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さそりの心臓はダイヤモンド  作者: パプリカ剣士
ローリー・ハートの華麗なる成長記録
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7.華麗なる婚活

 メアリーと結婚してから、あれほど逆立っていたマシューの神経は驚くほど穏やかになった。神だ何だと崇められるような人間の近くにいたせいか、マシューは知らず、際限のない成功がなければ満足できないものなのだと思っていた。しかし自分は案外、簡単なことで幸せを感じられる人間であった。今朝出がけに妻が頬にキスしてくれたが、その事実を報告書にして提出したいくらいである。誰に、とは言わない。


「結婚はいいですよ」


 間違いなくこの先のアンタレス国の歴史を変えると言われている会談を終えてすぐ、マシューはしみじみと呟いた。要人との食事会に参加するため、息つく間もなく従者に着替えさせられているローリーは、苛ついた顔を向けてきた。彼にこういう顔をさせられることは滅多にない。愉快だ。


「結婚はただの契約だ。それ自体が良いものなわけじゃない」

「理屈じゃないんですよ、こういうのは」


 マシューは生まれて初めてローリーに勝つことができたような気がして、少々、横柄になっていた。ローリーは従者に髪を整えられながら、ぼそっと呟いた。


「やっぱり、アンナと結婚するべきだったかなぁ」


 アンナとは、ローリーが二十三歳のときに結婚しようとしていた女性である。元々、幼少期から結婚相手の候補にあがっていた人だった。重要な貿易国の、第三王女であり、何人かいた候補の中で一番条件がよかった。

 そして彼女はとても真面目で純粋な人だった。ローリーとの婚約が決まったあと、世間からふさわしくないとか王妃は務まらないとか裏があるとか散々言われても、ひたむきに努力する人だった。しかし能力から容姿から幼い頃のささいな失敗まで、ときには身内からもけなされてしまう始末で、婚約して一ヵ月とたたず心身に異常をきたしてしまった。

 ローリーは、この騒動の原因は彼女ではなく自分だと分かっていたので、すぐさま婚約を解消した。それすら彼女の責任だと人々は責め続け、しばらく収集がつかなかった。

 ローリーの結婚相手は、攻撃されることを避けられない。そう理解した王家は、もう最初から世間に嫌われてしまっている、悪魔の娘と呼ばれるほどの悪女をローリーにあてがった。マシューは彼女と話したことがあるが、本当に悪かった。思考回路が端から端まで邪悪だった。彼女は他人にバッシングされることなど恐れない。王妃という立場を得るためならどんな悪事にだって手を染めると実際にその口で言っていた。死んでもこのチャンスを掴み取ってみせると意気込んでいたが、彼女はチャンスを掴み取る前に死にかけた。陛下を悪から救わねばと息巻いた人々が結託し、彼女を暗殺するための巨大組織を作り上げたのである。ローリーは彼女との婚約を解消した。

 その後もローリーと王家はあの手この手で結婚相手を見つけようとしたがうまく行かなかった。手を尽くしたのち、やっぱり一番最初の相手が一番望みがあったかな、と彼らは原初に立ち戻った。血なまぐさい騒動の数々を思えば、彼女が一番マシだったのでは、と思えてきたのである。


「外交は得意なのに結婚はできないなんて、理解できません。結婚が本当にただの契約なら今ごろ結婚してましたよ、あなたは」

「単純な話だよ、相手がいないんだ」

「言い訳ですね。理想が高いんですよ」

「理想なんて、求めたことは一度もないのに」


 その言葉を聞いた瞬間、マシューは口を閉じた。

 言われてみれば確かに、ローリーは幼い頃から自分の人生を割り切っていた。国のためになることを勉強したし、国のためになる人間と交流し、国のためになる人と結婚しようとした。生物学の教師に夢中になっていたときだって、彼女と恋仲になりたいとは決して言わなかった。

 だが釈然としない。ここまで妥協してなぜ結婚できないのか。


「じゃあ、理想を求めてみれば?」


 マシューの言葉に、ローリーは困惑した表情を浮かべた。


「え?」

「理想がないから上手くいかないのでは?」

「急にそんなこと言われても、困るよ」


 ローリーは本当に困っているようだった。マシューは問題の本質を掴めたような気がして、ふむと頷いた。


「ご安心を陛下。私が必ずやあなたの理想の結婚相手を見つけ出してみせます」


 幸せになると人は、お節介を焼きたくなるものである。


 数日後、ローリーの執務室にとある一団がやってきた。彼らは新進気鋭の学者たちであり、マシューがあらゆる(つて)を駆使して見つけ出した救世主である、はずだった。


「つまり我々は、人の心を読む地図を作る方法を知っています。占いやまじないのたぐいだといぶかる者が多いですが、これはれっきとした科学です。これからいくつかの実験を行い、人が心の底でどのような結婚相手を求めているのか、それを明らかにするための地図を作ります。私は、この実験は必ず陛下のお役に立つと確信しております」


