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117.後始末

 豊かな自然を抱えた山々の輪郭(りんかく)が、うっすらと白く縁取られていく。うっとりするような夜明け前の空は、誰の目にも触れることなくただ静かに輝いている。


 爆破されたテラスに目を向ければ絶景が広がっているというのに、スプリング家の子供たちはひたすらに、ダンスホールの床を睨み付けていた。


「カルロさーん。もう十分綺麗ですよぉ」


 床をブラシで磨きながら、子供の一人が力ない声を上げる。

 テラスの付近に散らばっている割れたガラスを(ほうき)で掃いていたカルロは、厳しい表情を子供たちに向けた。


「スプリング家モットー! 人に借りた物や、場所は?」

「借りたときより綺麗にして返す……」


 うんざりしたような子供たちの声がダンスホールに響く。子供の中にはブラシを握ったままうつらうつらと船をこいでいる者もいるが、カルロは一切の妥協を許さなかった。


「自分の家を荒らされたまま放置されたらどんな気持ちになる? 嫌だろう。人にされて嫌なことは人にしてはいけないという心がけが立派な大人になるための第一歩であり人としての――」

「我々は別に、このままでも構わないが……」


 くどくどと説教をするカルロに、ローリーは控えめに声をかける。カルロは子供たちに向けていた厳しい顔をそのまま、ローリーに向けた。


「冗談言ってもらっちゃ困るよローリー君。君こんな壁が吹き飛んだような部屋に住み続けるって言うのかい」

「ここで寝泊まりする人間なんていないよ」


 舞踏会場のすみには、いつの間にかパンやお菓子が大量に用意されていた。好きなだけ食べていいとローリーが告げると、スプリング家の子供たちは掃除を放り出して飛び跳ねるようにご馳走が並ぶテーブルまで駆けていった。


「勝手に甘やかさないでくれるかなぁ」


 渋い顔でカルロが呟くのを無視して、ローリーは隣に立っているウィルに目配せした。ウィルはひとつ頷いて、分厚い書類をカルロに差し出す。


「炭鉱の権利書や、その他諸々の書類です」

「ああ、どうも」


 カルロは書類を受け取り、適当にパラパラとめくって中身を確認する。大して理解もしていないのになるほどなるほどと(おごそ)かに頷いているカルロに、ローリーは落ち着いた声で言った。


「アケルナー国が喉から手が出るほどに欲しがった、非常に価値のある炭鉱だ。アケルナー国の裏切りに気付いてからは、国境を守ってもらう代わりにフォーマルハウト国に譲る予定だったんだが、君たちには世話になったからね。全て差し上げよう」

「我ながら良いものに目をつけたと思ってるよ。これでしばらく生活も安泰……」


 言いかけて、カルロは口をつぐむ。それから顔を上げて、再び口を開いた。


「なぁ。フォーマルハウト国と、ちゃんと話はつけてあるんだろうな」


 カルロの問いにローリーは困ったような笑みを浮かべる。


「無茶を言わないでくれ。炭鉱をスプリング家に譲ると決めたのが何時間前の話だと思ってるんだ」

「君あのときは炭鉱を譲る予定があるなんて一言も言わなかったじゃないか」

「聞かれなかったからね」

「いやいや、ふざけるなよ」


 カルロは箒を乱暴に投げ捨ててローリーに詰め寄る。ローリーはというと、よくもまぁそこまで上等に仕上がるものだと言いたくなるくらいに綺麗な笑顔を、微塵も崩さなかった。


「フォーマルハウト国は手に入るはずだった炭鉱を横取りされて、さぞかし腹を立てるだろうね」


 土地の権利を巡って紛争が起こるかもしれない、とローリーは事も無げに言い放つ。それに対しカルロは、地の底から這い上がるような低い声を返した。


「おイタが過ぎるよローリー君。あまり調子に乗ると痛い目に遭うからね」

「構わないよ。人質を取るなり私を殺すなり、好きにすればいい。何なら、いっそ国ごと差し上げようか?」


 色々ありすぎてとうとう頭がおかしくなってしまったのかと、カルロは一瞬哀れみの感情を抱いた。だが数秒後、ある疑惑が霧のように頭のなかに漂いはじめる。


「真面目に聞くけど、これからフォーマルハウト国と、ちゃんと話をつけてくれるんだろう?」


 カルロの問いに、ローリーはすっとぼけるように首を傾げて見せる。


「さぁ、どうしようかな?」


 その返答を耳にした瞬間、疑惑が確信に変わる。


「まさかとは思うが、脅してるのか?」


 苛立ちを込めて威圧してみるが、ローリーは痛くも痒くもないという様子で微笑んだままである。面倒なことになったな、とカルロは密かに唇を噛んだ。


 スプリング家は今すぐに、まとまった金が必要だった。生活するためにも身を守るためにも、とにかく財産を築かなくてはならない。フォーマルハウト国のような大国と炭鉱を取り合っている暇なんてないし、そもそも土地を取り合うにも金がいる。いくら権利書が手元にあるといっても、争いの元凶となっている土地など誰も買わない。


 シャウラ国がやったように使用人を人質にとって、ローリーから無理やり金でも何でも巻き上げてみようかと考えてみる。だがどうにも、一筋縄にいく気がしない。雇い主の指示以外で人を傷つけるつもりなど無いことを、見透かされているような気がするのだ。


