110.三すくみ
シェリルがアーノルドの正体に感づいたのは、人身売買やら何やらの罪を着せられて地下牢に放り込まれたときである。
スプリング家の存在をルドベキア軍が否定したために、シェリルは地下牢に入れられることになった。しかし元々、スプリング家の存在は証明できないということを、国軍は承知していたはずだった。正体不明のシェリルをジェイミーの監視つきで自由にさせていたのはローリーだ。彼の一存で、シェリルは好き勝手に動き回ることが出来た。だからこそ人身売買の件を突き止めることが出来たのである。
人身売買の黒幕を暴こうとしていたシェリルを閉じ込めることは、ローリーの本意ではなかっただろう。しかし彼は国軍の決定に抗わなかった。
そこまで考えて、ひらめいた。アンタレス国の頂点に君臨するローリーには、もしかしたら、逆らうことが出来ない相手がいるのではないだろうか。シェリルを拘束すべきだと言われたら、その通りにしてしまうような相手が。
その人物は容易に想像がついた。
十六年前、ローリーは身寄りのない孤独な身の上の男たちを戦場に送り込んだ。生き残りはたった二人。一人は騎士隊の隊長、アーノルド・キャンベル。そしてもう一人は衛兵隊の隊長、クライド・ダルトン。
神官見習いのアンディに借りた本に、この二人のことが詳しく記されていた。
その本によると、戦いを生き抜き国軍の医務室に運び込まれたアーノルドは、見舞いに来たローリーにこう訴えたという。
仲間を守れなかったことが心残りでならない。だから、もう一度チャンスが欲しい。どうか騎士隊に入隊させてほしい。
一度望みを聞き入れれば、要求はどんどん大きくなる。そう予感した貴族院は、生き残った民兵には年金を受けとる資格を与えるだけで十分だと、あらかじめローリーに忠告していた。
それでもローリーはアーノルドの望みを二つ返事で受け入れた。上流階級の巣窟である騎士隊の中で浮いてしまわないよう、爵位まで与えた。
アーノルドより長く寝ついていたクライドも、回復したのち、国軍に入りたいと言い出した。彼は軍人という肩書きを手に入れて人生をやり直したかったのだ。衛兵になりたいという彼の望みも、ローリーは当然のように受け入れた。
二人の生き残りは、貴族院が考えるほどに厚かましくはなかった。二人は国軍に入団してからというもの、真面目に学び、訓練をこなし、自らの手で出世の道を切り開いた。軍に入団すること以外には何も望まず、十五年間、一貫してローリーに敬意を払ってきた。
だから皆忘れてしまっている。ローリーがこの二人には逆らえないということを。未だに民兵たちの死を引きずって、自国の人間を戦場に赴かせることが出来ないローリーは、アーノルドとクライドのどんな要求もはねつけることが出来ないということを。
つまり、二人のうちのどちらか、あるいは両方が、シェリルを拘束すべきだとローリーに進言したのだ。
牢に入れられたとき、どちらの仕業かすぐに見当がついた。
バート・コールソンが最後に捕らえられていた牢。そこは自力で脱獄することなど不可能な場所だった。
バートの脱獄に関する報告書にはこう記されている。あのときバートは拘束具を自力で外し、牢の外に出ようとしていた騎士に、襲いかかったのだと。
シェリルには、あの枷は外せない。でもバートは外せた。それは彼がとびきり優れた技術の持ち主だったからか。あるいは、誰かが彼に手を貸したのだ。
バートの尋問は騎士隊に一任されていた。それはつまり、シャウラ国が雇った殺し屋を脱獄させた人間が、騎士隊にいるかもしれないということ。
疑いは、アーノルドがミスを犯してくれたおかげで確信に変わる。
シェリルが地下牢に閉じ込められた、数日後。
神殿暮らしの少女たちを売ろうとしていた、自警団の男たちをウィルが偶然捕らえた。男たちが自白したことで、人身売買の黒幕がシャウラ国であることが明らかになった。
焦ったアーノルドは、ローリーや国軍の関心をシャウラ国から逸らすため、内戦を引き起こすことを試みる。自警団の人間を理不尽に拘束し、国軍との関係を悪化させようとしたのだ。
苦し紛れの企みは最終的に、騎士隊の部下たちによって食い止められてしまう。おまけに拘束したシェリルも解放されてしまった。
これ以上怪しまれるような真似は出来ないと思ったのか、それ以来アーノルドはずっと大人しくしていた。
それでもシェリルは一連の出来事により確信した。アーノルドはシャウラ国と通じている、裏切り者なのだと。
シェリルの説明を静かに聞いていたジェイミーは、呆然としたままゆっくりと口を開いた。
「ダルトン隊長は? あの人はシャウラ国と通じていないのか?」
衛兵隊長、クライド・ダルトン。彼はアーノルドと共に民兵の生き残りとして国軍に入団した。アーノルドの仲間であると勘ぐってしまうのも無理はないが、シェリルは首を横に振る。
「私も最初はそう疑ってたんだけど、違うみたい。彼は予定外に生き残った本物の民兵なの」
