表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/131

112.伸るか反るか

 一定の間隔で灯された蝋燭(ろうそく)が人の気配を察して微かに揺れる。


 どうにかこうにかローリーを説得したウィルは、護衛たちに先導されながら王宮の廊下を進んでいた。

 何度も振り返り、ちゃんと兄が後ろにいるかどうか確認する。後方にも護衛がいるのでいつの間にか消えていたなんてことは起こらないだろうが、油断は出来ない。兄の顔にははっきりと、王宮を脱出することに不満があると書いてある。


 いざとなれば引きずってでも外に連れ出す心づもりだが、果たしてローリーを引きずるなんて芸当が自分に可能なのかどうか。ウィルには見当もつかなかった。


「お下がりください!」


 廊下の角を曲がる直前、先を歩いている護衛の一人が叫んだ。


 どうやら侵入者と鉢合わせしてしまったらしい。ウィルは一旦足を止め、注意深く耳をすます。


 先に進んだ護衛たちが一斉に剣を引き抜く気配がした。次の瞬間には、次々と人が倒れる音が聞こえてきた。残念ながら呻き声をあげているのは敵ではなく味方のようである。


 引き返すかどうか考えている暇はなさそうだ。ウィルの耳が正確に音を拾っているのであれば、角を曲がった先にいる護衛たちは、もう全員倒されている。選び抜かれた精鋭をものの数秒で倒した者たちは、すぐ側まで迫っていた。


「足止めします。兄上はタイミングを見て逃げてください」


 ローリーは頷かなかったが、ウィルは構わず先へと進み、迫り来る敵の前に立ちはだかった。

 敵は複数いると勝手に思い込んでいたが、角を曲がった先は予想に反してがらんとしていた。地面に倒れている護衛たちを見下ろしているのは、傷ひとつ負っていない一人の男である。


 混じりけのない漆黒の髪。夜空より濃い暗い瞳。


 広い廊下の中心にぽつんと(たたず)む男の姿は、壁や床に張り付く影のように、あまりにもつかみ所がない。


「何人いるんだ、全く……」


 男はウィルに視線を向けたあと、いかにもダルそうに吐き捨てた。それから床に倒れている護衛の手元に転がっている剣を、蹴り上げて器用に手に取ってみせる。


 ウィルは驚きに目を見張った。この男は、丸腰で護衛たちの相手をしていたのだ。


 並みの相手ではないと瞬時に理解した。男が剣を構えるより先に、素早く駆け出す。


「うわ! ちょっと待て!」


 男は焦った声を上げながらも、ウィルが振り切った剣を身を屈めてしっかりとよけた。


 空振りした剣がヒュンと音を立てる。まさかこの速さで振った剣を、よけられる人間がいるなんて思わなかった。


 続けざまに驚きつつも、すぐさま気を取り直し再び斬りかかる。男は慣れた手つきで攻撃を防いだ。剣と剣がぶつかり、かん高い金属音が辺りに響く。


 どの方向から剣を振っても、男は軽く防いで見せた。剣術は通用しないと悟ったウィルは、一旦攻撃をやめる。そして男がほんの一瞬警戒を解いた隙を狙って、回し蹴りした。


 命中こそしなかったが、意表を突いた動きは男の動きを鈍らせた。振り上げた足が男の頬にわずかにぶつかる。


「あ、痛い! すごく痛い!」


 軽く(かかと)がかすっただけなのに、男は大げさに声を上げて頬を押さえた。


 ウィルは先ほどから、妙な違和感に戸惑っていた。真面目に攻撃を仕掛けているのに全く手応えがない。まるで幽霊と手合わせしている気分だ。違和感の正体に考えを巡らせて、ふと気付く。


