1.華麗なる友情
マシュー・ブルックは名家の生まれである。公爵家の長男である父が、若気のいたりで屋敷のメイドに孕ませた子であるが、一応、ブルック一族の直系である。
マシューは次期公爵の身に何かあったときのための保険である。父が結婚して運良く息子が産まれれば、マシューはその子の身に何かあったときのための、保険となる。
マシューには飼い殺される以外にも役目がある。王太子ローリーと親しくすることである。ローリーが誕生したのと同じ年に生を受けたおかげで、マシューは運良く、ローリーが通う軍学校で彼と一緒に学べることになった。
マシューが九歳のとき。軍学校に入学して一年がたったある日のこと。学校で試験があった。マシューたちのクラスの試験監督は、学校中の生徒たちが恐れるワード先生だった。ワード先生が目を光らせているときに、私語をするなんて勇気のある生徒はこの世に存在しない。けれどその日の午前中、教室はしきりにざわついていた。彼らの視線は、教室の後ろにあるローリーの席に注がれていた。
「すげー、見ろよあいつ」
「白目だ……」
「居眠りしてんのかな、あれ」
ローリーは頭を四方八方にゆらしながら白目をむいていて、完全に意識を失っているように見えた。それでもしっかりとした手つきで、用紙に答えを記している。ワード先生が咳払いしたので、全員慌てて前を向いて机に向かった。水を打ったような沈黙が教室を包む。しばらくして鐘が鳴り、朝一番の試験が終了した。
「マシューはいいよなぁ、朝に強くて」
放課後。教室に残って一緒に試験の自己採点をしていたとき、ローリーが不満げに言った。マシューは手元に視線を向けたまま、片手間に尋ねた。
「いつも何時に寝てるの?」
「十二時。だって朝の試験は眠くて集中できないって分かってるからさ、そのぶん夜にしっかり勉強しないと」
「早く寝て早起きして、それから勉強すればいいじゃん」
「それができないから困ってるんだろー」
ローリーは弱りきった声で訴えながら、ノートに試験の結果を記していく。彼が白目をむきながら受けた試験の結果は、毎度のことながら満点だった。マシューは意識がしっかりしていたうえにきちんと勉強していたのに、ローリーが取った点数には及ばなかった。
採点を終えたローリーは、頬杖をついて物憂げなため息をついた。
「今日の試験、難しかったよね。この先の授業についていけるか、心配だなぁ」
「いやみ……?」
「とりあえず、僕が国王になったら午前中の試験は全部なくすことにするよ」
ローリーは『公約』と表紙に書かれたノートをいそいそと取り出して、先程の決意を白いページ一杯にしたためた。
自己採点を終えたあと、ローリーに「遊びにおいでよ」と誘われて、マシューは王宮に赴いた。ローリーは王宮の敷地外で遊ぶことが許されていなかった。王宮の外ではどこにでも護衛がついて回る。それだけ聞くと可哀想な気もするが、王宮はこの国で一番豪華な娯楽施設と言えなくもないので、本人はあまり悩んではいないようだった。
一方、マシューはどこにだって行けた。ブルック家にとってはおまけのような存在だし、父にとってはいくらでも代わりのきく子供だし、顔も知らない母にとっては、大金に化けただけの子供だろう。誘拐されてもきっと、身代金は払ってもらえない。だからどこにだって行けたし、寮の門限がなければ夜中に歩き回ることもできただろう。
この世の祝福をありったけ詰め込んだような少年と日々を過ごしながら、マシューの胸の中には嫌な色をしたもやもやが常にくすぶっていた。
「マシューはさ、どうして僕と一緒に遊んでくれるの?」
軍学校の寮とは比べ物にならないほど豪華なローリーの部屋で、カードゲームをしていたとき。ローリーがふと呟いた。
「どうしてって?」
「楽しくないだろう。いかにも楽しくなさそうだよ」
無邪気な問いに、マシューはちょっとパニックになった。
「楽しいよ」
「嘘だ。家の人に僕と仲良くしろって言われてるんだろ」
遠慮のない問いに、マシューは泣いてしまいそうになった。
「そうじゃないよ」
「ふーん。ねぇ、今日泊まっていきなよ。寮の許可取ってさ。二人で冒険ごっこしよう」
マシューに拒否権はない。ローリーの機嫌を損ねたら駄目なのだ。出会ったばかりの頃は喧嘩したこともあったが、父に見放されるのが怖くてマシューからすぐに謝った。それ以来喧嘩をするのが恐ろしくて、ローリーの言うことは何でも聞くようにしている。
「マシューは戦士ね。僕は馬」
「え、馬?」
「ただの馬じゃないよ。格好いい馬」
馬鹿みたい、とマシューは思った。口には出さなかった。
その日二人は通りすがりの村人たちに頼まれて、村を占拠する悪人を退治し、ついでに耳を引っ張るだけで瞬間移動できる能力を手に入れた。
ローリーが前足を使ってなんとか耳を引っ張ろうとする真似をするので、マシューは笑いすぎてお腹がよじれそうになった。