第一章 「Break Skill」
1
「それでは、同行をお願いいたします」
昼休みにしては珍しい、人気のない学校の屋上で。眩い太陽の光をそのまま反射する真っ白なワンピースをその華奢な身に纏った整った顔立ちの少女が、やけにはっきりと、そう言い放った。
「……――――は?」
対して正面には、なんとも間抜けな顔で状況を理解できずに戸惑っている少年――――当咲スバル――――が、その口調に疑問詞を浮かべていた。
――当然彼は、何一つ理解ができない。
「いえ、ですから、お隣の世界まで」
それにも一向に構わず、金髪碧眼、先に述べた純白のワンピースに身を包んだ少女は続ける。
「隣の世界って……何事?」
背は小さく、小学生程度。しかし、その表情のない人離れした美貌には誰もが息を呑むだろう。
彼女は確実にこの学園の生徒ではない。それくらいは彼も認知できた。
――いや、彼が彼女に感じたものは、それどころではないのかもしれない。
今まで他に見たことがないのだ。これまでの「輝き」を。
それはもはや、同じ「人間」ですらないような感覚を覚えるほどに。
しかしそれでも、その彼女の言っていることの意味。
――それが全く以て理解できない。できるはずがない。
そもそも、彼は腐れ縁の幼馴染――――如月愛妻――――に携帯メールで呼び出され、この屋上に足を運んだのだ。
昼休みの屋上にて待つこと五分程で、彼はこの状況に巻き込まれた。
――結果。当然ながら、理解できるはずがない。
彼は訊く。
「ねえ、君。ここの生徒じゃないよね?」
「ええ。わたくしはセレス――――わかりやすく言うと神の使いと言ったところです」
「ふうん、――あ、そう……」
それを聞いて彼が思うことは。
(なんだ? 新手の中二病か?)
だった。
そんな彼は聞いて直ぐに一つの仮説、中二病説(仮)を立てる。
――そうでもしなければどうにもいられない。
そんなことがあってたまるか。そんなものからは2年も前に卒業した。
そして、知った。
フィクションは、どこまで行ってもフィクションであると。
「まあさ、ここに中学生がいるのは正直やばいと思うんだよね」
はは、と笑いながらスバルは言う。
しかし対する少女――彼女曰くセレス――は。
「『チュウガクセイ』? それは何の事でしょうか?」
本当に知らないといった造作で、「彼女」は首をかしげる。
スバルはそれをただ訝しげに睨む。
それと同時に、なんとも言い難い悪寒に襲われる。
(まさか、本当に――? いやいや、そんなわけあるか。――そんなわけないさ)
すると彼女、セレスはスバルの視線に気づくなり突然こくりと無言で頷き、
「――では行きましょうか」
スバルの手を握り、静かに引いた。
あまりにも突然だったため、彼はすぐにバランスを崩し、彼女の方へと身を投げ出す運びとなる。
「なっ、何なんだよ? 俺は、愛妻を待たないと――」
しかし、その後突如視界が、瞳を焼き付けるような強い光に包まれてゆく。
「……くっ」
そのあまりの眩しさに、スバルはその目を閉じてしまった。
まさか、それ以降もう二度と戻ってくることができなくなるなんて。
――――彼は夢にも思わなかった。――当然、悪い意味で、だが。
2
異世界。
当咲スバル。彼が目覚めた場所は完璧に、そこだった。
まず初めに、彼が寝かされていたのは宿屋と思われる建築物のある一室。布団は固く、寝心地は最悪。
ベッドのすぐ右にあるクローゼットと思われるものですら、スバルの知るそれとは違っていた。
蛇の鱗のような表面を持つ木材(?)で作られており、初めて目にするものにスバルは凄まじく何とも言えぬ感覚を覚えた。
その建物から出てすぐにあった人通り。
彼はそこで、これは夢なのではないかと自身に疑いを持つ。
そこには。
「なんだよ……これ……」
手から足から顔まで鱗がびっしりと生えたトカゲのようなもの。犬がそっくりそのまま直立二足歩行をしているかのような見慣れない生物。
そして、その中に平気で混じっている、人型をした見慣れつつも見慣れない、――人々。
