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104.スプリング家の成り立ち

 とっぷりと日が暮れた頃。


 ウィルとニックは騎士隊執務室で、軍学校の生徒が提出したレポートを採点していた。主な作業は、出版された本の内容をそのままレポートに書き写していないか確認すること。この手間と時間のかかる作業は本来ならジェイミーの仕事であった。しかしジェイミーはシェリルを探しに出たまま待てど暮らせど戻ってこない。


 仕方なく、ウィルとニックは大海原のごとき寛大な心をもって、ジェイミーの仕事を肩代わりすることにした。


 しかしニックの大海原は小さかった。作業を開始して一時間も経たず、彼は大きなあくびとともに持っていた本を背後に放り投げた。


 痛い、という声はウィルの口から発せられたものである。


「信じられない……。軍の備品を放り投げるなんて」


 ニックの背後で本棚を物色していたウィルは、自分の頭を経由して床に墜落した本を拾い上げながら愕然と呟いた。


 ニックはソファーの背もたれに肘をのせ、しかめっ面で振り返る。


「ウィル、お前がジェイミーを真面目に追いかけてりゃ、こんな面倒な仕事を肩代わりする必要も無かったんだ」

「もう好きにさせてやろうよ。周りがあれこれ言ってもジェイミーのためにはならないって」


 子供の教育方針で揉めている親かというくらいに、二人の意見は食い違っていた。有意義かそうじゃないかと言ったらあまり有意義ではない言い争いをしばらく続けていると、扉の向こうからスティーブが現れた。スティーブはウィルとニックを交互に見たあと、何も言わずくるりと踵を返した。


「いやいやいや、待てよ。何で逃げるんだ」


 部屋を出ようとするスティーブをニックがすかさず引き止める。スティーブは警戒心丸出しの顔つきで再び部屋の中に足を踏み入れた。


「ここは敵地だ。お前らジェイミーの味方だもんな。どうせ俺はジェイミーとシェリルの仲を邪魔する悪者だよ」

「そう卑屈になるなよ。誰も思ってないってそんなこと」


 ウィルの言葉をスティーブは全く信用していない様子である。


 スティーブとジェイミーが最近ぎくしゃくしていることは、ウィルとニックもなんとなく理解していた。

 上層部の命令に従いシェリルと頻繁に接触しようとするスティーブに対し、恐らく無意識だろうが、ジェイミーはかなりイライラしていた。察しのいいスティーブはそのことにいち早く気づき、そしてジェイミーと親しい者も自分を(いと)うようになると予測したのだろう。


 ニックはやれやれと頭を振る。


「スティーブ、お前は俺たちがそんなに陰険な人間に見えるのか?」

「お前に関して言えば陰険という言葉ではとても足りないと思ってるよ」

「ふざけんなよ! 誠実という言葉にはニックのような人という意味があるんだ。よく覚えとけ」

「あはは、見ろ。人は無理やり愛想笑いすると今の俺みたいな顔になるんだぞ」


 相変わらず仲の悪いニックとスティーブを前にして、ウィルは一人嘆息した。この剣呑な空気にジェイミーはあまり関係ないのでは、という意見は面倒くさいので口にしないことにする。


「僕たちしばらくここにいるから、もし隊長に伝言があるなら伝えておくけど」


 スティーブはわずかに迷うような素振りを見せたあと、持っていた紙をウィルに手渡した。


「じゃあ、これ渡しといて。シェリルに関する報告書だ」

「ああ、分かった」


 ウィルはなるべく愛想よく頷きながら、やけに薄っぺらい報告書を受け取った。プライドの高いスティーブに対しては、たとえ冗談でもこの報告書の薄さに関して質問してはいけない。ウィルはそのことをきちんと心得ていたが、かたわらで報告書の受け渡しを見ていたニックがスティーブのプライドを尊重するわけがないことも心得ていた。


