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108.忠誠と愛情の狭間で

 輝く夜空は宝石をふんだんにあしらった天蓋(てんがい)のようで、馬に乗り王宮を目指していたアーノルドはその絶景に思わず目を奪われた。


 月が地面を照らしているおかげで、松明を掲げていなくとも遠くの道までよく見渡せる、そんな夜だった。


 正門を警備していた若き衛兵は、アーノルドの姿を認めた瞬間緊張したように表情を引き締めた。軍学校を卒業したばかりの彼は、まだ上官と接することに慣れていないようだ。


 馬からひらりと降り立ったアーノルドは、いかにも軍人らしいしっかりとした足取りで衛兵に近づいた。


「伝令だ。軍の本部に侵入者が現れた。万が一に備え王宮を封鎖する」

「え、今すぐですか?」

「王室に危険が及ぶ可能性があると団長が判断した。よって今から国軍は国王陛下の安全を確保することを最優先する。水や食料はあるだけ積んできた。荷馬車が門の内側に入ったら格子を落とし、付近に配置されている衛兵を集めろ」


 きびきびとした口調に、衛兵はうろたえる。


「王宮の封鎖は滅多に行わないことだと習ったのですが……」

「教科書にはそう書いてあるだろうが国軍では年に何度かこういうことがある。訓練だと思って気楽に構えろ」


 言いながら、アーノルドは自分の後ろに付いてきていた軍用荷馬車に向かって片手を上げた。


 軍服を着た御者の男が、無愛想に頷いて手綱を操る。王宮を取り囲む壁と一体になっている正門を、一台の荷馬車がゆっくりとくぐる。


 アーノルドはその間に、外壁の警備をしている衛兵たちを門の内側に呼びつけた。


 格子を落とすことを命じられた衛兵は戸惑いつつも、正門に固定してある鎖を緩めた。滑車がガラガラと音を立てるのと同時に、門の上部に吊り下げられている頑丈なおとし格子が勢いよく落下する。


 付近を警備していた衛兵たちは、わざわざ呼びかけるまでもなくアーノルドたちの側に駆け寄ってきた。


「何事だ? なぜ格子を落とした」

「キャンベル隊長の指示です。王宮を封鎖するようにと」

「何? 騎士隊にそんな権限はないはずだろう」


 困惑する衛兵たちを無視して、アーノルドは御者の男に声をかけた。


「正門の警備はこれで全員だ」


 男は御者席から地面に降り立ち、覇気のない足取りでアーノルドの側に歩み寄った。


「あっそ。それで、こいつら全員殺っちまえばいいのか?」


 赤い徽章(きしょう)を身に付けてはいるが、その男はとても柄が悪かった。明らかに騎士隊の人間ではないと見受けられる男に、アーノルドは冷たい視線を向ける。


「言っただろう。アンタレス国の人間は高く売れる」

「あー、はいはい。アケルナー国と交渉するために奴隷が必要なんだっけ?」


 二人のやりとりに眉をひそめながら、衛兵の一人が声を上げた。


「騎士隊長といえども、王宮の封鎖は自由に行えるものではない。これは何の真似だ」


 アーノルドは無感情に衛兵を見返した。


「説明するだけ無駄だ。どうせ理解できない」

「どうしたんだアーノルド。何か事情があるんだろう。その男は誰なんだ」


 その男、と衛兵が示す柄の悪い男は、面倒くさそうに首を鳴らしたあと荷馬車に向かって声を張り上げた。


「おーい、仕事の時間だ! とっとと出てこい!」


 男の声を合図に、荷台がガサゴソと音を立てはじめる。数秒後、十数人の男女が荷台の中からぞろぞろと姿を現した。

 衛兵たちにとっては知らない顔ばかりだったが、たった一人、見覚えのある男がいた。


「バート・コールソンか……?」


 衛兵の一人が驚愕に目を見開き呟く。約半年前、王宮に忍び込み王弟ウィリアムを襲った、シャウラ国の殺し屋がそこにいたのだ。


「俺の顔を覚えていてくれたとは、光栄だ」


 下卑た笑みを浮かべたバートは、剣を鞘からゆっくりと引き抜いた。

 同時に、荷馬車から出てきた他の者たちも武器を構えた。そしてアーノルドも、当然のように剣を抜く。


 緊急事態だと王宮に知らせなければ。いち早くそう判断した衛兵の動きを、彼らは見逃さなかった。アーノルドが手引きした殺し屋たちは、衛兵たちの意識を慣れた手つきで次々と奪っていった。






