113.急がば回れ
図書館、劇場、礼拝堂など、王宮の中にある施設はそのどれもが、一流の建築家の手によってデザインされたものである。なかでも一番の見所は舞踏会場だ。シャンデリアから扉の細部に至るまで、趣向を凝らしたデザインは見るものを圧倒する。
だがそれは平時に限った話であり、空から槍が降ってきたり、王宮が雪に埋もれたり、使用人が突然馬になってしまったりすれば、建物の造りなんていちいち気にしていられなくなるだろう。
例えば、見晴らしのいいダンスホールの中心に、怯えながら身を寄せあっている大勢の使用人たちがいる。その周囲を、銃を構えた柄の悪い者たちがとり囲んでいる。そんな状況に出くわしたとしたら、シャンデリアに宝石がいくつ使われているかなどどうでもよくなるに違いない。
ジェイミーを含む騎士隊の面々は、シャンデリアの宝石の数は知っているし、蝶番が神話に出てくる武器をモチーフにしたデザインだということも知っていた。
そして、真っ青になって怯えている使用人に銃を突き付けているその人が、誰なのかもよく知っていた。彼は先生であり、上司であり、目指すべき騎士そのものだった。
王宮をあちこち探し回った末に彼の姿を見つけたジェイミーたちは、条件反射のように舞踏会場の中に駆け込んだ。
「隊長!」
副隊長が声を上げると、アーノルドは心底驚いた様子を見せた。
「お前たちどこから……」
言いかけて、アーノルドははっと我に返る。それから側に座っているメイドの腕を掴み、床に乱暴に引き倒してその頭に銃口を押し当てた。ジェイミーたちは油が切れた車輪のごとくぎしりと足を止める。
「おいおい、騎士隊のお出ましかよ。塀を監視してる奴らは何やってんだ」
苦々しく口元を歪めているのは、かつて騎士隊が取り逃がした殺し屋、バート・コールソンであった。
騎士たちはバートがいることに一応気づいた。気づきはしたが、自分たちの上司が道を踏み外していることの方がよっぽど一大事であったため、バートに対しては一切リアクションをとらなかった。
「お願いします、隊長。こんなこと今すぐやめてください!」
副隊長の懇願する声が会場に響く。アーノルドは普段と変わらない態度で副隊長に言葉を返した。
「よく聞け、リチャード。我々の邪魔をせずそこで大人しくしているなら、特別に国王陛下に口を利いてやってもいい。お前はただの捕虜にするには惜しい奴だと、常々考えていたんだ。シャウラ国の発展に貢献する機会を作ってやろう」
敵国の長を陛下と呼ぶアーノルドに対し、ジェイミーたちはショックを隠せなかった。
騎士隊の誰もが言葉を失うなか、ニックが叫ぶ。
「隊長! いい大人が銃を持って浮かれてる姿なんて見るに堪えません! なんか俺たちの方が恥ずかしくなってくるんで、いい加減にしてもらっていいですか!」
アーノルドの頬が微妙にひくついた。
「恥ずかしいはこっちのセリフだ。人が真面目に教えてきたことを度忘れして、全員で一方向から突っ込んでくるんだからな。敵が一ヵ所に集まっている場合はどうするんだ? 誰か答えてみろ」
スティーブが真っ先に口を開く。
「戦力を分散して対象を囲むように近づきます。遠距離から攻撃できるよう槍や弓を持つことが望ましいでしょう」
「スティーブ、試験で満点をとれても実戦で役に立たなきゃ意味ないだろう。お前たちもだ。今の地位にあぐらをかかずもっと責任感を持たないか」
アーノルドの言葉に、騎士たちは決まり悪い表情を浮かべる。副隊長がひとつ、咳払いした。
「あの、もう一度はじめからやり直します。皆さんさっきまでの出来事は全て忘れてください」
副隊長の言葉をきっかけに、くるりと踵を返そうとした騎士隊。当然といえば当然であるが、そう都合よくやり直すことなどできるはずもなく、殺し屋たちに一斉に銃を向けられる。ジェイミーたちはその場で潔く立ち止まった。
「そこで大人しくしていろ。どうせお前たちはシャウラ国の傘下に入ることになるんだ。今さらじたばたしてももう遅い」
