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10.敵か味方か

 ひんやりと肌寒い地下牢の一室。カビ臭く薄暗い部屋で、蝋燭の火が二人分の影を揺らした。鬱々とした気持ちを吐き出そうと、ジェイミーは重たいため息をつく。


 シェリルの両腕は現在、後ろ手に拘束されている。彼女がほんの少し身(じろ)ぎするだけで、金属のぶつかる重厚な音が反響した。机を挟んで向かいに座っているジェイミーは、何とも形容しがたい気分でシェリルに視線を向けた。


「これは紹介状。半年前、君が使用人試験を受けたとき王宮に提出したものだ。間違いない?」


 ジェイミーは白い封筒を机の上に置いた。シェリルは封筒を覗き込み、頷く。


「ええ、間違いない」

「この紹介状によると、君の名前はシェリル・ミロノワで、歳は十八、以前はルクバト国のシェルタン侯爵家に仕えていたということになってる。どれが嘘でどれが本当?」

「歳は本当。本名は言った通りシェリル・スプリング。その他に書いてあることは全部嘘よ」


 シェリルの答えを聞いて、ジェイミーは数秒考え込み、口を開く。


「この紹介状、雇用するときにちゃんと調べてあるんだよ。筆跡は間違いなくシェルタン侯爵のものだった。封蝋も本物。証明書もある。一体どういうわけだ?」


 シェリルは苦笑しながらジェイミーの疑問に答えた。


「文書の偽造なんて見本があれば誰にでも出来る。もっと優秀な鑑定士を雇うか、紹介状なんかで他人を信用しないことね」

「肝に銘じておくよ」


 ジェイミーは愛想笑いをしつつ、シェリルの言葉を調書に記した。再び重い沈黙が降ってきて二人の気分を降下させる。シェリルは観念したというように、ひとつ深呼吸する。


「いいわ、分かった。大人しくしてるから、殴るなり刻むなり好きにして」

「そう言われても……」


 ジェイミーはシェリルの決意表明に頬をひきつらせる。


 目下、ジェイミーを悩ませているのは机の上に並ぶ拷問器具である。シェリルが本当にスプリング家の人間なのか、その他諸々の話が真実であるかを調べるために拷問しろと隊長がジェイミーに命じたのだ。とはいえ、拷問などしたこともされたことも無いジェイミーは途方に暮れているのである。


 微動だにしないジェイミーを無視して、シェリルは両手を机の上に差し出す。


「骨を折るとか爪を剥ぐとかなら、なんとかいけると思う。さあ、ひと思いに!」


 シェリルの言葉に、ジェイミーは困り果てて黙り込む。シェリルは並んでいる器具の中からペーパーナイフのようなものを選びとり、ジェイミーに差し出した。


「初心者はこれがいいと思う。爪の間に刺して使うのよ。こうやって」

「もういい。わかったから、やめてくれ」


 ジェイミーは実演をはじめたシェリルから器具を取り上げた。


「血が苦手なの?」

「まぁ、ものすごく得意というわけではないけど」


 ジェイミーは言いながら全ての拷問器具を机の端に追いやる。


「拷問しないの?」

「やめとくよ。俺の方が参りそうだし」

「でも、あの隊長に怒られるんじゃない? やっぱり一枚くらいは爪を……」


 ジェイミーはいい加減、協力的過ぎるシェリルに辟易していた。そもそもジェイミーがこの役目を(たく)されたのも、ジェイミーに対してはシェリルが妙に及び腰であることに隊長が気付いたからである。


 シェリルはシェリルで、居心地悪く両手の指をぐるぐる回したりしていた。


 ジェイミーは場を仕切り直すために姿勢を正し、尋問を再開する。


「自分がスプリング家の人間であると証明出来る?」

「それは出来ない。残念だけど」


 本当に残念だという顔で、シェリルは言った。


「やけにはっきり言うんだな」

「証明出来ないようにしてあるの。うさん臭い話なのは百も承知だけど」

「じゃあ、なぜ自分がスプリング家だと明かしたんだ? アケルナー国にとっては不味い話じゃないのか」


 ジェイミーが尋ねた瞬間、シェリルは拗ねたように口を尖らせた。


「そうよ。でも、仕方なかった。だってあのままじゃ、スプリング家がウィリアム王子を襲撃したあげく、人質を取って殺そうとしたってことになってたでしょ? 同盟の話は間違いなく駄目になる」


 ジェイミーは確かにと頷いた。万が一あのまま人質が殺されていたら、アケルナー国がいくら弁明してもアンタレス国は聞く耳を持たなかっただろう。おまけに主犯は秘密組織。話が(こじ)れない筈はない。


