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さそりの心臓はダイヤモンド

 よく晴れたある日のこと。澄みわたる空に似つかわしくない大きなため息が、ウィルの口からこぼれた。


「はぁ……」

「うわ、鬱陶しいな」


 どんよりしている友人に遠慮のない言葉をぶつけたのは、ニックである。


 二人は今、工兵隊にまぎれて、粉々になった舞踏会場のテラスを修理している。相変わらずアンタレス国軍は人手不足であり、相変わらず騎士隊は鍛えた腕を振るう機会に恵まれないのであった。


 工兵隊の隊員に命じられるまま、何に使うのかも分からない板をせっせとノコギリで切る二人。ニックは自分に割り振られた分の板を、こっそりウィルが切る予定の板に重ねていた。だからウィルは今、二人分の仕事をこなしながら落ち込み、ため息をつくという器用なことをやっていた。


「何に悩んでるんだ? ほら、親友に打ち明けてみろよ」


 まだ一枚もノルマをこなしていないことがバレないように、ニックはわざとらしく優しげな声を出した。ウィルは板を切る手を止めることなく、当てつけがましいため息の理由をぽつぽつと語りはじめた。


 シャウラ国の殺し屋が王宮の使用人を人質にとったとき、ウィルは彼らを見捨てて、兄であるローリーの命を優先しようとした。そのことがまだ、心に引っ掛かっているのだという。


 自分から打ち明けろと言っておきながら、ウィルの悩みを聞いたニックはいかにも面倒くさそうに顔をしかめた。


「お前は本当に呆れるくらい気の小さい奴だな。俺は小心者のお前が、そんな権力者みたいな決断をしたことがまだ信じられないくらいなんだぞ。どんと構えろよ、権力者らしく!」


 バシバシと背中を叩かれても、ウィルの表情は晴れない。


「使用人に合わせる顔がなくて……」

「安心しろよ。俺の知り合いなんか、大勢が見てる前で芝居の台詞を引用して愛を告白するなんていう、くそ恥ずかしいことをしでかしたんだぞ。使用人を見捨てるよりもよっぽど痛々しいだろ? そいつに比べればお前はまだマシな方だ」

「でも、一歩間違えば人が死んでたんだ。僕はもしかしたら本当は、人の命を軽んじる、残酷な人間なのかもしれない……」

「大丈夫だって。俺の知り合いなんか、やっとの思いで釣り上げた魚を、海に放流して楽しんでるような変態だ。お前よりよっぽど頭がどうかしてるよ。残酷な人間の方が全然マシってもんだろう?」

「そうかな……?」


 何の中身も実りもない会話をする二人の背後にはいつの間にか、虚ろな顔のジェイミーが立っていた。


「ニック。お前は俺を引き合いに出さずにウィルを元気づけることが出来ないのか?」

「げ、ジェイミー。なんでここにいるんだよ」


 言いながら振り向いたニックは、ジェイミーの顔をみてぎょっと目を見開いた。




 今朝のことである。突然騎士隊執務室に現れたジェイミーは、本来なら休みであるはずの今日一日、何でもいいから仕事が欲しいと言い出した。


 隊長に昇進したばかりの元副隊長は、即座に勘が働いた。何か不都合な予定があるとき、ジェイミーが仕事に逃げようとするのは毎度のことである。


 何から逃げようとしているのか言ってみろと、隊長、もとい元副隊長が迫ると、ジェイミーは観念した様子で明かした。今日、母親と会う約束をしているのだと。


 ジェイミーが母親を避けていることは騎士隊では周知の事実である。だから約束の日に急用を入れたがるジェイミーの挙動は別に不自然なものではない。


 しかしその約束というのは、ジェイミーが自主的に、母親に持ちかけたものであった。話したいことがあると、自分で母親に手紙を送ったのだ。


 そして当日になり、怖じ気づいたのである。その結果、情けなくも上司に泣きついているというわけだ。


 隊長、もとい元副隊長は、寝言は休み休み言えと吐き捨てたあと、ジェイミーを馬車の中に力ずくで閉じ込めウィレット家の屋敷に送りつけたのであった。




 それから三時間と経たず、ジェイミーは無事生還した。頬に、殴られたようなアザをひっつけて。


「お前の母親はそんなに気性の激しい人なのか?」


 ニックの問いに、ジェイミーは首を横に振る。


「いや、これは伯爵にやられた」

「はぁ? 何で?」

「さあ、虫の居所が悪かったんだろ」


 歯切れの悪い答えを返しながら、ジェイミーはニックとウィルのすぐ側にしゃがみこんだ。


 話を聞いてほしいのか、聞いてほしくないのか。ただただ難しい顔で黙り込むジェイミーを前に、ニックとウィルはどうしたものかと肩をすくめる。


 ニックが口を開いた。


「お前もう伯爵とは縁を切れよ。どうせ爵位だって、継げないんだろ?」

「縁を切りたいのは山々だけど、あんなんでも一応、リリーの父親だし……」


 ウィレット家の中で唯一、家族全員と血が繋がっているリリーは、昔から両親とジェイミーの仲をどうにかこうにか取り持とうと必死だった。だからジェイミーはなんとなく、伯爵と完全に決別することが出来ないでいる。


