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斎藤伝鬼坊

 拙者の名前は斎藤伝鬼坊というらしい。

「らしい」というのは、記憶が曖昧だからである。

 姫様と呼ばれるいい匂いのする女性に「君は斎藤伝鬼坊だよ」と言われ、そうかと思っているだけなのだ。

 拙者には、何かとても無念な事があり、それに由来するのかどうか判然とせぬが、飛んでくる物を叩き落としたいという、強烈な願望がある。

 個数にもこだわりがある。二十二個目の飛来物を叩き落としたいのだ。

 二十二というのは、拙者にとって何か特別な数字なのかもしれぬ。


 姫様の近くにいると、気持ちがいい。

 彼女が発する松脂に似た清冽な香気が好きだ。

 苦痛や悲しみといった感情が、微かに……しかし常に……流れているのも良い。

 拙者は苦痛や悲しみが好きなのだ。

 姫様は

「君は悪霊だったからね。でも、もうやらないものね」

 などと言っている。姫様が言うから、拙者はそうかと思っているだけなのだ。


 拙者は猫の姿形をしているらしい。

 体には、無数の矢傷。

 僅かに残っている記憶では、脚を折られ、ボウガンの的にされて、嬲り殺しの憂き目に遭っている猫の姿だ。

 その映像ビジョンに重なる様に、体中に矢を受け、絶命する侍の姿も見える。

 どちらも拙者の記憶らしいのだが、人間としての生、猫としての生、と、両方の記憶があることになり、少し混乱する。

 混乱とともに、怒りが湧く。平穏の中にいる現在でも、まれに。

 理不尽に生命を奪われたことに対する怒りだ。

 だからあの日拙者は、二つの記憶に導かれるようにして、拙者を殺した者どもを探したのだった。


 ―― 追い詰めて、狩る。


 その事しか考えていなかった。

 喉笛に喰らいついて、絶息するまで牙を食いこませてくれようか?

 この鋭い爪で、その腐ったまなこを抉り出してくれようか?

 そんなことを想像するだけで、グツグツと胸中のマグマのような怒りが、沸騰した。

 拙者を殺した者どもに匂いは記憶していた。

 あとは追跡するだけだったのである。


「だめだよ。恨みに身を任せてしまうと、本物の悪霊になってしまうよ」


 誰にも見えないはずの拙者に、話しかけて来た者がいた。

 それが、今、拙者の相方になっている姫様だったのである。

 彼女は当時、未だ『高等学校』という場所に通っている学生で、現在のようなカーゴパンツと軍用パーカーといった武骨な装いではなく、セーラー服という扮装をしていた。


「脚を剥き出しにしおって、なんという破廉恥な格好だ」


 そんな説教じみた事を、拙者は言った様な気がする。

 その言葉を聞いて、姫様は真っ赤になり、


「え? スカート短いかな? 普通だよね?」


 と、答えたのを覚えている。

 なんと、拙者の姿が見えるだけでなく、思考まで読むことに軽い驚きを感じていた。

 この時の反応は、今では決して見る事が出来ない、初心な反応だったと思う。

 それを聞いて大声で笑ったのは、長髪を一つに纏めた、無精髭の男だった。

 拙者はその時、飛び上がるほど驚いていたものだ。

 これほど近くに居ながら、この男の存在に拙者は気がつかなかったのである。


「せっかく、隠形術で潜んでいたのに、姫様のせいで、台無しだわ」


 笑い過ぎて目の端にたまった涙を指で拭いながら、その長髪で無精髭の薄汚い男が、口からぷっと燐光を放つ紙片を吐き出した。

 その紙片は地面に着くと、雪の様に消えた。


「もう! 小太郎! 『姫様』は止めてって、言っているでしょ!」


 姫様がすねる。

 これもまた、今では見る事が出来ない反応だ。


「いやいやいや……、この外法使いの小太郎、当麻の姫様に仕える身なれば」


 そうお道化て一礼しながらも、この男は視界に拙者を収めているのが分かった。

 拙者の背がさぁっと逆立ったのを思い出す。


 ―― こいつは、拙者を殺そうと思えば殺すことが出来る


 そう本能が告げたのだった。

 邪魔するか、小賢しい娘。

 邪魔するか、胡乱な男。

 自然と威嚇音が拙者の喉から漏れた。

 

