14.ジェイミーとシェリルとバケツと
軍人たちがひしめく食堂で、シェリルは途方に暮れていた。
「へぇー。君がシェリル・スプリング?」
「スプリング家って言うくらいだから、やっぱり仲間は血の繋がった家族なのか?」
「あの……」
次々と質問を投げて寄越す隊員たちに気を呑まれて、シェリルは言葉を返すタイミングを見失う。シェリルの両隣に座っているニックとウィルは、げんなりした顔で男たちを見やった。
「訓練場に迷いこんだ犬じゃあるまいし……」
ニックがぼやくと、周りを囲んでいる隊員の一人が快活に笑う。
「まぁそう言うなよ。ジェイミーはどうしたんだ。監視役はあいつだろ」
「陛下に謁見」
端的なニックの答えに、シェリルを取り囲んでいた男たちは同情するような表情に変わった。
「陛下直々に、ヘマをしないよう念を押されるわけか」
「そろそろジェイミーの胃には穴があくんじゃないか?」
皆口では心配した風に言っているが、その実とても楽しそうである。
「勝手に人の胃に穴をあけるな」
うんざりとしたような声がして、全員の視線が食堂の入り口に集まった。そこには見るからにぐったりとした様子のジェイミーが立っていた。ジェイミーは仲間たちの視線に居心地悪そうな表情を浮かべ、部屋の中に足を踏み入れる。
「陛下はなんて?」
隊員の一人が興味津々でジェイミーに近付いた。ジェイミーはシェリルの向かいに腰かけると、周囲を取り囲む隊員たちをぐるりと見回した。
「何を聞きたい?」
「陛下は弱点を探られてることについてどう思ってんの?」
ジェイミーは何やら気まずげな表情を浮かべシェリルを見た。
「大爆笑していた。伝言を頼まれたよ。『せいぜい頑張れ』だってさ」
シェリルは内心で、舌打ちした。周囲を取り囲んでいる者たちはみな苦笑いを浮かべている。
「陛下も意地が悪い」
「いやでも、無謀なことは確かだろう」
いらついた空気を放つシェリルを前に、ジェイミーは歯切れの悪い口調で言葉を続ける。
「それから、弱点を探られてやるかわりに、シェリルに約束を取り付けるようにと言われた」
シェリルは思わず首を傾げる。
「約束?」
「ああ。今日から自由の身といっても、全くの好き放題とはいかないってことだ」
「例えば?」
「例えば、自由に動き回ることができるのは軍の本部だけ、とか」
ジェイミーの言葉に、シェリルはそんな馬鹿なと笑ってしまいそうになった。シェリルの提案は、この国で自由に生活できるようにというものだった。一旦受け入れたと言っておきながら、そんな条件を提示するのは卑怯というものである。
「嫌だと言ったらどうなるの?」
「シェリルが本部以外の場所で何かすれば、責任は監視役の俺が負うことになる。だから俺としては、受け入れてもらう他ない」
何と卑劣な。高笑いするローリーの姿が目に浮かぶようだ。
「…………わかった」
シェリルはたっぷりの沈黙のあと、首を縦に動かした。
シェリルの返答に、ジェイミーは唖然としていた。回りを囲む隊員たちも、シェリルの意外な決断に息を呑む。
「本当に? いいの?」
「ええ、いいの。他には?」
彼の後ろめたそうな表情からして、まだ他にもローリーから言付かっていることがあるのだろう。これ以上あと出しはごめんだと、続きを促す。ジェイミーは困惑しつつも、話を続けた。
「寝泊まりは兵舎でしてもらう」
「わかった」
「外出が必要なときは、俺が監視として付いていく」
「わかった」
「日中は常に、俺の目の届く所にいてもらう。例えば訓練中は訓練場で大人しくしてもらうし、事務仕事のときは同じ部屋にいてもらうことになる」
「ええ、わかった」
ジェイミーは突然、黙り込んだ。
シェリルは妙な視線を感じて、周囲に視線を巡らせる。
「あの、皆どうかした?」
「君さぁ、ジェイミーに何か弱味でも握られてんのか?」
ニックが尋ねてきた。
シェリルがジェイミーの言うことを素直に聞くのは、今にはじまった事ではない。シェリルは努めて、騎士隊の隊長には反抗的な態度をとり続けている。しかしジェイミーに対してはいつも及び腰である。そしてそのことを、隊長とジェイミーが不思議に思っていることを、シェリルは何となく察していた。
とうとう白状するときが来たかと、シェリルはうなだれて、手元を見つめながら口を開いた。
「その……傷のことが……」
そう言って、自分の額を指差して見せる。ジェイミーは何度かまばたきをしたあと、呆れ返ったような顔をした。
「ひょっとして、まだ気にしてるのか?」
ジェイミーの額には、斜め一直線に切り傷がある。それは間違いなく、正真正銘、廊下でシェリルがずっこけたせいで刻まれたものである。
「君、あのときのメイドか」
ウィルが呆然と呟く。廊下ですれ違ったメイドとシェリルのことが、今ようやく一致したらしい。
「何、どういうことだ?」
あの場にいた四人以外には読めない話に、隊員たちは困惑している。ウィルが事の顛末を簡単に説明する。
その隙に、ジェイミーは途方に暮れたような顔でシェリルに話しかけてきた。
「気にするなって何回も言っただろう。正直もう忘れてたくらいだし、この傷の治りが遅いのは扉にぶつけすぎたせいで……」
訳のわからない気遣いをはじめたジェイミーを、シェリルは申し訳ない気持ちで見つめる。
「わざとだったの」
ジェイミーはきょとんと、目を丸くした。
「わざと?」
ジェイミーが聞き返した。シェリルはひとつ頷くと、あの日の自分の思惑を洗いざらい白状した。
――アニーからスプリング家の話を聞いたあの日。
シェリルは焦っていた。何者かがスプリング家を名乗っている。それがシャウラ国であればなお悪い。早急に手を打たねばと考えていたら、運良くジェイミーとすれ違った。
スプリング家を名乗る男の尋問を担当しているジェイミー。接点を持てば情報を仕入れやすくなると考え、自らトラブルを起こした。
あの日、自分が早まったことをしたという自覚がシェリルにはある。慎重さを欠いていたと言われればそうだと答えるだろう。ただ、人の性格は自覚しているからと言って変えられるものではない。シェリルは昔から、考えるより先に行動に移してしまうのだ。
想像以上に事が大きくなってしまったのは言うまでもない。クビになりそうになった自分をかばった上に高熱を出して倒れたジェイミーに対し、シェリルはずっと罪悪感を感じていた。結果、額にある傷が目に入る度に良心の呵責に悩むこととなった。
話を終えて、シェリルはうつむく。怒鳴られても仕方がないと体を縮めて身構えていたのだが、待てど暮らせど、嫌味も舌打ちも聞こえてこない。
シェリルは眉をひそめ顔を上げる。向かいに座っているジェイミーは、笑い出したいのをこらえるような、そんな顔をしていた。
「器用なんだか、不器用なんだか……」
そう言って、子供に言い聞かせるような口調で言葉を続けた。
「君はもっと他に、気にしないといけないことがあるんじゃないのか?」
シェリルは何も言い返せなかったが、あの日の事を白状したことで、胸のつかえがひとつ、とれた気持ちがしていた。