 ああそうか。


 この男は手を抜いているのか。


 そう理解した瞬間、背筋が凍りつくような感覚に襲われた。


 剣術の訓練の最中、隊長に口酸っぱく注意されていたことを思い出す。


 お前は腕が立つせいで、無意識に手加減する癖がついている。そのためらいがいつか命取りになるから、いざというときは絶対に迷わないように。


 裏切り者の言葉で目が覚めるなんて皮肉だが、隊長の言う、いざというときがとうとう来てしまったらしい。


 生きたまま取り押さえようなどという甘い考えは捨てるべきだろう。やらなければやられる。今はそういうときなのだ。


 ウィルは剣の柄を握りなおし、無理やりに気持ちを奮い立たせた。


 本気で首を切り落とす覚悟で、正面から斬りかかる。男は剣を構えて攻撃を防ごうとした。ウィルはすぐに軌道を変えて、男の背後に灯っている蝋燭の芯を切った。

 二人の周辺だけ明かりが落ちる。うす暗さに目が慣れるまでの数秒間、隙ができる。このチャンスを逃せばあとはない。

 ウィルは隊長の忠告通りに、迷いを断ち切って男の心臓を思いきり貫こうとした。


「待て、ウィル!」


 背後でローリーが叫んだ。


 男を突き刺さす寸前、ウィルはぴたりと動きを止めた。ちょっとしたきっかけで、断ち切ったはずの迷いは簡単に戻ってきた。一度ためらってしまえばそれまでで、そこからどう頑張っても、爪の先ほども剣を進められなくなった。