「こんなに簡単に忍び込めるなんて、騎士隊長さまさまね」


 気絶している衛兵の腕を縛り上げながら、シャウラ国が雇った殺し屋の一人である女が言った。


 縛り上げた衛兵を足蹴にしたバートは、侮蔑するような目でアーノルドを見やる。


「爵位に仕事に、人望に。この国で生きるのはさぞかし気分がいいんだろうなぁ、騎士隊長。正直なところ、俺が王宮に忍び込まなきゃアンタレス国に寝返ってただろ」


 意識を失っている衛兵を通路の端に横たえていたアーノルドは、無表情のまま口を開いた。


「俺の忠誠はいつだってシャウラ国のためにある。この気持ちが揺らいだことなど一度もない」

「よく言うぜ。俺がスプリング家のふりをして王宮に侵入したときはシャウラ国のことなんて少しも考えてなかったくせに。同盟の話を破綻させるチャンスだったのに、主に報告すらしようとしなかった。あのメイドが俺の正体を暴かなかったら同盟が締結するまで黙っているつもりだったんだろう」


 それまでひたすら淡々としていたアーノルドの表情が、少しだけ苛立ったものに変わる。


「十五年も敵国に放置されたんだ。陛……ローリーの目をごまかすことがどれだけ神経を使う仕事か、お前に分かるのか。騙しうちのようなことをしておいて偉そうに説教を垂れるな」

「ようやく本音が出たな。言っておくが俺は雇われの身だ。長年アンタレス国に身を置いたせいでお前の忠誠心が薄らいでいないか、確認したいというのがシャウラ国の望みだった。だから仕事をしたまでのこと。でもまぁ、十五年間放置されたことをお前が不満に思ってるってことは、雇い主にしっかり伝えておくよ。ウォーレス国王は配下が不満をこぼしていると聞いて、どう思うかなぁ?」


 今度こそ、アーノルドは苛立ちに表情を歪ませた。


◇◇◇


 その男は、シャウラ国の戦士だった。


 シャウラ国に生まれた者は皆例外なく戦いに赴く運命であるから、国のために人生を捧げることを、その男が不満に思ったことなど一度もなかった。


 偉大なるウォーレス国王のために、この身を捧げることこそが本望。そう思って、戦地に送り込まれる日を夢見ながら鍛練を積んでいた男には、ただ一つだけ気がかりなことがあった。


 戦地で命を落とした誇り高き両親に代わって、妻と息子は、男に家族の温かさを教えてくれた。しかしこの二人も、いつかは戦場に送り込まれることになる。そのことを考えると国への忠誠が揺らぎそうになることに、男は時々、罪悪感を覚えていた。


 アンタレス国の国王が倒れ、王太子であるローリーが国政を引き継いだ。この出来事は、シャウラ国に小さな混乱をもたらした。

 ローリーに関する情報をほとんど有していなかったシャウラ国は、彼がアンタレス国を統治することがシャウラ国にとって吉と出るか凶と出るか、予測出来なかったのだ。


 万が一に備え手を打っておかなければならない。そう考えたシャウラ国は、熱心に鍛練を積んでいる配下の一人に目を付けた。紫色の瞳と薄茶色の髪を持つその男は、派手な容姿が特徴のアンタレス人を装っても、恐らく違和感がない。