「夫人は元気だった?」


 ウィルは迷いに迷った末、ためらいがちに尋ねた。ジェイミーはどこか気まずそうに頬をかきながら、小さく頷く。


「想像してたより、ずっと元気だった。あの人ってあんなによく喋る人だったっけ?」


 解せない、という顔をしながら首をひねるジェイミーを見て、探り探りに話をしていたニックとウィルは一気に脱力した。


「お喋りじゃない母親なんて、腹が出てない父親くらい希少だろ」

「ウィレット夫人は結構、話好きだよ。元々は明るい人なんだろうね」


 二人の言葉を聞いて、ジェイミーは眉間に寄せていたシワをわずかに緩めた。ようやく緊張が解けて、十年ぶりにやっと、まともに母親と会話したのだという実感がわいた。


「一からいろいろと、勉強するつもりだってさ。伯爵夫人として、これからやり直したいって言われたんだ」


 それが良いことなのか、悪いことなのか、ジェイミーには分からなかった。ただ、変えようがないと思い続けてきた人生が少しずつ変わっていることに、胸が騒いでいた。


 シェリルの笑顔を思い出す。


 今すぐ会いたいと思った。


 そして、こんな風に彼女のことを愛しいと思い続ける時間も、悪くないような気がしはじめていた。


「へぇ、よかったじゃん」

「うん。ジェイミー、よかったよ、本当に」


 ニックとウィルが同時にジェイミーの肩を叩いた。ジェイミーは笑みを浮かべて、それから目元を隠すように顔をふせた。


◇◇◇


 のどかな田舎道を何台もの荷馬車がゆっくり走っている。綺麗に耕された畑と畑の間を、スプリング家一行はのんびりと進んでいた。


 あまりに気持ちのいい天気なので、ダミアンは荷台の屋根を取っ払い、日に当たりながら昼寝をしていた。その隣で、アメリアはナイフを研いでいる。カルロは御者席に座り手綱を握っていた。


 眠気を誘う小鳥のさえずりだけが聞こえる、穏やかな昼下がり。きちんと列を揃えて並ぶ荷馬車の、後ろの方で突然、のどかな空気をぶち壊すほどの悲鳴が響いた。


「なんだ?」


 悲鳴に驚いたカルロは、とっさに馬車を止めた。声のした方に目を向けると、後方の馬車に乗っていたはずのシェリルが全速力でこちらに向かって来るのが見える。どどどど、というような音が聞こえてきそうなほどの勢いで地面を蹴るシェリルは、アメリアとダミアンが乗っている荷台に飛び乗り、それからぜぇぜぇと肩で息をした。


「か、カルロざん……」

「ど、どうしたシェリル。怖い夢でも見たのか……?」


 御者席から荷台を振り返るカルロの顔は、やや引きぎみである。シェリルはカルロの目前に、あるものを突きつけた。


「こ、これ……」


 カルロと、それからアメリアとダミアンは、シェリルの手にぶら下がっているまばゆいばかりの首飾りを見て、あ、と声を上げた。


「嘘だろうシェリル。お前それ、まさか、返し忘れたのか?」


 カルロがさっと顔色を青くする。シェリルはぶんぶんと首を横に振った。


「ちゃんと返しました! でもポケットに戻ってきてたんです!」


 必死に訴えるシェリルに、ダミアンは疑うような視線を向けた。


「首飾りがひとりでにポケットに飛び込むかよ。ジェイミー君と再会してテンションが上がって、すっかり忘れてたんだろ」


 一瞬、ダミアンの読みが正しいような気がしてしまったシェリルは、首飾りをジェイミーに返したときのことを真剣に思い出そうとした。間違いなくポケットから取り出して、ジェイミーに手渡した。間違いない。テンションは上がっていたがちゃんと返した。


「どうしよう……」


 首飾りがポケットに舞い戻ってきた経緯はひとまず置いておくとして、これはシェリルの手元にあっていいものではない。ジェイミーの曾祖母がかつての国王から授かった、大事な物なのだ。


