16.彼女は誰にも止められない
廊下の端。長椅子が平行に置いてある休憩所に、シェリルとジェイミーは向かい合い座っている。ジェイミーの隣にはニックが足を組み座っていて、してやったりという顔をシェリルに向けている。
鋭いというか目ざといというか、とにかくこの赤毛の男は勘がいい。王宮舞踏会の日、アニーが「性格が頂けない」と言っていたのを思い出す。
シェリルが眉根を寄せ考え込んでいる向かいで、ジェイミーはまたもや厳しい表情を浮かべ腕を組んでいた。
「それで? この三日間で仕出かした事は一体いくつあるんだ?」
ジェイミーは低い声で、シェリルに洗いざらい白状するよう促した。
シェリルは微妙に視線を泳がせ、小さな声で呟く。
「何もしてない。そんな暇ないもの。ずっと監視されてるんだから」
嘘をついているかどうか見極めるためか、ジェイミーはシェリルをじっと見つめてきた。その隣で一足早くシェリルの嘘を見抜いたらしいニックは、ニヤリと笑みを浮かべる。そして、妙に深刻なトーンでシェリルに話しかけてきた。
「シェリルちゃん。ジェイミーは気にするなって言ってるけど、実はこの額の傷、思ったより重傷なんだよね」
ニックは神妙な面持ちでジェイミーの額を指差す。シェリルは数回瞬きしたあと、みるみる顔色を青くした。驚いたのはシェリルだけではない。
「ニック、お前何を……」
「いいから任せとけって」
ジェイミーの制止も聞かず、ニックは興に乗った調子でペラペラと語りはじめた。
「こいつは気を遣って言わないが、傷が思ったより深くてね、痕が一生残ると医者に言われたそうだよ。しかも打ち所が悪かったのか、ジェイミーはあの日から定期的な頭痛に悩まされてる。おかげで薬漬けの毎日だ。さらに言うと、この傷のせいで決まりかけてた縁談が全部ダメになった」
シェリルの顔は青を通り越して真っ白になった。
ジェイミーは苦い顔をニックに向けている。
「よくもそんなデタラメを……」
「見ろ。効いてるみたいだぞ」
シェリルは、二人の声が耳に入らないほどのショックを受けていた。まさか自分の軽はずみな行動のせいで、ジェイミーがそれほどまでに迷惑を被っていたなんて。
「ご、ごご、ごめんなさい、ジェイミー」
おろおろと謝罪の言葉を口にしたあと、シェリルは観念して白状した。
「あの、私、昨日の夜、ジェイミーが書類仕事をしてたときに書類棚の中の報告書を盗み見したの」
「書類棚? でもあれには鍵が……」
ジェイミーは言いかけてハッとする。ニックは呆れた顔をジェイミーに向けた。シェリルはこれ以上小さくならないんじゃないかというほど体を小さくした。
枷を抜け脱獄出来るのに書類棚の鍵だけ開けられないはずがないと、とっさに思い至らないのがジェイミーという人なのだ。シェリルはそんな人を騙して怪我を負わせてしまった自分のことを、心底悔いた。
「何の報告書を見たんだ?」
「バート・コールソンについての報告書を……」
「他には何をした?」
「今のところは何も。でも今夜隙があったらバートが捕らえられてた牢をこっそり見に行くつもりだった」
「やけにバートにこだわるな」
「だって、スプリング家を装ってこの国を襲った男だもの」
自分の偽物が気になるのは仕方のないことである。だがそれは数秒前までの話で、現在シェリルを苛んでいるのは申し訳なさと後悔であった。
「あの、私、大変なことをしてしまって……。本当にごめんなさい」
そう言ってシェリルはがっくりうなだれた。ジェイミーは慌てたように声を上げる。
「あ、いや、さっきのは冗談だよ。全部嘘で……」
「いいの。気を遣わないで。何もかも私の責任よ」
「いや、違うんだって本当に」
「傷痕に効く薬を見つけるわ」
「だから……」
「頭痛薬にかかるお金も、負担するから」
「……」
途方に暮れるジェイミーの隣で、ニックは能天気に笑っている。シェリルはというと、一通り落ち込んだあとすっくと立ち上がり、固く拳を握りしめた。
「そうと決まればまず傷薬ね。安心してジェイミー。必ずや私が最高の薬を見つけ出して見せる!」
落ち込んでいる暇があれば行動に移すのがシェリルの流儀である。さっそく己の失態を償おうと廊下を駆け出した。否、駆け出そうとしたが、ジェイミーにその腕を掴まれた。
「まて! 取りあえず人の話を聞け!」
「心配しないでジェイミー。全部私が何とかするから」
「だからさっきのは嘘なんだって!」
「大丈夫よちゃんと合法の薬を探すわ」
「そういう問題じゃなくて」
「ダメになった縁談もなんとかしてみせる! 私が!」
「ニック! お前も見てないで手伝え!」
ニックは悠長に長椅子に腰掛けたまま、ジェイミーの声が聞こえないフリをしている。廊下を進もうとするシェリルと、その腕を掴んで引き留めようとするジェイミー。そんな二人の様子を冷ややかに見つめる影が二つ。
「……何してるの、兄さん」
シェリルとジェイミー、そしてニックは、すぐ側に立っている人物にようやく気付いて同じ方向に視線を向けた。そこには呆れ返った表情を浮かべる少女とウィルが立っていた。