118.奴隷小屋の少女
恐怖と混乱に満ちた夜がもうじき明けようかという時刻。負傷した団長が、並々ならぬ気合いと根性で舞踏会場に駆けつけた。
団長の登場による安心感たるや、隊長という指導者を失った騎士隊にとっては筆舌に尽くしがたいものがあった。
使用人の保護。負傷者の治療。殺し屋の護送。床に散らばった武器の回収。
団長がてきぱきと指示を出すおかげで、王宮の混乱は徐々に収まっていく。右往左往しまくっていたアンタレス国軍に、ようやく秩序が戻ってきた。
国軍が一丸となって事態の収拾に奔走しているなか、ジェイミーは何をしているのかというと、シェリルを探していた。
サボり魔のニックでさえ真面目に働いているときに、一人だけ勝手をするのはそれなりに後ろめたかったが、それでも今すぐ探し出さなければ取り返しがつかないような気がして仕方なかった。
焦りはつのるものの、他の隊が応援に駆けつけたために舞踏会場の人口密度が増え、なかなかその姿を見つけ出すことが出来ない。
お菓子を頬張っている子供たちにこっそり居場所を尋ねてみるが、知らなーい、とそれはそれは元気な声が返ってくる。
ときおり、ジェイミーのすぐ側をダミアンがせっせと通りすぎていくので、何度か声をかけようかとも思った。しかし彼にはなぜかは分からないが、出会い頭に殴りかかられるくらいに嫌われてしまっている。下手に警戒されたらシェリルに二度と会わせてもらえないような気がして、いまいち決心がつかなかった。
こっそり彼の後をつけてみようか。すぐにバレてボコボコにされそうだが。
ダミアンのことを遠くから未練がましく見つめながら、そんなことをつらつらと考えていたとき。
「ジェイミー君。ちょっと話があるんだけど、時間ある?」
突然カルロに声をかけられて、ジェイミーはとっさに飛び上がった。
「すみません! 悪気は無かったんです!」
「…………何のことか分からないけど、いいよ。許す」
どうやら不審な視線をダミアンに向けていたことを咎められるわけではないようだ。ジェイミーはホッと息をついたあと、意を決してカルロと向き合った。
「あの、シェリルがどこにいるか知りませんか? 今すぐ会いたいんです」
カルロはあっさりと居場所を教えてくれた。
「救護室にいるよ。アーノルドに倒されたときに肩が外れたんだ。全く、まだまだ弱っちいんだから、困ったもんだよね」
「そうですか。ありがとうございます」
ジェイミーはすぐさま救護室に向かうべく駆け出そうとしたが、すかさずカルロに襟首を掴まれたので一歩も進むことが出来なかった。
「まぁ待て。話があるって言っただろう」
「あの、今じゃなきゃ駄目ですか」
「駄目なんだなこれが」
どうにかこうにか前に進もうと努力するが、カルロの握力のなんと強いことか。ジェイミーはぜぇぜぇと息を切らしながら再びカルロと向き合った。
「……何ですか?」
「俺はねぇ、君には感謝してるんだよ。毒針で殺しかけたうえに家宝の首飾りを盗んで他にも何か迷惑をかけたような気がするけど文句ひとつ言わないで――」
「礼には及びません。もう行ってもいいですか?」
足止めされる理由が分からず苛立つジェイミーに、カルロは真剣な顔をぐっと近付けた。
「だからそんな君に、シェリルの秘密をひとつ、教えてあげよう」
「秘密……?」
ジェイミーの興味を引くことに成功したカルロは、にやりと口の端を持ち上げた。
それは、肌がジリジリと焼けるような暑い日のことだった。カルロは国王の命令で嫌々、アケルナー国ご自慢の奴隷市場をうろついていた。どうせなら役に立つ奴隷を買うようにとアメリアとダミアンに言われていたが、カルロはとにかく早く帰りたいと、それだけを考えていた。
照りつける日差しの下でげっそりとしながら突っ立っていたところ、市場の案内役に声をかけられた。どんな奴隷をお望みですか、と問われ、腕の立つやつを、と短く答える。案内役はそれならいい商品があると言って、小さな奴隷小屋にカルロを案内した。
お客さんは運がいい。4606号はうちの一押し商品ですよ!