戦場に送り込まれた民兵は何千人といたので、クライドは恐らく、本物のアーノルドの顔を覚えていなかったのだろう。だからアーノルドの正体に気づけなかった。
だがここ最近、彼はアーノルドのことをなんとなく不審に思っていたようだ。騎士隊を監視すべきだと団長に何度か訴えていたらしいが、元々騎士隊長と衛兵隊長の仲は険悪だったので、真剣に取り合ってもらえなかったようである。
「でも、偶然が重なっただけで、隊長は本当にただの民兵の生き残りなのかもしれない。その可能性はあるだろう?」
すがるようなジェイミーの声に、シェリルは少しだけ胸が痛んだ。
「実はカルロさんが一度だけ、アーノルドと話をしているの」
「話をしたって……それ、いつの話?」
「その……あなたが殺されそうになった日のことよ。私に手紙を渡すように頼んだら、簡単に応じてくれたって」
シャウラ国はアンタレス国にスパイを送り込んでいることを、アケルナー国に明かしていた。本当にスパイがいるのかどうか確認するよう、カルロは国王に命じられていたのだ。
今度こそシェリルの胸ははっきりと痛んだ。ジェイミーにとって、アーノルドの裏切りは相当ショックなことだったらしい。二の句が告げずに絶句している。
シェリルは急ぎ、励ましの言葉を付け加える。
「手紙の内容は知らなかったはず。あなたを暗殺しようとしていたことを知ってたら、アーノルドは絶対、黙ってなかったわ。きっとそうよ」
本当のところはどうか分からない。それでもシェリルは何となく、ジェイミーが殺されそうになることをアーノルドが知っていたら、現状は大きく違っていたのではないかと思うことがある。
「それじゃあ、シェリルと隊長は最初から、味方同士だったってこと?」
ジェイミーの問いにシェリルは思わず閉口する。
シェリルはアンタレス国にいる間、アケルナー国とシャウラ国が手を組んだことを知らなかった。
そしてシャウラ国は多分、スプリング家という組織が実在すること自体知らされていなかった。
だから状況だけ見れば味方と言えるが、お互いのことは全く信用していない。それにスプリング家はアケルナー国というよりも国王個人に仕えていたため、厳密に言えばシャウラ国の味方ではないのだ。
シェリルがそう説明すると、ジェイミーはとりあえず納得したというように頷いた。
動揺しているジェイミーに全てを話して聞かせるべきか、今さらながらシェリルは悩んだ。だが結局、話を続けることに決める。
「実は今、王宮は封鎖されてるの。正門も裏門も中から閉じてあって入れない」
ジェイミーの表情が強ばる。
「隊長の仕業なのか」
「ええ。それとシャウラ国の殺し屋たちのね。彼らはローリーの命を狙ってる。でも心配ないわ。じき裏門が開くから」
「裏門が? 何で?」
「王宮には使用人のふりをしたスプリング家の人間が潜んでる。私が中に入れるよう、彼らがこっそり裏門を開けておいてくれる予定なの。だからもしジェイミーが王宮に行きたいって言うなら、それは可能よ」
ジェイミーは眉間にしわを寄せた状態でしばらく黙りこくったあと、ぽつりと疑問を口にした。
「何でスプリング家が王宮に?」
「この機に乗じて、カルロさんがローリーと取引するの。これはアンタレス国にとって悪い話じゃないわ。きっと何もかも上手くいくはず。だから安心して」
見るからに不安そうなジェイミーに対し、シェリルは努めて明るくふるまった。
努力のかいあってか、ジェイミーはやがて気の抜けたような笑みをこぼした。
「じゃあ、王宮に行けばまた会えるんだ」
一瞬、アーノルドのことを言っているのかと思った。しかししばらく考えて、今のは自分に向けられた言葉なのだと理解したシェリルはみるみる頬を赤らめた。
気恥ずかしくなってしまい、視線を手元に落としながら頷く。
そっか、と優しく呟いたジェイミーは、何を思ったのかシェリルの左耳に手を伸ばした。それから、ナイフで切りつけられた傷あとを指先で確かめるようになぞっていく。
「あの、ジェイミー。私、本当にもう行かないと」
情けないほど小さい声で訴える。まるで大切なものに触れるような、そんな触れ方をジェイミーがするものだから、振り払いたいような受け止めたいようなちぐはぐな思いが胸のなかに渦巻いた。
やけに冷たい指は、頬をたどって唇に移動するかどうかというところで、名残惜しげに離れていった。
「何をするつもりか知らないけど、くれぐれも気を付けて」
そう言ったジェイミーの表情は、何やら他にも言いたいことがあるというように、釈然としない。
どうしたのか気になりはしたが、本当に時間がなかったのでシェリルは急ぎ王宮に向かうことにした。
ではのちほど、と片手を上げたあと、先程入ってきた窓に足をかける。すると背後でジェイミーの笑い声が響いた。なぜ笑われたのか分からず首を傾げて見せると、頑なに窓から出入りしようとするのが面白いという答えが返ってくる。
笑われたことは不満だが、ジェイミーが笑顔でいられるなら何度でも窓から出入りしようと、シェリルは謎の決心をした。