「逃げてくださいと言ったでしょう……」


 うんざりとした思いでローリーの方を振り返る。


 ローリーの背後を守っていた護衛たちも、ほとほと困ったという顔をしている。


「陛下、今のうちに逃げましょう。殿下がてこずる相手です。我々に勝ち目はありません」

「お前たちあの顔に覚えはないのか?」


 呆れたような声でローリーが言った。

 護衛たちはウィルに心臓を貫かれかけている男を、改めて注視した。やがて一人が「あ」と声を上げた。


「カルロ・スプリング?」


 誰に尋ねるでもなく、護衛の一人が呟く。


 名を呼ばれた男は、苦い薬でも口にしたような表情を浮かべている。


「殿下って、君まさか……ウィリアム王子?」


 ものすごく嫌そうな顔で尋ねられた。ウィルが首を縦に振ると、カルロはますます渋い顔をした。


 いつの間にか側に来ていたローリーが、カルロの顔をまじまじと覗き込む。


「シェリルを取り戻しに来たのか?」

「ローリー君。いつの時代の話をしてるんだ。そんな話よりまずこの状況を何とかしてくれないかな。怖いよ、君の弟」


 怖いといいつつもカルロは全く怯えていなかった。今にも刺されそうになっているというのに、超然としている様はいやに貫禄がある。


「シャウラ国の差し金か?」


 ウィルの問いにカルロは大仰なため息を返した。


「あんなぶっ飛んだ国に手を貸すわけないだろう」


 言いながら、カルロは手に持っている剣を遠くへ放り投げた。これ以上やり合うつもりはないという意思表示だろう。


 ウィルは剣を構えたまま逡巡(しゅんじゅん)した。武器を手放したからといって油断できる相手ではない。自由に動けない程度の怪我は負わせておくべきだろうか。


 そんなことを考えている間に、カルロは平気な顔で足を踏み出し、歩き出そうとしていた。突き付けている剣が彼の体に刺さりそうになり、ウィルはとっさに後ずさってしまう。


 心臓を貫かれる危機からあっさり解放されたカルロは、にやりと笑って「どうも」と呟いたあと、ローリーの方に足を向けた。


 護衛たちがすかさず行く手を阻む。カルロはローリーに近づくことを諦め、からかうような口調で言った。


「飼い犬に手を噛まれたんだって?」


 ローリーは冷え冷えとした視線を返す。


「泣き顔でもご覧に入れようか?」

「やめろよ、同情してしまうだろう。民兵の命を奪った張本人を、そうとは知らずに可愛がってたってだけでも哀れなのに」


 ローリーは完璧な形状の瞳をゆっくりと細めた。やがてカルロの言葉の意味を理解したようで、わずかに表情をひきつらせる。


「そうか。飼い犬ですらなかったんだな」


 吹けば飛んでしまいそうなローリーの声に被せるように、カルロは短く告げた。


「助けてやろうか?」


 その言葉に、ローリーだけでなく、ウィルと護衛たちも眉をひそめた。ローリーは警戒心を隠さず、疑り深くカルロを見つめる。


「助ける? 何を?」

「人質全員、助けてやるよ。お望みとあらばシャウラ国の殺し屋も全員、捕まえてやろう」


 何秒か沈黙が続いた後、ローリーはゆっくりと口を開いた。


「見返りは?」

「アケルナー国と同盟を結んだら、差し出す予定だった炭鉱があるだろう。同盟の話は白紙になるようだし、いらないなら欲しいんだよなぁ、その炭鉱」

「炭鉱? 冗談だろ」

「本気なんだよね、これが」

「大国と取り引き出来るほどの資産だぞ。個人が所有しても、持て余すだけだ」

「なぁ、ローリー君。俺はシャウラ国が人質にしている使用人を横取りして、君を脅すことだって出来るんだぞ。それをわざわざこうやって対等な取り引きに持ち込もうとしてやってるんじゃないか。出し惜しみなんて、するものじゃない」


 ウィルは心のなかで舌打ちした。対等なんかじゃない。この男はアーノルドの正体を知っていながら、この機会をずっと狙っていたのだ。表面上は交渉の体をとっているが、実際のところはただの脅迫だ。


「兄上、耳を貸さないで下さい。シャウラ国とアケルナー国は手を組んでいるんですよ。スプリング家も、信用できません」


 ウィルの言葉を聞いているのかいないのか、ローリーは神妙な顔で黙り込んでいる。嫌な予感がしたらしく、護衛たちも口々に説得をはじめた。


「このまま逃げるべきです、陛下」

「こいつはシャウラ国の手先に決まっています」

「一刻も早く安全な場所に行きましょう」


 眉間にしわを寄せながら答えを出しかねているローリーを、カルロは面白そうに眺めている。


「炭鉱で人の命が買えるなら安いものだと思うけど。でもまぁ、無理強いはしないよ。逃げたいなら逃げればいいさ。そうそう、この先の道は綺麗に掃除しておいたよ。初回限定の無料サービスってやつだ」

「聞かないで下さい。行きましょう、さぁ早く」


 ウィルは必死に兄の腕を引っ張った。本当に使用人全員の命を救えるなら素晴らしいが、そんなにうまい話があるわけがない。何よりこのカルロという男、胡散臭すぎる。


 ウィルの思いとは裏腹に、ローリーの足は地面に縫い付けられているみたいにその場から動かなかった。完全にカルロの手中にはまってしまっている。


「本当に、全員救えるのか? 無傷で?」


 すがるような声でローリーが言った。カルロはわが意を得たりとばかりに笑みを深くする。


「ああ、約束しよう」

「……アーノルドも、殺さず捕らえることは出来るか」

「我々スプリング家を信用するというなら、国王陛下、何もかもあなたの仰せのままに致しましょう」


 ウィルの背中には冷や汗が滲んでいた。甘い餌につられればろくなことにならないと誰だって知っている。だというのにローリーは、アーノルドに裏切られたせいで判断力を失ってしまっている。


「しっかりして下さい、兄上! こいつは仲間の耳を切り落とそうとするような男なんですよ。信用なんかできるわけないでしょう」

「悪い、ウィル。もう決めた。もう二度と同じ過ちは繰り返したくないんだ。カルロ・スプリング、あなたに炭鉱を譲ろう。だから頼む。助けてくれ」


 言葉を失うウィルと対照に、カルロは感嘆の声を上げた。


「君は話のわかる男だと信じていたよローリー君! じゃあさっそく、可哀想な子羊たちを救いにいこうか。何なら君たちも一緒に来るかい? 観客がいるとやる気が出るんだよ。俺は生まれながらのエンターテイナーなんだ」


 わけのわからないことをペラペラと好き勝手に喋るだけ喋って、カルロはさっさと歩き出してしまった。


 ウィルは呆然と立ち尽くしながら、国が滅びるかもしれないな、と真剣に思った。だめ押しの説得をしようとローリーに視線を向けて、思わず息を呑む。


 カルロの背中を見送るローリーの口元が、完璧な弧を描いていた。


 この顔は知っている。何もかも計算通りに事が進んだとき、兄はこんな風に、笑うのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