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100.行き止まり

「寒い! 最高だ!」


 祖国の地を踏んだニックの第一声である。


 寒いと言っても、シェリルがこの国を去った頃よりは確実に暖かくなっている。三ヵ月以上経っているので当然と言えば当然だが。春の予感に浮き立つアンタレス国は一層華やかさに磨きがかかっているようだった。


 にぎわう王都をアンタレス国軍一行は馬と馬車で進む。

 シェリルは寒いだのなんだのといろいろ理由をつけて馬車に乗ることに成功した。隣にはジェイミー。斜め前にニック。そして正面には関所で合流したスティーブが座っている。馬車の中には緊迫した空気が漂っている。


 馬車が走り出してしばらくして、スティーブが気まずい沈黙を破った。


「内通者だ」

「……え?」


 あまりに唐突に話しかけられたので、シェリルは反応が一拍遅れてしまった。スティーブは平然とした顔で再び言葉を投げてきた。


「内通者って書いてある」


 何の話かは聞かなくても分かる。ローリーの弱点を書いた手紙のことを言っているのだ。だがシェリルは信じられなかった。解き方を知らない人間にあの暗号が読めるわけがないのに。


「何の話かさっぱりね」

「とぼけるなよ。暗号を解いたんだ。内通者と書いてあった」

「あらそう。おめでとう。それで、他にはなんて書いてあったの?」


 スティーブはわずかに悔しそうな表情を浮かべる。シェリルは密かに安堵した。どうやら手紙の内容全てを解読したというわけではないらしい。


「潔く手紙の内容を教えろよ。どうせ仲間の元になんて帰れないんだ。早いところアンタレス国に協力した方がお互いのためになる」

「私が仲間の元に帰れようが帰れまいが、協力する義理なんてないわ」

「じゃあ何のためにこの国に戻ってきたんだ」

「ウィレット家の問題を解決するために戻ってきたの。それだけ。だからアンタレス国に協力はしない」


 はっきり告げると、スティーブは馬鹿にするみたいに鼻で笑った。


「おめでたいな。ジェイミーと仲間と、皆にいい顔しながら上手くやりすごすつもりなのか。そんなこと不可能だよ」


 何か目覚ましく文句のつけようのない言葉を返してやりたかったが、口がついてこない。仕方なくむくれたままスティーブを睨み付けていると、隣に座っているジェイミーが渋々といった風に声を上げた。


「なぁスティーブ、話は本部に戻ってからでいいだろう」

「なぁジェイミー、十五年間身分を偽っていたうえに陛下に反抗したお前には、俺に口出しする権利は無いんじゃないか?」


 突き放すみたいな物言いに、ジェイミーは面食らっている。シェリルも驚いた。スティーブは表面上はいつもジェイミーに友好的だったからだ。

 驚く二人をよそに、ニックはあからさまに顔をしかめていた。


「貴族の血を引いてないと分かったとたんこれだもんな。下々の言葉はスティーブ様のお耳には苦痛でございますか?」

「お前との会話はいつだって苦痛だ。人を差別主義者呼ばわりするのはやめろ」

「じゃあ手のひら返しの名手と呼ぼう。鮮やかな手並みに恐れ入るね」


 げんなりしているスティーブに、ジェイミーは苦笑しつつ声をかける。


「悪いと思ってる。俺のせいでお前がとばっちりを食ってるんだろ。謝るよ」


 まっすぐな謝罪にスティーブは少しだけたじろいだ。


 シェリルは話の流れからなんとなく、スティーブの不機嫌のわけを読みとった。


 スティーブの言葉から察するに、ジェイミーは国軍の信用を完全に失ってしまったようだ。先ほど、彼が言った通りの理由で。

 だから本来ならジェイミーが担うはずだった役目を、スティーブが引き継いだのだろう。アンタレス国に協力するようシェリルを説得したり、手紙の内容について探りを入れたり。ジェイミーであれば簡単にこなせたはずの仕事を押し付けられたことに、スティーブは腹を立てているのかもしれない。


 スティーブはジェイミーに不満げな視線を向けながら言った。


「国のために出来ることがあるのに、それをしようとしないお前が全く理解できない。上手くいくと分かってて何もしないお前には、俺の仕事に口を出す権利は無いはずだ。そうだろう?」


 スティーブはジェイミーの答えをじっと待っていた。困ったような表情のジェイミーは、それでもはっきりとした口調で言った。


「悪いけど、口を出さないと約束は出来ない。軍の方針に逆らって処分されるなら、それでも構わないと思ってる」


 スティーブはわずかに目を見開いたあと、途方に暮れたような表情になる。


「ジェイミー、十五年だ。十五年の努力をこの女のために無駄にするのか?」

「シェリルは関係ない。自分で正しいと思えることをしたいだけだ」

「陛下が下さった最後のチャンスなんだぞ。何もかも上手くいく道があるんだ。それなのに、馬鹿だよお前」

「お前から見たら、ほとんどの人間がそうだろう」


 真剣に取り合わないジェイミーに、スティーブはそれ以上は何も言わなかった。


◇◇◇


 その日、ウィルは書庫で調べものをしていた。

 紙をめくる音だけが聞こえる静かな空間で、ふと違和感を覚えたウィルはゆっくりと視線を上げた。積み上げた書物の隙間から、シェリルの顔が覗いている。


「うわ、びっくりした。どうしたの」

「ローリーに会わせて」


 不機嫌を(かも)し出しながら呟くシェリル。ウィルはとりあえず正面の席をシェリルに勧めて、積んである書物を机の端に寄せた。


「会わせた瞬間殴りかかりそうな雰囲気だね」

「その覚悟はあるわ」

「なるほど……。どうぞそのまま続けて?」


 ウィルが話を促すと、シェリルは(せき)を切ったように愚痴をこぼしはじめた。




 ジェイミーが抱える問題を解決するために、シェリルはアンタレス国に戻ってきた。


 アレース公爵がジェイミーを相手取って裁判を起こすかもしれない、と言ったのはローリーだ。彼はまるで、ジェイミーの人生はこのままではお先真っ暗で救いようがないというような話し方をした。