 まるでカルロの思考を読んでいるかのようなタイミングで、ローリーが声を上げた。


「スプリング家がこの先もアンタレス国の力になってくれるというなら、私もあなたの力になろう。それが一番簡単で、手っ取り早いとは思わないかな?」

「恩を仇で返すような奴とは、手を組む気になれないな」

「そちらが詰めを誤ったのが悪いんだろう。それとも何かな。アケルナー国に譲るはずだった炭鉱をもて余していると、私がわざと、ルドベキア軍に相談したとでも言うのか?」


 ローリーの言葉に、カルロは瞬きも忘れ唖然とする。


「わざと相談したのか……?」


 世界情勢の全てを把握していると言われるルドベキア軍。公平中立と謳われるあの巨大組織を、スプリング家は手中に収めている。まさかそれを利用されたのだろうか。ルドベキア軍がスプリング家に情報を流すはずだと、見越していたのか。


 カルロが動揺している間にも、ローリーは話を進めていく。


「何もかも計算ずくで、フォーマルハウト国に炭鉱を譲ろうとしていたとでも言うのか?」

「計算ずくだったのか?」

「それともまさか、スプリング家も一国民なのだから、税金を徴収すべきだとエリック国王に助言したのが、私だとでも言いたいのか?」

「全部お前の仕業か!」


 カルロはわなわなと怒りにうち震えた。ローリーはそれを面白がるように、笑いを含んだ声を上げる。


「まさか税金ごときでアケルナー国と縁を切ってくれるとはね。やはりシェリルを連れ帰ったのは正解だった。迎えに来るきっかけは何だってよかったんだろう?」


 からかうような口調に、はらわたが煮えくり返りそうになる。気が晴れるまで痛めつけてやろうかと思ったが、ローリーが負傷することで得をするのはアケルナー国とシャウラ国である。スプリング家にとっては何の得にもならない。


 そのときたまたま、大きな荷物を抱えているダミアンが近くを通りかかった。カルロはその襟首をむんずと掴む。


「何ですかカルロさん。今旅支度の真っ最中なんですけど」

「ダミアン、今すぐ宣誓書を作れ。文面はこうだ。カルロ・スプリングは、ローリー・ハートが大嫌いだ。今後何が起ころうともこの事実が覆ることはない。なぜなら」

「あー、今忙しいんで、自分でやってくれます? ほら、うさぎさんの柄のメモ用紙を貸してあげますからね」

「…………」


 ダミアンの背中を見送りながら、カルロはちょっとだけ涙ぐんだ。一生懸命育ててやったというのに、なぜ誰も自分の言うことを聞かないのだろう。反抗期だろうか。


「決心はついたかな?」


 ローリーは優美な(たたず)まいで、獲物が落ちてくるのをのんびりと待っている。


 抵抗も、できないことはない。だがアンタレス国を助けるために手持ちの金は全て使い果たしてしまった。そんな状態でこの男と腹の探り合いを繰り広げるというのは非常に面倒くさい。第一、そこまでの情熱をアンタレス国に傾けること自体、馬鹿馬鹿しい。


 いろいろと気力を削がれてしまったカルロは、ローリーのかたわらに立っている、人畜無害に見える弟に目を向けた。


「何か書くものある?」


 ウィルはひとつ頷いて、近くに控えていた従者にインクとペンを用意するよう命じた。


 カルロはダミアンに手渡された用紙に、さらさらと何かを記していく。そして仏頂面を浮かべながら、ローリーに用紙を差し出した。


「本当に、どうしようもなく、何がどうしてもどうにもならない事があったときだけここに手紙を送れ。気が向いたらまた、助けてやってもいい」


 これがカルロの最大限の譲歩だった。ローリーにとっては及第点の答えだったようで、満足げな表情を浮かべている。


「ウィル、この住所を覚えて、メモは火にくべて燃やしなさい。私に何かあったとき、彼がお前の力になってくれるそうだよ」


 ローリーはカルロから受け取った用紙を、自分で確認することなくウィルに差し出した。

 ウィルは少々不満のありそうな様子だったが、大人しく用紙を受け取る。


 心の底からげっそりとした気分になっているカルロに、ローリーが再び視線を向ける。


「実はもうひとつ、頼みがあるんだ」

「面の皮が厚すぎないか」


 思いきり不機嫌な声を返すと、ローリーは先程までとは打って変わって、どこかぎこちないような表情を見せた。


「この国を去る前に少しだけ、ジェイミーと話をして欲しいんだよ」


 全く予想していなかった要求だったので、カルロはとりあえず、準備していた皮肉や罵詈雑言を喉の奥に引っ込めた。


「ジェイミー君と? 何で?」

「ひとつ聞きたい。あなたはこの国に、シェリルを置いていくつもりはあるのかな」


 何となく話の流れが読めて、カルロは大きくため息をついた。


「特別に教えてやるが、組織を抜けることは俺にも出来ない。死ぬまで無理だ。シェリルもそのことはよく理解しているよ」


 ローリーはわずかに瞳を曇らせ、それを隠すように瞼を伏せる。


「ジェイミーは昔から本当にもの分かりのいい奴で、だからもしシェリルと男女の仲になっても、ひとこと言えばきっぱり諦めると思ってたんだ」


 シェリルと四六時中行動を共にして万が一情が移ってしまっても、ジェイミーならば国の命令を優先するはずだと、ローリーは思っていたという。


 カルロもまさか、あの従順そうな青年が国に逆らってまでシェリルを逃がそうとするとは思っていなかった。彼の今後を考えるとこのままでは確かに、不安が残る。


「嫌な仕事を押し付けてくれるなぁ」


 嫌みっぽく呟けば、ローリーは申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「私の話はもう聞いてくれないと思うんだ。耳の怪我のことで多分まだ、怒ってるだろうからね」


 気乗りはしなかったものの、カルロはローリーの頼みを聞き入れた。

 最後の最後までシェリルを守ろうとしてくれたあの青年が、人生を無駄にするような選択をすることは、カルロにとっても後味の悪いことであったからだ。

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