「アンタレス国に潜入していた目的は?」


 シェリルは遂に来たかというように表情を険しくした。


「それは……」


 そのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。ジェイミーとシェリルは驚いて同じ方向に目をやる。扉の向こうから現れたのは、とんでもなく機嫌の悪い様子の隊長だった。


「なんだこの平和な空気は。気に障るな」


 どかりとジェイミーの隣に腰掛けた隊長は、机のすみに追いやられた拷問器具をしけた顔で見やった。


「あのー、これは、その……」


 なんとか言い訳を捻り出そうとするジェイミーの隣で、隊長は興味ないと言うようにヒラヒラと手を振った。


「あー、もういいもういい。どうせ無理だと思ってた」


 ジェイミーが先程聞き出したことを報告すると、隊長はますます不機嫌な顔つきになった。

 シェリルは身を乗り出し、凶悪な顔つきで紹介状を睨んでいる隊長に声をかける。


「あの偽物から何か聞き出せた?」

「なぜお前に話さなきゃならない」


 隊長に睨み付けられても、シェリルは涼しい顔だ。


「何も聞き出せなかったの?」


 シェリルの無邪気な質問は、隊長の神経に多大なダメージを与えた。隊長の周囲にどす黒い何かが広がっていくのを察して、ジェイミーは冷や汗を流す。


「た、隊長。深呼吸してください。血管が切れますよ」


 ジェイミーの忠告を受けどうにかこうにか己を取り戻した隊長は、それでもやっぱり機嫌の悪い様子でシェリルに鋭い視線を向けた。


「シェリル・スプリング、こちらの質問にだけ答えてもらう。お前はバートがシャウラ国の殺し屋だと、どうして気付いた」


 高圧的な態度の隊長に臆することなく、シェリルは飄々(ひょうひょう)とした調子で答えた。


「侵入者が現れたって聞いたときからシャウラ国の仕業だと思ってた。そう考えるのが普通でしょ?」


 シェリルの言い分に、ジェイミーと隊長は決まり悪く閉口する。


 シャウラ国とは、アンタレス国に隣接している小国である。元々はアンタレス国の一部だった土地が、遥か昔に独立してシャウラ国になったと言われている。そのせいか、シャウラ国のアンタレス国に対する執着は昔から並外れていた。豊富な資源を有するアンタレス国を手に入れたいという国はままあったが、シャウラ国の執念深さにはどの国も遠く及ばなかった。


 シェリルの言う通り、普通に考えれば侵入者の正体はシャウラ国だと見当をつけるところだ。しかしジェイミーたちがその考えに思い至らなかった理由は、アンタレス国民であれば十分に理解できるものであった。




 十六年前、アンタレス国とシャウラ国の戦いが熾烈(しれつ)を極めていた頃、先王が心労で倒れた。国政を引き継いだのは当時十九歳だったローリーである。

 ローリーが利発な青年であったことは周知の事実だったが、成人して間もない子供が国を治めることに誰もが不安を抱いていた。何とか綱渡りのような状態で続いてきたアンタレス国も、ついにシャウラ国の手に落ちてしまうと国中の人間が覚悟していたのだが、ローリーの技量は人々の予想を遥かに上回るものだった。たった一年で、シャウラ国を完全に退けてみせたのだ。

 待ち望んでいた平和が訪れたにも関わらず、偉大すぎる王の誕生に国は右へ左への大騒ぎとなった。アケルナー国にまでその伝聞は届き、アンタレス国に神が舞い降りたと誰もが口にしているという噂が、さらにアンタレス国に届いたほどである。


「正直、陛下がこの国を治めている間は、シャウラ国が何か仕掛けて来ることはないと思ってた」

「確かにここ十五年シャウラ国は大人しくしてるみたいだけど、アンタレス国がアケルナー国と手を組むなら話は別でしょう」


 ジェイミーの考えに対し、シェリルは真剣な口調で持論をぶつける。


 シャウラ国は恐らく、ローリーが退位するまで侵略の機会を待っていたのだ。しかしアンタレス国がアケルナー国を味方につけるとなれば、悠長なことは言っていられない。アケルナー国の軍事力は相当なものである。同盟締結と同時に、侵略の可能性は半永久的に無に帰することとなる。焦って殺し屋を送ってきたのだとしても、何ら不思議なことはない。


