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101.神官見習いの助言

 ローリーがシェリルを連れ帰ろうとしている。

 アケルナー国に渡った使者から届いたその知らせは、騎士隊に所属する者たちの頭を悩ませた。


 ローリーの側近が記した手紙には、「陛下はシェリルを人質にしてスプリング家と交渉する機会を得ようとしている」というようなことが書かれていた。


 最初に首をひねったのはスティーブだ。

 側近の手紙には、ローリーがスプリング家と接触した際の会話などが事細かに記されていたが、その内容を見る限り、シェリルはスプリング家の中でそれほど重要な位置にいるわけではなさそうだった。

 金のために敵国に明け渡されるくらいだ。元々単独でアンタレス国に潜入していたのだし、人質としてはいささか頼りないのではないかと、スティーブは言った。


 ウィルはスティーブの考えに同意した。アケルナー国が敵に回ったということがはっきりしているのだ。ジェイミーは明らかにシェリルに肩入れしているし、そこをアケルナー国に利用されることは十分あり得る。


 現在、シェリルは国内を好き勝手に動き回っている。好きにさせておくようにとローリーが国軍に命じたからだ。貴族院や軍の上層部は早急にシェリルを幽閉すべきだと訴えているが、ローリーは聞く耳を持たない。


 シェリルを人質にするというのは、明らかに建前だ。

 しかし本当は何が目的でシェリルを連れ帰ったのか、弟のウィルにも、とんと見当がつかなかった。




 ウィルの話を聞いて、シェリルは考え込む。

 言われてみれば、シェリルを人質にするという考えはカルロの口から出てきたものだ。ローリー自身はその目的をはっきりと口にはしなかった。


「スプリング家を味方につけるっていうのは、ローリーの本当の目的じゃないってこと?」

「味方につけたいとは考えてると思うよ。ただ、君をアンタレス国に置いておく理由は他にあるんじゃないかと、僕は思うけどね」

「理由って、例えば?」

「……ジェイミーのためとか?」


 何かを探るみたいに、ウィルはシェリルの顔を覗き込んだ。シェリルはその仕草を不審に思いつつ、首を傾げる。


「ただ単にジェイミーが抱えてる問題をなんとかして欲しかっただけってこと?」

「いや、なんていうか……。僕の口からはなんとも言えないけどさ、ジェイミーは多分、君のことを大事にしたいと思ってるんだよ。兄上はそれに気づいてるんじゃないかなって」


 あやふやな言い回しでウィルは答えをはぐらかした。釈然としないシェリルの視線に気づかないフリをしながら、ウィルは続ける。


「とにかく、兄上は嫌がらせしてるわけじゃないと思う。拘束しない理由もきっとある。心細いかもしれないけど、あんまり深刻に考えない方がいいよ」

「そうはいかないわ。ローリーが何か企んでるなら、その目的を探らなきゃ」

「やめときなよ。兄上が君の自由を絶対に奪わない保証なんて無いんだし。君に何かあったら、ジェイミーはまた庇おうとするだろうし」


 そう言われてしまっては、大人しくする他ない。これ以上ジェイミーの立場を(おとし)めるようなことは避けなければならないと、シェリルは思い直す。


 ウィルは迷うような素振りをしたあと、シェリルに尋ねてきた。


「どうしても暇だっていうなら、アクラブ神殿に行くといいよ」

「どうして?」

「神官見習いのアンディを知ってる?」


 シェリルの頭の中に、愛嬌ある少年の笑顔が浮かんだ。知ってる、と頷いて見せる。するとウィルは、アンディがシェリルに会いたがっているのだと教えてくれた。

 そういえばずいぶん前に本を借りたまま返すのを忘れていた。そのことについて文句を言われるのだろうかと思ったが、ウィルによると、もっと別の用件があるらしい。


 何でも、シェリルが仲間に宛てて書いた、ローリーの弱点を記した手紙に、アンディがいたく感動しているのだという。なぜシェリルが書いた手紙をアンディが目にしたのかというと、スティーブに協力を求められたからだ。


 シェリルが書いた手紙をどうしても解読出来なかったスティーブは、どういう思考回路が働いたのか、神官見習いのアンディに助けを求めた。そしてアンディはどういう頭をしているのか、暗号を解読し「内通者」という言葉を読み取った。