 負傷兵のフリをしてアンタレス国に忍び込め。

 密偵としてローリー・ハートの動きを監視しろ。


 そんな命令が下ったとき、男は喜びにうち震えた。国王陛下に期待をかけてもらえるなんて、なんて自分は運がいいのだろうと舞い上がった。


 しかし国王本人は、男の忠誠心を全く信用していなかった。


 命令に従うふりをして、男がアンタレス国に亡命するはずだと疑っていたのだ。だから国王は、裏切りを阻止するためにこんな提案をした。


 もしシャウラ国の益となるような結果を残すことが出来たなら、報奨として、妻と息子の身の安全を保障してやろう。

 それはつまり、男の家族は一生、戦場に送り込まれることなく安全な場所で暮らしていけるということだ。


 その提案により、男の心中は忠誠心とは違う、何か別の感情に支配された。責任か、重圧か。男にはよく分からなかったが、なんとしてでも結果を残したいという思いが一段と強くなったことだけは確かだった。


 戦地にて、男はアンタレス人のフリをして、自分と容姿が似ているアンタレス国の民兵に近付いた。


 アーノルド・キャンベルという名の民兵は、家族も友人も恋人もいない、孤独な身の上なのだと何の警戒もせずぺらぺら打ち明けてくれた。男はアーノルドの体に剣を突き立てた。命を奪うことにためらいなどなかった。


 シャウラ国のために命を落とせるなんて、こいつはなんて幸運なんだろう。


 返り血を浴びながら、男は本気でそんな風に考えていた。


◇◇◇


 衛兵を全員縛り終えたことを確認したアーノルドは、荷馬車に積んでおいた銃を持ち出した。国軍の武器庫に保管されていたライフル銃である。


 手渡された銃を両手で構えたバートは、いかにも不満げな声を出した。


「半年前なら自分の武器を持ち込み放題だったのになぁ」


 国境の警備が厳重になってしまったため、殺し屋たちは愛用している武器を何ひとつとしてアンタレス国に持ち込めなかった。恨みがましいバートの視線を感じたアーノルドは、小さくため息をつく。


「俺だってこの半年間遊んでたわけじゃない。お前が人質なんか取って騒ぎを起こすから、あの女が名乗りを上げてしまったんだろう。そのせいで身動きがとれなくなった」


 シェリル・スプリングにはずいぶんと悩まされたと、アーノルドは苦い思いを噛み締める。


 半年間も身動きがとれなかったのは、全てあの女のせいだ。


 人身売買の計画を暴いたことも、アーノルドの正体に感づいたことも、まぁいい。

 突然現れた正体不明のシェリルと、十五年間アンタレス国に潜伏し周囲の信頼を得たアーノルド。周囲がどちらを信じるかなんて、火を見るよりも明らかなのだから。


 しかしローリーがスプリング家に目をつけてしまったことで、厄介な状況に陥った。ローリーの策略にまんまとはまったシェリルは、ジェイミーにすっかり心奪われてしまっていた。アンタレス国に危機が迫るようなことがあれば、シェリルは恐らく、ジェイミーの味方につくだろう。

 シェリル一人だけなら大した問題はない。だが彼女の背後には、スプリング家という得体の知れない組織がある。

 その組織は、いったいどれ程アケルナー国に忠実なのか。シェリルの一言でシャウラ国の敵にまわる可能性はあるのか。そもそもスプリング家はシャウラ国の味方なのだろうか。


 下手なきっかけを与えてしまえば、ローリーの狙い通り、組織ごとアンタレス国の味方に付いてしまう可能性がある。アケルナー国もその後ろに続く可能性が、無いわけではない。もしそうなれば、ローリーの命を奪うことは今以上に難しくなる。


 結局アーノルドは、半年間大人しくしている他なかった。


 最初にシェリルが逃亡したときが、ローリーを暗殺する一度目のチャンスだった。急ぎシャウラ国に連絡し、殺し屋たちをアンタレス国に引き入れたが、ローリーはいつの間にかアケルナー国に旅立ってしまっていた。帰ってきたと思ったら、シェリルを連れているではないか。


 幸いジェイミーがシェリルを追い出してくれたので、邪魔者は消えた。


 ローリーの命を奪い、アケルナー国には分け前としてアンタレス人の奴隷を提供する。だいぶ時間がかかったが、これでアンタレス国は、ようやくシャウラ国のものになるのだ。


 あの方もきっと褒めて下さるだろう。


 地面に横たわる衛兵たちを見下ろしながら、アーノルドは指の感覚が無くなるほどに強く銃身を握りしめた。

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