「シャウラ国を疑った理由は分かった。バートの名前を知っていた理由は?」


 隊長の問いに、シェリルは得意げに胸を張って見せた。


「シャウラ国が雇ってる殺し屋たちの名前は元々把握してた。警戒するようにと仲間から忠告を受けてたの。で、試しにかまを掛けてみたらあの男はまんまと引っ掛かったってわけ」


 隊長は渋い顔を崩さず、シェリルの話を聞き終わると同時に口を開いた。


「話は分かった。次の質問だ。お前は何故アンタレス国に潜入していた」


 シェリルはニヤリと笑って、隊長を真正面から見据える。


「教えてあげてもいいわよ。私の提案に乗ってくれるならね」


 挑戦的なシェリルの態度に、隊長は語気を強める。


「交渉には応じない。言わないなら力ずくで聞き出すまでた」


 繊細な者なら怯んでしまいそうな空気だが、シェリルはけろりとしている。


「言ったでしょう。良い知らせと悪い知らせがあるって。私の提案はこの国にとって、まさしく良い知らせなの」

「よく聞け。何を言われてもお前の提案は飲まな……」


 隊長は言いかけて、何かに気付いたように動きを止めた。数秒黙り込んだあと、ゆっくりとジェイミーに視線を投げる。


「ジェイミー、お前、この女の拘束解いたのか」

「まさか。そんなことするわけ……」


 ここでジェイミーもハッとした。後ろ手に拘束したはずのシェリルの両手は今、机の上にある。


 ようやく気付いてもらえたことに大満足といった様子のシェリルは、どこからともなく黒い玉を取り出した。掌で握れる程の大きさの玉には、細長い紐が巻き付いている。


 その光景を認めた瞬間、ジェイミーと隊長は顔面蒼白で立ち上がった。あの黒い玉はもしかしなくてもアレだ。爆発するアレだ。


 ジェイミーと隊長が動くより早く、シェリルは爆弾と思しき物体を後ろに放り投げた。玉はシェリルの背後にある室内を照らす蝋燭にぶつかり、コロコロと地面に転がった。うまい具合に引火したようで、室内には瞬く間に真っ白い煙が充満する。


 右を見ても左を見ても真っ白い世界と化した牢獄。いくら待っても爆発する気配はない。どうもおかしいと不審に思ったジェイミーの隣で、隊長が怒鳴り声を上げた。


「おいジェイミー! 足を踏むな!」

「踏んでません」

「何!? じゃあお前は……あ、おいやめろ! どこ触ってんだよ!」


 何やらジェイミーの隣でひと騒動起きているらしい。しばらくして、ガチャリと鍵が開くような音がした。部屋の扉が開き、流れてきた風で煙が段々と薄くなっていく。煙の中から姿を現した隊長はげっそりと椅子に腰かけていた。開け放たれた扉の向こうには、してやったりという表情のシェリルがいて、手には鍵の束が握られている。


「煙幕よ。びっくりしたでしょ!」


 鼻唄でも歌い出すんじゃないかと言うほど機嫌よく、シェリルは鍵の束をクルクル回しながら言った。隊長は怒鳴る気力も失ったようでうんざりと頭を抱えうなだれている。シェリルは鍵束を隊長に返すと、先程座っていた椅子に再び腰かけた。


「私は敵じゃない。だからこそ牢に入れられても逃げないで質問に答えてるの。でも、この先気が変わらないとは言い切れないわよ」


 自信満々に言ったシェリルを虚ろな目で見やった隊長は、深いため息をついた。


「……提案とやらを話してみろ」


 シェリルは意気揚々と上半身を乗り出した。


「私の要求は一つだけ。この国で自由に生活できるようにして欲しい。監視は何人つけてもいいし、四六時中見張ってもらって構わないわ。アケルナー国に反すること以外なら、どんなことでも引き受ける。もしまたシャウラ国が殺し屋を送り込んで来たときは、もちろんアンタレス国に手を貸すつもり」

「アンタレス国にとってやけに都合のいい話だな。何を企んでる」


 隊長は疑心の目をシェリルに向ける。シェリルは隊長の疑問に答えることなくニコリと微笑んだ。


「一週間あげる。賢い選択を期待してるわね」


 話は終わってしまったようだ。隊長はイライラと人差し指で机を叩き、何かを考え込んでいる。面倒な話になってきたなぁとジェイミーが考えていると、先程シェリルが開け放った扉の向こうからバタバタと足音が聞こえてきた。扉の向こうから顔を出したのは、青い顔の騎士たちである。騎士の一人が口を開く。


「バートに逃げられました」


 隊長は机に勢いよく頭を打ち付けた。

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