 拙者の威嚇を受けて、錦の袋から、外法使いの小太郎とやらが取り出したのが、白鞘の長ドスだった。


「姫様、ご決断を。この怨念を消しますか? この後、必ず悪霊化しますぞ」

 からかうような口調で、小太郎が言う。

 言いながら、すっと腰を落とす。居合腰だと、拙者の古い記憶が囁いていた。


「消滅させては、可哀想。私が、なんとかします」

 きっと、小太郎を睨む姫様のなんと美しい事か。

 一瞬で拙者は魅了されてしまっていた。

「お優しいのは結構ですが、いつか命取りになりますよ」

 長ドスの鯉口をカキンと戻して、やはりからかうような口調で小太郎が言った。

 こいつは、いつも誰かをからかうような口調だった。


「大丈夫、おいで」

 

 姫様の白い指が拙者を招く。

 思わず、そちらに歩きそうになったのを、やっと堪えた。


「怖かったよね。痛かったよね。許せないよね」


 理不尽に生命が奪われるのは、すごく怖かった。

 矢が我が身を貫くのは、灼熱の痛みだった。

 この恨み、晴らさでおくべきか!

 この恨み、晴らさでおくべきか!


「きっと、彼等は報いを受けます。世界は、そうやってバランスを保っているのよ」


 鈴が鳴る様な、姫様の声。

 彼女は、そう言いながら、大胆に拙者に近づいてくる。

 思わず威嚇音が拙者の喉から迸る。

 姫様の後方で、小太郎が緊張するのが分かった。

 だが、姫様は微塵も緊張をしていない。それは、拙者には動きや匂いから探知出来た。

 姫様がしゃがみこむ。

 ぐっと目線が近づく。

 手が拙者に伸びてくる。

 思わず、その手に噛みついていた。

 拙者の小さな牙が、プチプチと皮膚を貫通するのを感じ取れる。

 抜刀の音が聞こえた。


「大事ない! 下がりや!」


 なんだか古風な言い回しで、姫様が言う。

 この時は知らなかったが、彼女は気が昂ぶると、古風な口調になる癖がある。

 小太郎を止め、微笑を浮かべて、姫様が拙者を見た。

「悪霊になったら、もう救えないの。だから、あっちに行っちゃだめだよ。大丈夫、全部伝鬼ちゃんのことは、受け止めてあげる」

 その時、拙者が感じたのは『反感』だった。

 こんな小娘に何がわかるというのか?

 このまま、肉を引きちぎってくれようか……そう考えて、更に牙を食い込ませる。

 怒りと同時に、恐怖を感じていた。

 血が甘露なのだ。

 このまま、この小娘の血を残らず啜りたいという願望が、胸を焼く。

「姫様! 悪霊化が始まっています。 ええい、消しますよ」

 無精髭の男が、さっきまでのからかう様な態度は何処へやら、燐光を放つ札を長ドスで貫き切先をこっちに向けていた。


「下がりや! 新堂小太郎! 二度言わせるでない」


 それでも、拙者に向ける姫様の顔は慈愛の顔のままだった。

 怒りが持続しない。なんだか、馬鹿馬鹿しいような気分が、怒りに取って代わる。

「そう、戻っておいで」

 拙者が噛んでいない方の手が、拙者の頭を撫でる。

「いい子ね。戻っておいで」

 ひんやりとした、姫様の手が心地よい。

「伝鬼ちゃんは、うちの子になろうね。ずっと一緒だよ」

 姫様がそう言ったので、拙者はそうかと思ったのだった。




 午睡から覚める。

 なんだか、昔の事を思い出していたような気がする。

 軍用パーカーに包まるようにして、姫様が眠っていた。

 ジジジ……と蛍光灯が鳴る。

 起き上がって、伸びをした。

 ふと眼をやると、山本とか言う名前の、火薬臭い男が拙者を見ている。

 拙者は飛び道具が好きではない。

 古い古い記憶によるものなのだろう。

 だから、飛び道具を扱うコイツが好きではないのだ。無視してやれ。フン。

 コイツに比べれば、あのいけ好かない『外法使いの小太郎』の方が、まだマシだ。

 そういえば、あの胡乱な男はどうしたのだっけ?

 姫様は

「小太郎は、長い旅に出たのよ」

 そう言って、拙者を抱きしめ、少し泣いたような気がする。

 詳しいことは、記憶にない。

 姫様が旅に出たと言ったので、そうかと思ったのだ。


== 「斉藤伝鬼坊」 (了)==


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