そう言いながら奴隷小屋の店主が見せてきたのは、小さな小さな、性別すらよくわからない小汚ない子供だった。これは何かの冗談かとカルロが店主に詰め寄ると、彼は怯えながら、その子供を勧める理由を必死に説明した。
店主が言うには、その少女は売っても売っても、どうやってか奴隷小屋に戻ってきてしまうのだという。なんでも、少女がえらく懐いている奴隷が一人いるらしく、その奴隷と離れたくないがために何度売っても必ず戻ってきてしまうのだそうだ。
それが、どんな金持ちに売っても、身の毛のよだつ雰囲気をまとった浮浪者に売っても、ときには馬の背に縛り付けられた状態で売られていっても、必ず戻ってくる。当然店主は客から文句を言われることになるが、少女はそんなに値の張る奴隷ではなかったため、主人の元から逃げ出した際の保険はかけられていなかった。
これはいい商売を見つけたと店主は思ったのだろう。何度も何度も少女を売って、小金を稼いだらしい。少女は何度も何度も、死に物狂いで奴隷小屋に戻ってきた。
しかし今朝、少女が懐いている奴隷が死んでしまったという。もう少女には小屋に戻ってくる理由がない。だからお客さんは運がいいのだと、店主は愛想のいい笑顔でそう締めくくった。
カルロは一刻も早く奴隷の巣窟から逃げ出したかったので、仕方なくその少女を買った。自分でもなぜそうしたのかは分からないが、少女が懐いていたという奴隷の亡骸も買い取った。
案の定アメリアとダミアンには散々叱られたが、カルロは彼らの説教を右から左へ聞き流し、買い取った奴隷の亡骸を丁寧に埋葬してやった。奴隷の墓を作ったことに何かしら思うところがあったようで、少女は四六時中、カルロのあとをついて回るようになった。
その少女が普通とは少し違うことに最初に気付いたのは、アメリアとダミアンである。すばしっこいネズミを素手で捕まえたり、スプリング家の仲間の足音を聞き分けたり、毒薬を持ち歩いていたカルロに対して嫌な匂いがすると言ったり。その勘の良さが奴隷小屋に舞い戻るために発揮されたであろうことは、容易に想像できた。
「五感がね、人より少しだけ鋭いみたいなんだよ。まぁだからってあっと驚くようなことは出来ないが、たまーにちょっとしたことで役に立つんだ。それで何度か、あの子に助けられたことがある」
カルロの話を聞きながら、ジェイミーはどう言葉を返したものかと悩んでいた。その反応をいぶかしんだカルロは、少し考え込んだあと、ポリポリと頭をかく。
「もしかして、気づいてた?」
「ええ、まぁ、なんとなく……」
ジェイミーはどこか気まずいような気持ちで頷く。その顔を、カルロは注意深く覗き込んだ。
「スプリング家には大人が少ないだろう。小さいうちから危険なことばかりさせてるからね。なかなか育たないんだよ。だからシェリルのことはこれでもけっこう重宝してるんだ」
なぜカルロが自分にこんな話をするのか、ジェイミーは測りかねていた。だが話を聞いているうちに段々と、彼の言いたいことが見えてくる。
「わざわざ釘を刺さなくても、シェリルをこの国に引き止めようだなんて考えてませんよ」
苦笑しつつそう切り出すと、カルロは何度か瞬きをして、奇怪なものでも見るような目をジェイミーに向けた。
「本当に? あの子に気があるんじゃないのか?」
「そりゃあ、一緒にいられたらいいですけど……。家族と引き離したりは出来ません」
「君には俺たちが家族に見えるのか?」
「端から見れば、そうですね」
カルロは横腹をくすぐられているみたいな、よく分からない表情を浮かべながら、へぇ、と間の抜けた声を出した。
「もう二度と会えないだろうけど、その覚悟は出来てる?」
一言一句はっきりと、神妙な顔で問われる。一番恐れていた問いを目の前に差し出されて、ジェイミーの表情は強ばった。いつの日か一緒になれるのではないかと、どこかで期待していた。そんな甘い考えは、とっくにお見通しらしい。
「毎日会いたいとは言いません」
平静を装って返した声は、自分でも分かるくらいにひきつっていた。カルロはまるで小さな子供でも相手にしているみたいに、柔らかい声色で話を続ける。
「ふーん。じゃあ、数年に一度会えるだけで構わない?」
「二度と会えないよりはましです」
「会えない間、君はどうするつもりなんだ?」
「どうって……」
ジェイミーが言葉に詰まった瞬間、カルロは綻びを見つけたとばかりににやりと笑みをこぼした。
「ジェイミー君。君さぁ、相手に困ったことなんてないだろう。順番待ちしてる女の子もたくさんいるんじゃないかな」
「そんなこと、あなたに関係ないでしょう」
不機嫌をあらわに言葉を返す。しかしカルロはジェイミーの機嫌などどうでもいいらしく、悠然とした態度を崩さない。
「シェリルは確かに、君に懐いてるよ。また会いに来るなんて、無責任なことを言うかもしれない。でも好奇心旺盛な子だからね。またすぐに別の誰かを見つけるだろう。側にいてくれて、守ってくれる、君よりずっと強くて頼りになる誰かだ」
すぐに反応できず、無意識に拳を握りしめた。黙りこむジェイミーに構わず、カルロは言葉を続ける。
「上手くさよならを言ってやってくれないかな。まだまだ現実ってものを知らないから、気を持たせるようなことは絶対に言わないで欲しい。それがシェリルのためなんだよ。この国に縛り付けられてたら自由には生きられない。自由に生きるっていうのは、あの子にとってはすごく重要なことなんだ」
カルロの言っていることは正しいと、ジェイミーは頭では分かっていた。この国に人生の全てがある自分には、これからどこに向かうのかも分からないシェリルのためにしてやれることが何もない。せめて彼女が快くこの国を去れるように、余計なことを言わないようにするくらいしか、出来ることはないのかもしれない。
それでも、たとえシェリルのためだとしても、この気持ちはどうすればいいのだろう。諦めろと言われてそうできるなら、喜んでそうした。それが出来ないと分かっているのに、一生会えないなんて、耐えられるわけがない。
「好きなんです。本当に」
なんとか絞り出した声はひどく頼りなかった。カルロは気遣わしげに、ジェイミーの肩に触れる。
「いつか忘れる。どんな気持ちもね。そうじゃなきゃ長い人生、やっていけないだろう」
あんなに会いたいと思っていたのに、今やジェイミーはシェリルと顔を会わせずにすむ方法を探していた。肩に置かれた手も周囲の喧騒も、シェリルに対する気持ちも、今のジェイミーにはただ、煩わしかった。