それらが街中を平気な顔をして闊歩していた。
しかも、その街の建物、街並みが。教科書なんかや時代劇で見る、江戸時代の日本家屋に瓜二つであるからなおさら違和感を感じる。
スバルはただ、それらを見て言葉を失い、立ち尽くした。
ここは一体どこなのだろう、と。
さっきまで屋上にいたはずだ。そして、あの金髪の――――
結果、ひとつの結論にたどり着く。
――――そうか。あのワンピースだ。
とりあえずは、あのワンピースを着た――確か名前はセレスだったか?――少女を探そう。
そうすれば、「何か」がわかるはずだ。
彼はそう悟り、今や固まったその足で得体の知れぬ大地を力強く踏み切って駆け出した。
3
「…………どこにも、――居ねえっ」
軽く二、三十分は経っているであろう頃合。スバルはひとり、ポツリと呟く。
彼が試した限りでは、この世界にいる人々とは幸い言語だけは通じるようだった。
しかし、トカゲや犬と話す度胸は無いので、その他の、人と同じ姿をした歩行者に話を聞いて歩く。
それでも、彼女の情報は気が遠くなる程、一向に入ってこない。
あの白いワンピースの金髪少女、「セレス」。こうなってしまったのは、きっと彼女が原因だ。
しかし、こんなわけのわからない場所で、何一つとして情報が入らない。
絶望的だった。
彼は「さあて」、と足元を眺めて「どうすっかな」。
この世界では、落ちている小石すら宝玉のようにキラキラと透き通るかのように輝いていた。
何とも不思議な気分になる。
「愛妻、怒ってるかな……?」
そう、彼は幼馴染である如月愛妻を放って「ここ」に来てしまった。
今頃すべて夢だったと思い込むのにもさすがに無理がある。
――――はあ、と溜め息。
「まったく、どうすっかな」
ひゅうう、と風が通り抜ける。こんなわけのわからないところでも風は吹くらしい。
彼はとりあえず、近くの大理石に腰を掛けた。
先程「道端」で拾った翡翠色に輝く「石ころ」を眺めて言葉を失い、本当にこれが現実であることに気付かされる。
「……なんだってんだよ」
その時だった。スバルはすぐ後ろに人の気配を感じた。
でも、よく考えてみればこんなところに長々と居るくらいなら、いっそどうにかなってしまうのもいいのかもしれない。
そんな事を思う程に今、彼の心は孤独であった。
心の寄り場を、必要としていた。
しかし、彼はこの直後に、「それ」を知ることとなる。
「貴方さまが《神統べる者》ですの?」
背後からかけられた声はどう聞いても女声。スバルは慌てて飛び退いた。
後、目視でその声の主を確認する。
そこにいたのは、動物のような耳が頭部から生えた、スバルと同じくらいの歳と思われるひとりの少女だった。
なんとも豪勢な着物――十二単って言うんだっけ?――を身にまとい、扇子を手にしている。
平安時代の装束を思わせるが、なんとなくさっぱりとした清潔感が匂い、化粧もほぼしていないに等しい。
それに、その目はなんとなくつり目がちで、自然と猫を思わせる。
スバルはこの状況の上で素直に可愛い、と思った。
ただ彼はそのせいでその第一声をうまく聞き取ることができずにいた。
「え?」
「いやですから、貴方さまが、当咲スバルさまで間違いありませんわね?」
「――――え?」
なぜ名前を知っている?
一体何者だ?
「どうやらそのようで」
彼女はひとりで話を進めた後、にこりと笑い、手にしていた扇子を閉じた。
当然スバルは狼狽の限りを尽くしている。
「セレス。立派なお仕事でしたわよ」
――な!? 今、「セレス」って言ったような――――……。
だめだ、意識が――。薄れ、て――……
彼は、……そう簡単には目覚めないであろう、――深い眠りへついた。
4
体中が痛い。
なんかまぶたが異様に重い。が、その重いまぶたを持ち上げれば。
きっと。
何事もない、いつも通りの学校の屋上――――――
「ようやっと気がつきましたわね」
――――――では、なかった。
どうやら、気を失っていただけ、らしい。
視界に入ったのは、先程の着物の少女。と、その背景。――――ここは、……宮殿?