 しかし実際にアンタレス国に来てみれば、状況はそう悪いものでは無かった。


 冷静に考えれば当たり前の話で、騎士隊は権力者の集まりなのだから、総出でジェイミーを守ることは十分可能なのだ。


 現在、騎士隊の隊長と副隊長がアレース公爵を説得している。あらゆる方面に影響力のある二人に裁判など起こすべきではないと諭されて、アレース公爵は悩んでいるらしい。

 この状況で、シェリルが下手に手を出すことは得策ではない。このまま隊長と副隊長がアレース公爵の説得に成功すれば、ジェイミーはひとまず、罪を問われずに済むのだ。


 ダイヤモンドを失ったせいで離婚の危機にあったウィレット夫妻は、何だかんだ、未だに婚姻関係を継続していた。家督を継ぐ資格のないジェイミーを跡継ぎに仕立てあげたことが社交界で噂になっているので、離婚の申請を見送ったらしい。今離婚すれば様々な憶測を呼んでしまうのでタイミングを見計らっているのだろう。


 つまりジェイミーは今、それほど問題を抱えていない。つまりシェリルは今、することがない。


 ならばさっさと退散するのが身のためだが、今のままでは不安が残る。アレース公爵が説得に耳を貸さずジェイミーを潰しにかかるかもしれないし、ハデス伯爵がやけを起こして夫人と離婚すると言い出すかもしれない。それが起こるのは明日かもしれないし、一年後かもしれなかった。


 ほとほと困ってしまったシェリルは、直接ジェイミーの意見を聞くことに決めた。シェリルが一番知りたいのは、ジェイミーの望みだった。もしジェイミーがシェリルに対して、一生この国に留まって罪を償えと言うのなら、死ぬまでそうする心づもりだった。決意を新たにジェイミーに会いに行くと、たまたま本部を訪れていたリリーと出くわした。


 リリーはシェリルに対して、相当に腹を立てていた。シェリルのせいで両親は離婚の危機。兄は死にかけておまけに異父兄妹であることが表沙汰になってしまったのだから、怒るのも無理はない。

 弁解する隙もなく平手で殴られた。そんなに痛くなかったし仕方がないことだと思ったのだが、ジェイミーはそう思わなかった。


 ジェイミーとリリーはその場で、わりと本格的な兄妹喧嘩をはじめてしまった。とても口を挟める状況ではなく、シェリルはこっそりとその場を去って人目のないところで大人しくしていることにした。


 一人でいろいろ考えていると、ふつふつと怒りが込み上げてきた。


 ローリーはシェリルを人質にしてスプリング家を味方につけたいと考えている。それならばとっととシェリルを拘束して地下牢にでも入れればいい。なぜ自由に動き回れるようにしているのか。

 ジェイミーのためにアケルナー国に戻れなくなることを、見破っていたのか。困っているシェリルを見て楽しんでいるだけなのか。人をおちょくるにも程があるのではないだろうか。


 ローリーに抗議しなければ。そう思って会いに行こうとするのだが、まるでシェリルの行動を予期しているかのように全然捕まらない。


 というわけで、シェリルはウィルに泣きつくことにしたのである。




 話を聞き終えたウィルは、なんとも言えない顔で頭をかいた。


「ジェイミーはちゃんと忠告したんだろ? こうなると分かっててアンタレス国に来ることを選んだんじゃないの?」

「私はね、ジェイミーの役に立ちたくて戻ってきたの。そのためなら何だってやるつもり。でも出来ることがないんじゃ、また迷惑をかけるだけよ。今日だって、会いに行ったせいでリリーと喧嘩させちゃった」


 もうお手上げだと両手を上げて見せるシェリルに、ウィルは同情をこめた視線をむける。


「助けてあげたいけどさ、無理だよ。兄上は僕の言うことなんて聞かないんだから」

「嘘よ。あなたの言うことなら聞くわ」

「まさか。誰の言うことも聞かないよ。それでほとんどのことは上手くいく。だから誰も兄上には逆らわないんだ」


 シェリルは机に積んである本をパラパラとめくりながら、ため息をつく。


「じゃあ、会わせてくれるつもりはないわけね?」

「兄上が君と顔を会わせないようにしてるなら、僕が何を言っても無駄だよ」

「そう、分かった。話聞いてくれて、ありがとう」


 しょんぼりと肩を落とし席を立つシェリル。ウィルは小さな後ろ姿を見て、思わず声を上げた。


「ちょっと待って」


 ウィルが声をかけると、シェリルはゆっくりと振り返った。


「なに?」


 ウィルは再び、正面の席をシェリルに勧めた。そして辺りに人がいないことを確認したあと、潜めた声でとある考えを口にした。

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