 それ以来アンディはシェリルが書いた暗号に心奪われてしまっているのだという。どうやってこんなものを編み出したのか、ぜひ聞いてみたいなぁと時々呟いているらしい。


「スティーブの奴、まるで自分が解いたみたいな顔をして……。実際に暗号を解いたのはアンディだったのね」

「スティーブはあと少しってところまで解読してたんだよ。最後の最後にアンディの力を借りたんだ。それでも全部はとても理解できないって、二人とも悔しがってたけどね」


 アンディはシェリルと歳も近いので、自分よりもいい話相手になるのでは、とウィルは言った。

 確かに、彼はアケルナー国に興味があるらしいし、国同士のいざこざとは関係なく好意的に接してくれる気がする。

 シェリルはウィルに礼を言ったあと、さっそくアクラブ神殿へと向かった。


◇◇◇


 相変わらず華やかな(たたず)まいのアクラブ神殿。色とりどりの花に彩られた敷地の一角に、馬や羊を放牧できるほどの広さの畑がある。

 見習いの証である淡いグレーの祭服に身を包んだアンディは、畑のすみに身を屈め雑草を抜いていた。せっせと草を抜く少年の背中を、シェリルは指でつつく。振り向いたアンディは「わぁ」と気の抜けた声を上げた。


「シェリルさん。お久しぶりです」

「私の顔、覚えててくれたのね」

「ジェイミー様が負傷したとき大量の似顔絵が出回りましたからねぇ」


 悪気のない笑顔で寄越された言葉をシェリルはさらっと聞き流した。アンディの隣にしゃがみこみ、一冊の本を差し出す。


「借りてた本を返しにきたの。遅くなってごめんなさい」

「これはわざわざ、ありがとうございます」

「アンディ、あなた、スティーブに頼まれて私が書いた手紙を解読したそうね」


 前置きもなく話を振ると、アンディはぱっと目を輝かせた。


「そうだ! あの暗号、すごいですね! あの意味不明な模様で本当に仲間と意志疎通しているんですか?」


 息急(いきせ)ききって疑問をぶつけてくるアンディに、シェリルは苦笑いを向ける。


「念のため言っておくけど、読み方を詳しく教えたりなんてしないわよ」


 できるだけ厳しい声で忠告すると、アンディは顔色をさっと青くしてうろたえた。


「もしかして僕、暗号を解いたせいで殺されるんですか?」

「殺さないわよ。ちょっとやめて。祈らないで」


 シェリルの言葉を無視し、アンディは天に祈りを捧げはじめる。これ以上スティーブに助言するのをやめて欲しいだけだと伝えると、ようやく冷静になってくれた。


「すみません。取り乱しました」


 少し恥ずかしそうに頬を染めるアンディ。取り乱し方がずいぶんと独特である。


「実は私、あなたに相談したいことがあるの」


 再会の挨拶が一段落したところで、シェリルは思いきってそう切り出した。アンディはきょとんと目を丸くしたあと、すぐに得意げな顔になる。


「迷い人を正しい道に導くことが、神に仕える者の使命です。喜んで力になりましょう!」


 さぁさぁと促され、シェリルはアンディに、現在困っていることをつらつらと打ち明けた。


 ジェイミーを助けるためにアンタレス国に戻って来たのに、ジェイミーのために出来ることがなかなか見つけられないこと。このままアンタレス国に留まれば、仲間を裏切ってしまいそうで不安なこと。


 アンディはとても真剣に話を聞いてくれた。畑のすみでこそこそと話をしている二人の姿は、端から見ればずいぶんと怪しく見えたことだろう。


「騎士隊の隊長様と副隊長様は、今アレース公爵を説得なさっているんですよね。シェリルさんがお二人と協力し合えば、もっとスムーズに事が運ぶのではないですか?」

「一応、提案したわ。でも間に合ってるって言って仲間に入れてくれないの」


 隊長と副隊長はものすごく迷惑そうな顔で、シェリルに対し「余計なことはするな」と釘を刺してきた。

 その時のことを苦々しい気持ちで伝えると、アンディは「そうですかぁ」と呟き考え込んだ。


「僕が思うに、ジェイミー様の抱えている問題を全て解決するなんて、無理だと思いますよ。人間は無いものを欲しいと思ってしまう生き物です。きりがありません。だから見切りをつけて、自由に歩き回れる今のうちにアケルナー国に戻るのが得策だと思いますが」

