2.華麗なる将来
マシューが十二歳になったばかりの頃、弟が産まれた。弟だけれど、彼はブルック家の本物の長男だ。だから皆が喜んで、いろんな偉い人が弟に会いに来て、国王まで弟に祝福の言葉を与えに来た。
国王にひっついてブルック家の屋敷にやってきたローリーは、屋敷の住人にひと通り挨拶したあと、マシューのそばに歩み寄ってきた。
「弟にがいるって、どんな感じ?」
輝く瞳で問われて、マシューは困った。
「産まれたばっかりだから、よく分かんない」
「そっかー。僕ももうすぐ弟か妹ができるんだぁ」
「百万回聞いた、それ」
「名前はもう決めてあるんだ。ジャッキッシュメドラードか、ダンマホッカフリーデシパーマ。ほら、弟か妹か分からないからさ、二つ用意しないと」
「どっちが妹でどっちが弟?」
マシューはローリーの未来の弟か妹に心から同情した。
それから数ヵ月たって、アンタレス国に第二王子が誕生した。小鳥たちがしきりに空を飛び回っていたある春の日、元気な産声が王宮に響き渡った。
マシューはローリーと弟の初対面に同席するという栄誉を賜った。王妃直々の頼みだった。
マシューが王妃の部屋に招かれたことを知ったブルック家は、天と地がひっくり返ったかのような大騒ぎとなった。マシューは髪を切ったり新しく服を仕立てたりしなければならなくなって、ぐったりと疲れた。おまけにテンションが上がっているローリーの相手でさらにぐったりした。
「どんな色が好きなのか、選好注視法で調べようと思うんだ」
「まだ産まれたばっかりだよ。色なんか分からないよ」
「確かに、生後三ヵ月から始めた方が効率がいいって話もある。それにまず、どうやって目を合わせようかな。非対称性緊張性頸反射の影響も無視できない」
「それ何?」
「基質の見極めも重要だよね。まず活発性から調べないと。活発な時間と不活発な時間の割合を……」
「ローリー、あのさ、弟に会ったら抱っこして、ちょっと話しかけて、あとは乳母に任せればいいんだよ。子供は余計なことしない方がいいんだよ多分」
「情動交流こそ重要だってこと? 確かにその通りだ。君は天才だよマシュー!」
応接間でお菓子をかじりながら、マシューは人生に疲れた老人のような気分になっていた。マシューは弟ができたことをこんなに喜べなかったから、はしゃいでいるローリーの気持ちが分からなくて余計に疲れた。
マシューはあまり弟に会わせてもらえない。弟を羨んだマシューが、彼を傷つけると大人たちは考えているのだ。マシューも弟には会いたくなかった。うっかり怪我でもさせてしまったらどうなるか、分かったものではない。
やがて宮仕えの従僕が二人を呼びに来た。マシューは少し緊張した。
「あらマシュー、素敵ね」
部屋に入ってすぐ、ブルック家の人間が必死になって磨いたマシューの容貌を、王妃が褒めてくれた。マシューは自分から先に挨拶するつもりだったから手順が狂ってしまって、頭が真っ白になった。
「母上、はやく」
ローリーが両手を広げて王妃に催促する。王妃は座り心地の良さそうな革張りの椅子に座っていて、彼女の腕にはふわふわの動物の毛皮のようなものがあって、さらにその中に、産まれたばかりの王子が埋まっていた。
「ローリー。よく聞きなさい。この子は母が何時間もかけて必死の思いで産んだ子です。そのことをしっかり頭に叩き込んでおいてね」
「僕だって必死の思いで産まれてきました。だから大丈夫です。何もかも心得ています」
「いいえ、あなたは自分から勝手に産まれてきました。この子はきっとあなたと違って繊細です。だからくれぐれも大切に扱いなさい」
ローリーは王妃の話をほとんど聞いていなかった。毛布ごと弟を受け取った彼は、自分の腕の中に視線を落としこぼれ落ちんばかりに目を見開いた。