 どうやって返そう。

 アンタレス国の周辺では、アケルナー国の追っ手が血眼になってスプリング家を探しているので、簡単には近づけない。伝書屋に頼む? こんなに高価なものを? ああ、もっと早く気づいていれば……。


 ぐるぐると考えを巡らせるシェリルのすぐ側で、アメリアが平然とした顔で言った。


「それ、くれたんでしょう。ジェイミー君が、シェリルに」


 シェリルはピタリと動きを止めて、ゆっくりとアメリアに視線を向けた。数秒後、ふっと笑みをこぼし、人差し指をちっちっと左右に振った。


「そんなわけないでしょ。記憶にないもの。こんな貴重なもの、貰ったならさすがに覚えてるわよ」

「こっそりポケットに入れたんでしょ。あなた、ジェイミー君に対しては警戒心のかけらもないものね」

「どうしてジェイミーが私に首飾りをくれるの? そんなことする理由がないじゃない」


 シェリルの言葉に、カルロと双子は急に静かになった。しん、と静まり返った空間で、シェリルは一人、眉をひそめる。


「私、何か変なこと言った?」

「シェリル、お前、ジェイミー君が首飾りをくれた理由が本当に分からないのか……?」


 カルロがどことなく哀れなものでも見るような目をして言った。ダミアンはなぜか、目元を押さえている。アメリアはそっと、シェリルの肩に手を置いた。


 つまり彼らはこう言いたいのだ。シェリルはロマンチックな贈り物に慣れていないから、ジェイミーが贈り物をくれた理由も分からないのだと。


 しかしさすがにシェリルとて、恋しい相手に宝飾品を贈るという習慣が、世の中にあることくらい知っている。シェリルが言っているのは、そういうことではなかった。


「この首飾りは爵位と一緒で、所有者が決まってるのよ。これは本当は、ジェイミーのお母さんのものなの。親のものを勝手に人に譲るだなんて、いくらジェイミーでもそんなこと……するわけ……」


 言いながら、いや、あり得なくはないな、と思いはじめるシェリル。金に換えればいいとまで言っていたのだ。彼はあまり、このダイヤモンドに対してこだわりが無いのかもしれない。


「いいじゃない。素直に貰っときなさいよ。ジェイミー君はシェリルに持ってて欲しいんでしょう、その首飾りを」


 アメリアがいいと言っても、シェリルは納得出来なかった。ジェイミーがこのダイヤモンドを勝手に手放したことが知れたら、ハデス伯爵は怒るだろう。それに、このダイヤモンドを継ぐには条件があるのだ。


「この首飾りは所有者の娘じゃないと継げないのよ」


 だからやっぱり返した方がいいとシェリルが訴えると、カルロと双子はなぜか、奇妙な顔をした。


 いまいち乗り気でない三人を説得すべくシェリルは必死に説明した。このダイヤモンドがジェイミーの曾祖母に授けられた経緯と、ジェイミーの家族にとってこのダイヤモンドがどれ程重要なものであるか。だから絶対に返した方がいいのだと力説するシェリルをよそに、三人はいつの間にか、肩を震わせて笑いをこらえていた。


 三人の異変に気づいたシェリルは、一旦話を中断する。


「ねぇ皆……。私の話、聞いてる?」

「それってさぁ……」


 ダミアンが笑いを飲み込み何かを言いかけたが、すぐにまた笑いだしてしまう。


「ジェイミー君は意外に、強引なんだな」


 人は見かけによらないなぁとカルロはいたく感心している。何がなんだかわからず戸惑っているシェリルの手から、アメリアが首飾りを取り上げた。


「つけてあげる」


 抵抗する間もなく、大粒のダイヤモンドがシェリルの首に我が物顔でぶら下がった。


「真っ白な三角巾に真っ赤な石がよく映えてるよ」


 ダミアンはひぃひぃ笑いながら、おちょくるみたいに言った。シェリルがダミアンの胸ぐらを掴んでいる横で、アメリアは爆笑している。


「シェリル、あなたは全く、罪な女ね!」

「ジェイミー君は本当に、お前に心臓を差し出したってわけだ」

「こんなに大きなダイヤモンドをぶら下げてたら、他の男は近付けないわよねぇ」


 双子に思う存分からかわれて涙目になっているシェリルを放置して、カルロは手綱を握り直し、荷馬車を発進させた。真っ赤なダイヤモンドが太陽の光を弾いてちかちかと瞬く。


「さて、これからどこに行こうかなぁ」


 カルロの視線の先には、終わりのない道が延々と続いている。


 明るい笑い声が、今日も響いている。


 世にも美しい季節は、暖かい風と共にゆっくりと、ふわふわと、流れていくのだった。

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