「何だその報告書。ぺらっぺらだな」


 ピシッと空気がひび割れる音がした。

 スティーブは良く出来た作りの顔をぴくりとも動かさず、視線だけで器用にニックを睨み付ける。


「俺の仕事ぶりに文句があるようだな」

「どうしてそういちいち言葉の裏を読もうとするんだよ。見たままを言っただけだって」

「思ったことを全部口にしないと気がすまないのか。お前の思考回路こそぺらっぺらだな」

「おい待てよ。俺は誰に対しても平等に接してるだけだ。お前みたいに裏表が激しい奴こそ全身ぺらっぺらだわ。報告書と一緒に風に吹き飛ばされてしまえ」


「お、おいニック。これ見ろよ。スプリング家の成り立ちについて書いてある。すごいなぁスティーブは。必ず結果を出すんだから、さすがだよなぁ」


 ウィルは若干声を裏返しながら、険悪な二人の間に無理やり割り込んだ。ニックが何か文句を言おうとしたのでわき腹を小突き、強制的に口論を終わらせる。

 わき腹を押さえて身悶えるニックをはた目に、スティーブは気まずそうに視線を泳がせた。


「別にいいよ、気をつかわなくて。確かにその報告書は内容が薄い」

「いやいや、あれだけシェリルに避けられてたのに情報を引き出したんだから、本当にすごいよ……」


 ウィルは改めて報告書に目を通し本心からそう告げた。


 シェリルは現在、国軍に協力することを断固として拒んでいる。そんな彼女を粘り強く追い回したスティーブは、二つの情報を引き出すことに成功したのだ。


 ひとつは、スプリング家の成り立ちについて。


 スプリング家という組織は元々、身寄りのない子供を積極的に養子に迎える一族であった。

 居住していた国は不明。いつからその活動が始まったのかは分からないが、恐らく百年は下らない歴史がある。

 傭兵のような仕事を請け負うようになったのは、養子が増えすぎて金に困ったから。養子を迎える活動を続けていくために危険な仕事をこなすようになり、スプリング家はいつしか、家族というよりも組織と表現するにふさわしい集団へと変化していった。

 一族の血を継ぐ者はもう存在しないが、一族の理念は今でも受け継がれている。

 大人になることすら出来ず、のたれ死ぬしかない運命の子供には、生きるチャンスと目的を与えること。そして、未来永劫この活動を続けていくこと。これが、スプリング家という組織が存在する理由である。


 シェリルが明かしたもうひとつの情報は、現在スプリング家を統率しているカルロ・スプリングについて。


「奴隷嫌い?」


 報告書の文字を見つめながらニックが訝しげに呟く。ウィルもニックと同様に、眉をひそめた。


 スプリング家という組織がアケルナー国に仕えるようになったのは約三十五年前。

 当時は人手を確保するため頻繁に奴隷を買っていたが、カルロが組織を統率するようになってからの十八年間は、シェリル以外の奴隷を一人も買っていない。

 理由は、カルロが極度の奴隷嫌いであるから。彼は人身売買というものに相当な嫌悪感を抱いていて、売り買いされる奴隷に対してもかなりの苦手意識があるのだという。


「どうしてシェリルだけがスプリング家に買われることになったんだ?」


 報告書を読むよりも直接尋ねる方が早いと思ったウィルは、手元から顔を上げスティーブに疑問をぶつけた。スティーブはウィルに対する警戒心をいつの間にか解いていたようで、素直に質問に答えた。


「国王に命じられたらしい。ああ、亡くなった先王のことだけど。前にシェリルが言ってただろ。『うちの国王は奴隷が金貨よりも価値あるものに見えてる』って」


 アケルナー国の自慢は、世界最大規模の奴隷市場。先代のバリック国王はスプリング家が奴隷を活用しなくなったことを面白くないと感じていた。そこでカルロを呼び出し金貨の詰まった袋を投げつけ、奴隷を買うよう命じたのだ。


 とにかく一度だけ買って見せれば国王は納得するだろうと考えたカルロは、命令に従い奴隷小屋に赴いた。慎重に選ぶこともなく適当にシェリルを選び出し、彼女を組織に迎え入れたのだ。