「わぁ、面白いですね」
「……何ですって?」
「面白いですね、母上!」
キラキラしたまなざしを向けられた王妃は、嫌な予感がしたのかローリーの方へ素早く両手を差し出した。
「気が済んだでしょう。さぁ、その子を返して」
「弟と一緒に馬に乗ってきてもいいですか? 空間認知能力を鍛えてあげないと」
「ローリー。怒りますよ」
「母上はお疲れでしょうからゆっくり休んでいて下さい。弟のことは僕に任せて。これから賭博場に連れていきます。情操教育は早いほうがいいでしょう」
「マシュー! その子を今すぐ取り上げて!」
マシューは慌ててローリーの腕から王子を奪い取った。ローリーは王妃の命により衛兵にかつぎ上げられ、あっという間に部屋から追い出されてしまった。
「あの……」
マシューは小さな王子を抱きかかえたまま、立ち尽くした。王妃は侍女に扇子で仰いで貰いながら、気を落ち着けるためか何か飲んでいる。
「そこにお座りなさいな」
命じられるまま大きなふかふかの椅子に腰を下ろす。マシューはまだ王子を抱きかかえていた。うぶ毛みたいな髪の毛は、ミルクの匂いがした。
「あなたは将来、何になりたいの?」
突然そんなことを問われて、マシューは困惑した。マシューがなれるものは限られている。軍学校でいい成績を収めれば軍人になれるだろうが、別に軍人にはなりたくなかった。となると、弟の仕事を影で支えるくらいしか思いつかない。多分、父や親戚たちからそうするように言われるだろう。
「難しい質問ね。ごめんなさい」
王妃はローリーとよく似た、宝石をはめ込んだような瞳を細めて言った。
「あの子は、ローリーは将来、アンタレス国の国王になるわ。王様よ。分かるわね?」
マシューは正しい返事の仕方がよく分からなかったので、とりあえず頷いて見せた。王妃はマシューの動きを真似て小さく首を縦に振って、いたずらっぽく笑った。
「あの子は何かに夢中になったら、すぐに周りが見えなくなってしまうの。知っているでしょう?」
マシューは再び頷く。それを再び王妃が真似したので、マシューは思わず笑い声を立ててしまった。王妃は満足げにほほ笑んだ。
「あなたは違うわね、マシュー。いつもローリーを助けてくれていることを知っていますよ。今は未来のことなんて分からないかもしれないけど、もしこの先も、大人になってもずっとローリーと仲良くしてくれるなら、将来はあの子と一緒にこの国を守っていって欲しいと私は考えているの」
マシューは王子の小さな体が規則的に呼吸しているのを腕で感じながら、数秒間考え込んだ。
「家のため?」
マシューの質問を聞いて、王妃は二度ほど瞬きした。
「家のため? どういう意味?」
「ブルック家とか、父上とか弟のために、僕はそうしないといけないんですか?」
王妃は眉尻を下げて、マシューの頭に手を触れた。
「違うわマシュー。家ではなく、国のためよ」
「国?」
「そう。ローリーの人生は、アンタレス国に暮らす人たちのためにあるの。それはとても辛くて大変なことなのよ。だからあなたが、あの子の心の支えになってくれたらと思って、こんな話をしているの。簡単なことではないけど、あなたにしかできないことだと思う。もちろんあなたが嫌だと言うならそれでも構わないわ。どちらにしても、まだ何年も先の話だけど……」
マシューは何も返事ができないまま、呆然とした顔で王妃の部屋をあとにした。王子を抱いていたなごりで、まだ腕の中がほかほかしている。
廊下で衛兵と遊んでいたらしいローリーが、息を弾ませながら近づいてきた。
「遅かったね。何の話してたの?」
マシューが言葉を返さないので、ローリーは首をかしげた。
「マシュー? どうしたの?」
マシューは新品の服の袖で、目元をぐしぐしと乱暴に拭った。