 自分で呼んでおきながら、マシューはこの一団のことをうさんくさく思った。逆にローリーは、やけに積極的な姿勢を見せた。


「いや、驚いたな。私はあなたの著書を子供の頃に愛読していた」

「なんと、ありがたきお言葉。子々孫々に伝えてゆくべき誉れにございます」

「実験はどのように? 私は何をすれば?」

「陛下を実験対象にすることは王家から禁じられております。お手を煩わせることはいたしません」


 一団が帰ったあと、マシューはすぐさま声を上げた。


「本当に彼らに任せるんですか」

「ああ。この実験がうまくいけば、国民にとっても利益になる」

「彼らの持ってきた資料を読みましたか? 研究結果のほとんどが、いかがわしいものばかりです」

「それはこの学問の一側面に過ぎないよ」

「人の心を読むなんて、物理的に不可能です」

「数学的には可能かも」

「いえ、論理的にも不可能です」

「マシュー、数学的な結論と論理的な結論は異なるし、数学的な結論がなければ論理的な結論もないと思わないか?」

「ローリー、お前は自分がもう一人いればよかったと思わないか?」

「哲学的だなぁ」


 数ヵ月後、再びあの一団がやってきた。彼らの差し出した論文を読んだローリーは、感嘆の声を上げた。


「素晴らしい」

「お褒めいただき光栄に存じます、陛下」

「しかし、相関係数の値を間違えている」

「え……?」


 ローリーは笑顔のまま、論文から顔を上げた。


「相関係数だ。外れ値がうっかりまぎれ込んでいる」


 一団が凍りつく。マシューはローリーに耳打ちする。


「どういうことだ?」

「つまり、この実験の妥当性には疑問が残る」

「それはつまり?」

「この論文は未完成だ」


 室内に気まずい空気が流れる。やがて、一団の後ろの方に控えている若者が、膝から崩れ落ちた。


「仕方なかったんだ!」


 室内にいる全員の視線が彼に集まる。一団を取り仕切る研究者は、引きつった声を上げた。


「お前まさか、データを改ざんしたのか?」

「はじめから無理があったんだ! こんなに大規模な実験、数ヵ月やそこらで結果を出せるはずがない。しかし、陛下直々の頼み。あれだけの予算を与えられて結果を出せなければどうなるか……。お前らも同罪だ! 面倒な分析は全部下っ端に押し付けやがって!」


 うわー、と叫びながら、若者は部屋を飛び出していった。

 ローリーは彼が走り去るのを見届けたあと、口を開いた。


「申し訳なかった。どうやら、私のわがままであの青年を追い詰めてしまったようだ」

「いえ、このような機会を頂き、結果を出せず、あまつさえ陛下を欺こうなどと……。どのような処罰も甘んじて受ける覚悟でございます」


 青い顔でうつむく一団に、ローリーは笑顔を向ける。


「いや、謝る必要はない。理想の結婚相手を突き止めるなどという個人的なことは、本来このような大人数で取り組むべきことではないような気がしてきた」


 確かに、と全員が思った。まぁ、言い出したのはマシューなのだが。


 結局、科学に頼る作戦は頓挫した。

 マシューは次の作戦を練った。名付けてロマンス作戦。運命の恋的なものに落ちればローリーも本気を出してあらゆる障害を乗り越えたりするのではないだろうかという仮説に基づき、マシューが選りすぐった未婚女性たちが集う夜会をセッティングした。もはや総当たり戦だ。数が増えれば確率も上がる。

 夜会はつつがなく行われた。ローリーは女性たちと上手くやっていた。上手くいかないのはマシューの作戦だけだった。これは女性が多いだけのいつも通りの夜会だった。よく考えればローリーはあらゆる国のあらゆる女性と交流があった。10,000が10,100になったところで何も変わるまい。

 案の条、夜会が終わったあとのローリーの第一声はこれだ。


「疲れた」


 夜会の開催に尽力してくれたサルガス公爵夫人が、ソファーにもたれてぐったりしているローリーに声をかけた。


「収穫はあって?」

「マシューに聞いてください。自分が結婚したからって、急に私の世話にやる気を出して」

「素晴らしい友情ですこと」


 夫人はローリーの隣に腰掛け、彼の横顔をじっと見つめた。


「あなたに恋をしろと言われたら、それは難しくない提案よ。間違いなく、誰にとってもね」

「では私と結婚してください」

「あははは! それは苦難の道だわね、誰にとっても」

「なぜ皆私の結婚の邪魔をするのか……」

「崇めていたいのよ、神聖な存在として」

「こんなに実用的な人間なのに」

「いっそのこと独身を貫いたら?」

「それでは弟に苦労をかける」


 会話を聞きながら、マシューは考える。ローリーとの結婚が社会的な困難を生むというのなら、社会的な価値観の全く異なる相手を選び出してはどうだろか。つまり、ローリーの地位、名声、容姿、財力といったものがまったく通用しない相手であれば、プレッシャーを感じることはなく、周囲からの批判も的外れに聞こえるのではないだろうか。だが、そんな人間がいるのか。


「いました」


 一ヵ月後の早朝、マシューはローリーの部屋まで行って報告した。まだベッドの上で半分眠っていたローリーは、マシューを一瞥したあと枕に顔を突っ伏した。


「夢なら覚めてくれ……」

「早く起きてください。ナターシャは遊牧民族の娘です。この民族は髭の豊かさで容姿の良し悪しが決まります。そして素手での殺し合いを勝ち抜いた者だけが地位を手にします。さらに妻の数で財力が決まります。つまりナターシャにとってあなたは醜く貧乏な貧民です」

「じゃあ結婚には応じてくれないだろう」

「応じてくれました。彼女の家族に財産を与えることを条件に」

「妻を寄こせって? 無いものは与えられない」

「いえ、牛五百頭です」


 ローリーは枕からゆっくりと顔を上げた。


「それは……ふっかけられてるのか? それとも謙虚なのか?」

「調べます」

「いや、いい。五百頭でも何でも差し出す。俺は結婚する。朝少しでも長く眠っていられるなら何でもする」

「伝えます」


 数週間後、ナターシャから届いたのは断りの手紙だった。衝突を避けるための文言がいろいろと並んでいたが要約すると「必死すぎて引くわ」という内容だった。反論できなかった。

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