「カルロがシェリルちゃんを特別扱いしてるっていう、陛下の予想はあながち間違ってないのかな」


 ニックの考えをスティーブは渋々といった態度で肯定した。


「陛下がシェリルを人質にしようとした理由がずっと気になってたんだ。だからシェリルに直接、思い当たることは無いか聞いてみたら、自分だけが奴隷だってことくらいしか思い浮かばないと言っていた。特別扱いされてるなんて本人は思ってないみたいだけど、でも組織の中で一人だけ身分が違うことは無視できない事実だと思う」


 衣類を取引するような感覚で人間を売り買いすると言われているアケルナー国。そんな環境に身を置きながら奴隷を買いたがらないのは、それなりの理由があるからだろう。恐らくカルロには、奴隷に関して何かしらの面白くない思い出があるに違いない。

 ローリーはどうやってかそのことを見抜いていたのだ。ほくそ笑む兄の姿が目に浮かぶようで、ウィルはなんとも言えない気持ちになった。


 三人で報告書を読みながらあれこれ思案していると、執務室の扉が突然あわただしく開いた。扉の向こうから現れたのは騎士隊の新人である。扉を開ける前にノックをするようにとウィルが注意しようとしたとき、新人は焦った様子で声を上げた。


「た、大変です。ジェイミーさんが憲兵隊に拘束されました」


 三人は思わず顔を見合わせ、そして再び新人に視線を移した。ウィルが口を開く。


「理由は?」

「詳しくは分かりませんが、スプリングの逃亡に手を貸したとか何とか……」

「逃亡させたことを馬鹿正直に憲兵隊に申告したのか? 絶好調だなあいつ」


 言いながら、ニックは乾いた笑いをこぼした。

 スティーブは頭が痛いというように手のひらで額を押さえ、ウィルは顔色を青くする。


 三者三様の反応を前に、新人は狼狽(うろた)えるばかりである。


「ど、どうしましょう。これからどうすればいいんでしょうか」

「どうするかだって? そんなの決まってんだろ」


 やけに自信に満ちた声を出しながら立ち上がったのは、ニックである。ニックは両手を腰にあて、その場にいる者たちをぐるりと見回した。


「牢に入ったジェイミーを外から見て、楽しもう。話はそれからだ」


 無駄に勇敢さを備えた面持ちで、ニックは言った。ウィル、スティーブ、それから知らせを持ってきた新人は同時に脱力する。


 まるで鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌よく、ニックは執務室を出ようとした。しかしいつの間にか部屋の前までやってきていた隊長に勢いよく頭を叩かれ、行く手を阻まれる。


「ニック、お前は軍の規則が頭から抜け落ちてしまったのか?」

「そんなものがあったんですか」


 わざとらしく驚いて見せるニックの頭を隊長は再び叩く。

 隊長の背後から疲れた顔を覗かせたのは、副隊長だ。


「同じ隊の人間は査問が終わるまで面会が出来ない。軍学校で教えただろう」


 脱走の手助けをする可能性があるため、軍法会議を開くかどうか決定するまで、拘束されている者と同じ隊の人間は面会が許されていない。軍学校で学んだことを思い返しながら、ウィルは呆然と声を上げた。


「ジェイミーは本当に捕まったんですか」


 隊長はひとつ息を吐いたあと、しっかりと頷く。


「ああ、間違いない。俺がジェイミーを憲兵隊に引き渡したからな」


 隊長の言葉に、副隊長以外は全員目を丸くした。


「どうしてそんなことを……いえ、正しいことですけど……」


 スティーブはもの言いたげな視線を隊長に向ける。


 シェリルが逃げたのだとしたらそれを手引きしたのは間違いなくジェイミーだ。しかし騎士隊が力を合わせれば、真実を隠すことは出来たのではないだろうか。

 隊長はいつ何時でも部下を守ってくれるものだと、騎士隊に所属する者は全員そう思い込んでいる。だからジェイミーをあっさりと憲兵隊に引き渡した隊長に、部下たちは違和感を抱かずにはいられなかった。


 困惑する部下たちを前に、隊長は複雑な表情を浮かべながら事の経緯を語った。

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