「それがそうもいかないのよ」


 ジェイミーの曾祖母の形見であるダイヤモンドが、今現在カルロの手にある。金貨三千枚の報酬を得られなければ、ダイヤモンドをジェイミーに返せない。


 アンディはうーんと唸る。


「陛下ははなから報酬を支払うつもりなどないのでは?」

「どうしてそう思うの?」

「報酬を支払わなければあなたはこの国に留まり続けるでしょう。あなたがこの国に留まり続ければ、シャウラ国はアンタレス国に手を出せません」

「それ、どういう意味?」


 アンディは「あくまで想像ですが」と前置きしたあと、自身の考えをシェリルに語って聞かせた。


 王宮舞踏会の日、シャウラ国の殺し屋がウィルを襲った。その事件をきっかけに、シェリルがスプリング家の人間であるということがアンタレス国の一部の人間に知られることになった。

 それ以来、シャウラ国は刺客を送り込んでこない。


「あなたがこの国にいるからシャウラ国は身動きがとれないのだと、陛下は考えておられるのではないでしょうか」

「それは無いわよ。私は三ヵ月以上この国を離れてたけど、何も起こらなかったじゃない」

「シェリルさんがこの国を離れていた期間、陛下もこの国を離れていましたよ」


 それならなおさら、侵略し放題だったではないか。シェリルがそう言うと、アンディはそれは違うと首を横に振った。

 シャウラ国が警戒しているのは一にも二にもローリーである。いくらアンタレス国に攻撃を仕掛けても、事態を収められる人間がどこかで生きていては意味がない。


「シャウラ国がローリーの命を狙ってると言いたいの?」

「狙っていると思います。王位の継承者であるウィリアム殿下が襲われたんですから。国を治める人間がいなくなれば、戦争せずともアンタレス国を支配できますし」

「でも私がいるから襲いに来ないの? アケルナー国とシャウラ国は手を組んでるのに?」

「そこなんですよ。僕にはどうしても、アケルナー国とシャウラ国が上手くやっていけるとは思えないんです」


 アケルナー国とシャウラ国は手を組んだが、両国が見ている方向は全く違う。アケルナー国はローリーと対峙することを避けたい。そしてシャウラ国は、アンタレス国を我がものにしたい。


 アケルナー国はアンタレス国を支配したいとまでは考えていないはずだ。勝てるかどうか分からない戦争に金を使うより、その金で資源不足を補うことを選ぶだろう。


 一方のシャウラ国は何十年もアンタレス国に執着してきた。もはや損得などは考えていないと見える。


 いざとなればアケルナー国は手のひらを返すだろうと、シャウラ国は恐らく気づいている。だからシェリルがいる限り身動きがとれないのではないか、とアンディは話を締めくくった。


「私一人をそこまで重要視するかしら」

「シェリルさんを警戒しているというより、スプリング家という組織を恐れているのだと思います。全貌が分からないから、下手に手を出せないんですよ」


 アンディの予想が当たっているのであれば、シェリルがこの国を去ることで、ジェイミー、アニー、ニックやウィル、リリーなど、親しくなった全ての人が危険にさらされることになる。


「やっぱり、アケルナー国には帰らない方がいいのかな……」


 シェリルの心は、この先ずっとアンタレス国で暮らしていくという結論に大きく傾いていた。そうするしかないと、思いたいだけなのかもしれない。


「シェリルさん。誰かのために自分の人生を犠牲にするというのは、美しいことですが、少し窮屈な考え方でもあります」

「まるでアケルナー国に帰って欲しそうな口ぶりね」


 少し拗ねて見せると、アンディはあははと明るい笑い声をこぼした。


「僕の希望は関係ありません。アンタレス国とスプリング家の仲間と、どちらを選ぶか迷っているということは、どちらも同じくらいに大切だということでしょう。それでもどちらかを選ばなくてはならないなら、誰かのためではなく自分のために決断することをお勧めします」

「どうして?」

「過剰な気遣いが相手を縛り付けることもあるんですよ。もしシェリルさんかジェイミー様のためにこれまでの人生を犠牲にしてしまったら、ジェイミー様も何かを捨てなければならないと考えるかもしれません。誰かの望みと違うからといって、自分の気持ちを曲げる必要なんてないんです」


 シェリルは足もとの土をじっと見つめながら、深く考え込んだ。ジェイミーはシェリルに、仲間のもとに帰るべきだと言ってくれた。あれはジェイミーの本当の望みだったのだろうか。それとも、シェリルのために本心を偽っていただけなのだろうか。

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