アーノルドは面倒くさそうに言ったあと、地面に這いつくばらせているメイドを片手で引っ張り上げ、元いた場所に座らせた。
なんとかしてくれと視線で訴えかけてくる大勢の使用人たちを前にして、騎士隊は何とも居心地の悪い気分を味わった。ぐうの音も出ないとはまさにこのことである。
じとっとした、身にまとわりつくような空気が流れるなか、ニックが重々しく口を開いた。
「あの、隊長……。こんなチャンスもう二度とないと思うんで今のうちに白状しますけど、隊長の予備の制服に苺ジャムをこぼしたのは実は俺なんです」
アーノルドと共に、ジェイミーたちもガクッと脱力する。
「言っておくが、十中八九お前の仕業だと思ってたからな」
「なんだ、気づいてたんですか? あー、肩の荷が降りました。ずっと罪の意識に苛まれてたんですよね」
「ニック、次に無駄口を叩いたらお前の幼馴染みが一番最初の犠牲者になると心得ておけ」
冷たく放たれたアーノルドの言葉を受け、ニックは即座に口を閉じる。そして、アーノルドが立っている場所からそれほど遠くないところに座っている、幼馴染みのアニーに目を向けた。
彼女の表情からは、もしこれ以上余計なことを一言でも口にしたらお前を呪い殺してやる、と言わんばかりの気迫が感じられた。ますます口を固く閉じたニックは、アニーの隣に座っている人物に目をやり、おや、と片眉を上げる。
ジェイミーもニックと同様、アニーの隣で退屈そうに頬杖をついている人物に気づき、目を見開いた。
そこにいたのは、あどけない顔をしているくせに、不思議な色気を漂わせている青年だった。ジェイミーとニックは彼の顔に見覚えがあった。妙な魅力を振りまく双子の片割れだ。名前は確か、ダミアン。
自分に向けられている視線に気づいたらしいダミアンは、憎たらしいほどに余裕ぶった笑みを見せた。それから人差し指をそっと唇に当てて、何事もなかったかのように再び頬杖をついた。
ジェイミーとニックはゆっくりと顔を見合わせる。
無駄口を叩くことを禁じられたニックは、視線だけでジェイミーに疑問を投げ掛けた。
何であいつがここにいるんだ。
そう言いたげな顔を向けられたジェイミーは、返答に困り頬をかく。
ジェイミーはまだ、シェリルと再会したことを誰にも打ち明けていなかった。王宮の中に入ることやアーノルドを探すことに必死で、話をするタイミングが掴めなかったのだ。だからスプリング家の人間が王宮に忍び込んでいることも、ジェイミー以外は誰も知らない。
今ここで事の次第を話すのはさすがに不味いだろうと、ジェイミーは思い悩む。殺し屋たちの耳に届いてしまえば忍び込んでいる者だけでなく、本物の使用人にまで危険が及ぶかもしれない。
というか、双子の彼は、あれは忍び込んでいるうちに入るのだろうか。それとも予定外に捕まってしまって身動きがとれないのだろうか。
どちらにせよ、この状況を打開することは至難の技だろう。外部の人間が人質の中に紛れているからといって、使用人の命が危険にさらされていることに、変わりはないのだから。
「とっとと歩け! 撃ち殺されたいか!」
突然、どすの利いた怒号が響いた。物騒な怒鳴り声は舞踏会場の出入り口の外から聞こえてきた。出入り口をくぐってすぐのところに立っている騎士隊は、一斉に振り返り、声の出どころに目を向ける。
ジェイミーたちが先程進んできた通路に、二人分の影が見えた。一人は、シャウラ国の殺し屋とおぼしき、銃を構えた男。そしてもう一人は、背中に銃を突きつけられたメイドだ。こちらに近づいてくるメイドの顔を確認した騎士たちは、どよめいた。
「あれって……」
ニックにあれと称されたメイドは、出入り口を塞ぐように立っている騎士隊に気づき、あっと声を上げる。
「ジェイミー! よかった、また会えたわね!」
銃を突きつけられているというのにのんきに手を振っているのは、メイド服を身に纏った、シェリルであった。