一向に口を開かないジェイミーの腕に、リリーはパンチを食らわした。ジェイミーは面食らってポカンと口を開ける。
「え、なに今のは」
「冗談よ」
「は?」
「冗談よ」
「……はぁ!?」
澄ました顔で肩をすくめるリリー。ジェイミーは困惑しながらリリーの肩を掴んだ。
「どこからどこまでが冗談だ」
「お母様の体調が優れないってところね。本当は全然元気よ。療養地に行くのは本当だけど」
「たちの悪い……」
ジェイミーはガックリとうなだれ両手で頭を抱えた。リリーは退屈そうにその様子を見つめながら、手元の扇子を弄ぶ。
「でもまぁ、万が一兄さんが顔を出すって答えてたら、お母様は驚いて心臓が止まってたかもしれないわね」
「縁起でもないことを言うんじゃない」
まだショックが抜けきらないジェイミーは、片手で頭を押さえつつ肩を落とした。
「リリー、俺はお前の将来が心配だよ」
「ええ、私も自分の将来が心配だわ。なんと言ったって変態の妹と呼ばれているんだから」
「……」
ジェイミーは再び言葉を失った。リリーはふんと鼻をならしたあと、休憩所で話し込んでいる三人に目を向ける。
「綺麗な人ね」
「え?」
ジェイミーはリリーの視線を辿る。その先には、ニックと話しているシェリルの姿があった。
「ああ、うん」
「あの人にすれば?」
「何が?」
能天気に尋ねるジェイミーに、リリーは苛立った声を上げた。
「兄さん、お父様からの手紙、忘れてるわね」
そういえば、とジェイミーは思い出す。婚約者を探さなければならないのだ。あと三週間もない。
「忘れてた」
「全く! どうなっても知らないから!」
リリーは呆れきった声で言ったあと、ジェイミーの背中をぐいと押した。
「何するんだよ」
「今すぐあの人を口説くのよ。兄さんの持ちうる限りの技術を駆使してね」
「いやいや、彼女はダメだって」
「選り好みしてる暇ないでしょ。国軍が世話する位なんだから大層な身分のはず。おまけにアケルナー国なら政略結婚にも最適だわ。お父様も文句なしのお相手じゃない」
「いや、あの、そう! 彼女はもう既に婚約者がいるんだ!」
ジェイミーの苦しまぎれの嘘に、リリーはピタッと動きを止めた。
「婚約者?」
ジェイミーは何度も頷く。リリーは見るからに残念そうな様子で肩を落とした。しかしすぐに気を取り直す。
「奪っちゃえば?」
「なんだって?」
悪い顔を浮かべる妹を、ジェイミーは二度見する。リリーは楽しそうにクスクス笑いながらジェイミーを見上げた。
「兄さん、『永遠の誓い』って知ってる?」
「知ってるけど」
ジェイミーはおぼろげな記憶をかき集める。『永遠の誓い』は、あちこちの国を巡業している一座の演劇だ。三ヶ月ほど前にアンタレス国でも公演を行っていた。その人気は凄まじく、公演期間は王都が人でごった返していた。
「あの芝居で、主人公がヒロインを婚約者から奪う場面があるの」
「へぇ……」
「兄さんもやってみてよ」
「は?」
リリーはキラキラと瞳を輝かせて手を胸の前で組み、ジェイミーを見つめてきた。完全なる好奇心である。世間一般の例に漏れず、リリーはあの芝居の大ファンなのだ。
「あの話、最終的に駆け落ちするんじゃなかったっけ?」
「ええ。最後は二人仲良く森で死ぬの」
「死っ……」
ジェイミーは顔をひきつらせたあと、冗談じゃないと首を振った。
「駆け落ちも死ぬのもごめんだよ」
そう言って休憩所の方に足を進めるジェイミーを、ガッカリした様子のリリーが追いかける。
「別に駆け落ちしろって言ってるんじゃないってば」
「問題はそこじゃないんだよ」
「じゃあ何が問題なの」
「何もかもだ」
口論しながら近付いてきたジェイミーとリリーに、三人は何だ何だと目を向ける。
「何事だ、兄妹喧嘩か?」
「兄さんが持ち前の事なかれ主義を発揮してるの」
ニックが聞くと、リリーがムスっとしながら答えた。ジェイミーは何とでも言えと諦めて、苦笑いしているウィルの隣に腰掛ける。
「明日はどうする?」
ウィルが小さな声で尋ねる。ジェイミーは忘れかけていた話を思いだし、どんよりとした空気をかもしだした。
「……悪い」
「何で謝るんだよ」
ウィルは困った顔で笑った。それから言葉を選ぶ素振りをしたあと、控えめにジェイミーの肩を叩く。
「何か伝言があれば、伝えるけど」
「……元気でやってるとだけ伝えてくれ」
「わかった」
人のいい笑みを浮かべたウィルは軽快に頷くと、立ち上がりリリーの側に歩み寄った。
「リリー、もういい?」
「あ、ちょっと待って」
ニックに愚痴をこぼしていたリリーは、一人静かに座っているシェリルに笑顔を向けた。視線に気付いたシェリルは慌てて立ち上がる。
「リリー・ウィレットよ。リリーと呼んで下さる?」
「ええ勿論。私はシェリル……ミロノワ。シェリルと呼んで」
握手を交わしたあと、リリーは企むような顔でシェリルに囁いた。
「シェリル、兄さんはあなたに迷惑をかけてないかしら?」
「まさか。よくしてもらってるわ」
「そう。こう見えて兄さんはそこそこ人気があるのよ。もし興味があるなら――」
「やめなさい」
ジェイミーはうんざりとリリーの肩を掴み、シェリルから引き剥がした。
「何よ! 人の話に割り込むなんて無粋よ兄さん!」
「ウィル、頼んだ」
ジェイミーはリリーをウィルに引き渡す。ウィルは苦笑いしつつ、ぷんすか怒っているリリーを連れて休憩所を去っていった。