なんとなくだが、そんなイメージがある場所だ。
「まったく、《神統べる者》があの程度で気を失うなんて。よほど疲れていたんですのね?」
はあ、と呆れ返った表情で少女は言う。さらさらの――姫カット、というのだろうか。綺麗に直線状に切り揃えられた――黒髪が揺れる。
そんな反応や可憐な姿よりも。今、スバルが思うことは。
「さっきから何回も言ってる、その《かみすべるもの》ってなんなんだよ。それに、ここはどこなんだ? 俺はどうしちまったんだ? あと、お前や、あの……セレス? は一体何者なんだ?」
「……――質問が多いですわね。答えるのが正直面倒ですわ」
「なっ……」
「仕方ないですから、今あなたがいる状況から説明しましょう。この世界は、“中心の世界”ですの」
「は? 中心?」
「そう、中心。貴方がたの世界の《ウチュウ》、をイメージするとわかりやすいかもしれませんわ。この世界は、それの中の《タイヨウケイ》においての《タイヨウ》というものに等しいのです。それに対し貴方がたの世界は、それを取り巻く《ワクセイ》というところでしょうか」
彼女はそれをさも当然のように語る。スバルはついて行けるはずもなく。
「なんだよ、それ……」
「それと《神統べる者》ですが、これはあなたがたが俗に言う“選ばれし者”、というものに近い意味ですわ。あとセレスはわたくしの眷属ですの」
頬に人差し指を置いて、彼女は「これでおわかり?」と続けた。
「――は? ふざけるな、よ」
動揺したスバルの声を聞き、少女はうーん、頬置いた指を下げてから、そうですわ、とつぶやき。
「貴方さまにはこれからいくつもある世界の《女神》を統一して頂きたいのですが。ちなみに中心世界の《女神》であるわたくしの依頼ですの。拒否権はありませんわ」
――“拒否権はない”? 何を言ってるんだこいつは。
「……――――嫌だ、と言ったら?」
スバルが言うと、十二単をその身にまとう少女は妖艶に。
「言わせませんわ」
――ふふ、と余裕の笑み。
そして少女は、自身の身に指を這わせ、十二単の襟元にその白く綺麗な手をかけた。
――後。
彼女はそれまでの上品さとは裏腹に、がばっ、とその装束をずり下ろす。スバルは目をそらすのが遅れ――上半身だけだが――スバルには見えた。確かな二つの、ぷっくりとした膨らみ。
その美しいばかりの上半身が露わになる。
その膨らみはまあまあの大きさ。平均より少し大きいくらいだろうか。
肌は目がくらむほど白い。先端の突起は可愛らしく、それを中心に広がる桃色は極めて薄く。一見、何もないようにすら見える。
――スバルは、絶句した。
何をしているんだこの人は。普通じゃない。――のは承知の上だけれど、何で、こんななんのためらいもなく――?
先までの非現実的極まりない事実を耳にして動揺する自分はどこかに消え――完全に見とれきっていた。
セレスの時同様。彼はその美しさに呆然とするばかり。
なんというか――官能的というより、芸術的な光景だった。
――というよりも。
「何してんだお前はぁッ!?」
「はい? そんなに驚かなくても宜しくてよ?」
はて、と首をかしげる、上半身むき出しの少女。スバルの理性も危うい。
「服着ろ服!」
「ふふふ。なんて面白い反応。――そうですね。その理性――……打ち壊して差し上げてもいいですわよ?」
「打ち壊す?」
スバルが首を傾げれば。
「当然。わたくしは、《愛》と《生殖》を司る神、“アシュタルテ”ですので」
――愛? 生殖? 何かをぞわっとさせる単語に、スバルは不安とともに若干の期待を抱いた。――彼も年頃の男子だ。当然と言える。
そんな彼に対して、さらに彼女は言う。
「男なんて、私の術ひとつで理性はなくなり――野獣と化すのですわ」
「野獣?」
「――ふふ。試してみます? 私の依頼に従うのが条件ですが」
輝かんばかりの上半身を大胆にはだけた少女――“アシュタルテ”は、微笑う。それを前に、スバルはごくり、と息を飲んだ。
――……一体、なんだって言うんだ。
こんなことに巻き込まれて――黙ってられるか。
いっそ、理性なんか吹っ飛ばして、思いっきりはめを外したっていいだろう。
こんなわけのわからない世界だ。その後の依頼とやらをボイコットして、殺されてしまってもそれはそれでいい。
様々な心情が交錯する。
――もう、歯止めは効かない。
「いいだろう。受けてやる。ただ、その術とやらを見せてもらおうか」
こんな綺麗な女と“できる”なんて、思ってもいなかったことだ。スバルは無理やりにでも話を進める。
……――――――もう、どうにでもなってしまえ。
しかし、返答は。――極めて現実的なものだった。
「ふふ。それでは面白くありません。貴方さまの理性は保っていただかなくては」
「――は? なんだよ、期待させておいて」
「申し訳ありません。が、私はいざという時のため純潔を保たなくてはならないので」
「しかし」彼女は続けた。「もちろん何も与えずに『依頼を受けろ』とは言うわけ無いでしょう?」
――“アシュタルテ”は優雅に、妖艶に。
言った。
「その“欲情の制御を外す”術を、貴方さまに教えて差し上げてもよくてよ。《女神》の統一に役立つのなら」
なるほど、そういう流れか。要するにこいつ自身はそういったことは未経験、と。
スバルは飽くまでも冷静に。
「じゃあ、教えていただこうか。その術を」
「ええ。ただし条件がありますわ。ひとつ、私を含め十人いる、《女神》たちの統一。ふたつ――」
彼女は唇の前で人差し指を立てた。
そして、にやりと笑って。
「術を使えるのは、九回まで。――全て《女神》の統一のために使うこと。それ以外に使えば、死では済ませませんわ」
神の欲情の制御を外し、《神統べる者》であるスバルと交わり、「一線」を超える。こうして、《女神》は彼の配属下に置かれる。
それが、彼に与えられた“統一”の方法。
言うなれば。
「この世界」の、――始まりと言えた。