第二章「Apsaras①」
第一部、第二話です
1
あの世界も、だいぶ異世界だったけれど。
「どこだよ、ここ?」
スバルがつぶやくと、セレスがそれに応える。
「ここは、第七世界の……くしっ」
答えながら――くしゃみをした。意外に可愛い。しかし彼女はその金髪を整えた後、もう一度、早口で。
「ここは第七世界の《途絶えた世界》と言ったところで――へくしっ」
「……おい、大丈夫か」
しかし、彼女がくしゃみをしてしまうのにも納得できる。
なにせ、寒いのだ。ありえないほどに。
すぐ目の前には氷の壁。足元には降って間もないであろう雪。その下は氷。
アシュタルテの言ったとおりに厚着をしてきて正解だった。してなかったら今頃死んでた。セレスはワンピース一枚だけなのだけど。こいつは一体どういう神経してるんだ。こっちはコート三枚でも寒いってのに。
まあ、不幸中の幸いか、雪は降っていないのだが。スバルは息をつく。
「で、この世界を束ねる《女神》は“アプサラス”。水なんかを司る神と言ったところです」
「水……?」
辺りを見回すが――氷しかない。水なんてものは面影すらない。
そんな彼の疑問に答えるのはセレスだ。
「神力の低下と言ったところでしょう。水は全て凍ってしまったようですね」
「よくわかんないけど納得」スバルは頷いてから、「で、神様はどこにいるってんだ?」
「どこにでもいますよ。世界というものは、その《女神》自身であると言ったところなのですから」
にこり、と微笑んで応えるセレス。どっからどう見ても小学生――よくて背の低い中学生――にしか見えない彼女だが、その微笑みはどこか大人びていた。
「でもぺたんこだな」
「なっ……! なんのことですか!?」
「いや別に」
それにしても。「理性」って、本当に壊れるものなのだろうか。正直なこと言って、……嘘くさい。ものすごく。
――わたくしの術をもってすればどんなに純潔な女神でも、淫らではしたない一人の女に戻るのですわ。
“アシュタルテ”は確かにそう言っていた。ちょうど目の前にいる純真無垢な少女で試してやりたいものだが――。回数が限られているそうだからやめておく。
「で、神様にはどうやったら会えるってんだ?」
「あ、話していませんでしたか。《神殿》ですよ」
「神殿?」
「ええ。《女神》も、どこにだって顕現できる存在というわけではないのですよ。《神殿》は唯一《女神》の顕現できる場所と言うところです」
「そうか。で、どこにあるんだよ」
「今回はとても運がいいですよ。目の前にあります」
セレスは嬉しそうに笑うが――。
「目の前?」
……には、先に述べた通り――分厚い氷の壁が高くそびえ立つばかり。これが神殿? とてもそんな神聖なものには見えない。
「これをどうしろと」
「これの上、と言ったところですかね」
セレスは答える。
――え?
「これを登んの?」
「はい」
ちょっと待て。軽く数十メートルはあるはず。
こんなの――普通の人間であるスバルに登れるはずはない。
「腰引けすぎですよ」
「じゃあお前は登れるのかよ」
「え? スバル様は登れないのですか?」
登れるのかよ。すごいな幼児体型。
でもなんか馬鹿にされた気分。あんまり愉快じゃない。
「仕方ありませんね」
そう言ってセレスはスバルの手を握った。
「絶対に離さないでくださいね?」
「はあ」
もう投げやりだった。どうにでもなれ。
「それじゃ、行きますよ」
その時だった。
セレスの背中から、確かに――翼――すくなくともそれに近い何かが、すっ、と現れて、消えたかと思うと。
ものすごいスピードで空に向かって上昇した!
当然その手を握るスバルもあとに続いて。数秒後。その氷の壁の上――とても平らにならされた足場に出た。
言うまでもなく、その足場は氷だ。
まっすぐ見据えた先には、神社にある、鳥居。――に近い何かがポツリと佇む。これが《神殿》?
「つきましたね」
金髪を飛んできた反動になびかせて、セレスは言った。スバルはほんの少し笑って、それでも納得のいかない口調で問う。
「あれか? 流石に神殿なんていう偉大な雰囲気はないんだが」
「いえ、あれが“アプサラス”の《神殿》ですよ。まあ、祠、といったところでしょうか」
「ふうん」
スバルは納得のいかないイントネーションで返事をする。まあ、納得のいく理由がない。スバルがもともといた世界にもそこらじゅうにあるような、ただの鳥居を《神殿》だと言われたのだ。
「注意してください、見られています!」
「え? 何――」
セレスが突如叫び、それに疑問符を返そうとしたスバルの声が――かき消された。
轟音。
それ以外に称しようのない爆発音にもよく似た、大きな音が鳴り響き。突風が吹き荒れる。
氷の破片が幾多にも飛び交い、スバルは慌てて、腕で目をかばった。
しばらく、時間が過ぎて。――沈黙に包まれる。
そして、顔を上げた、――彼らの目の前には。
「はじめまして。この世界を束ねる女神、“アプサラス”と申しますゆえ、以後お見知り置きを」
……――清らかな銀髪を風になびかせた、美しい“天女”が佇んでいた。
続きは来月頃までに出せるよう努力します。