いつもの妖怪な日々1
日が傾いてきた学校からの帰り道。学業で疲れた重い身体を引きずりながら、一人の少女が歩いている。
雪のような白銀の長い髪が、少女の動きに合わせてかすかに揺れて輝く。
「ふぅ、今日も無事に終わった」
一つ息をつく少女に耳に、パタパタと軽快な足音が聞こえる。近づく聞きなれた足音に振り返ろうとした。
「しーちゃん」
黒い髪と青いリボンが頬をくすぐる。風で少し冷たくなった身体に、軽い衝撃とともにやってきた暖かい体温が心地よい。
「それはやめろと言ってる、雫」
雫と呼ばれた少女は、透きとおる水のような二つの青色を瞬かせると満開のひまわりのように、しかし少しいたずらを喜ぶ子供のような笑顔で笑った。
「いや! だってかわいいんだもの」
「うれしくない」
西洋人形のように美しい顔を歪め、空に浮かぶ満月と同じ色の瞳を白銀の少女は雫に向ける。
雫は花咲く笑顔をたちまち不満気な表情に変えると言った。
「白があたし置いて先に行っちゃうのが悪い。あたしがいないと戻れないくせに……」
雫に白と呼ばれた少女は、その言葉に小さくため息をつく。
「わかってる。ほら、いくぞ」
白は再び少し早足で歩きだす。雫はそんな白の後を慌ててついて行った。
二人の少女は、慣れた足取りで山の中の長い石段を登っていく。夜の冷たい風が、少し重たい冬服のスカートを揺らす。
目の前で進んでいた足がピタリ止まる。目的の場所に辿りつくには、まだ半分ほど石段が残っている。雫は不思議に思い、白を見上げた。
「どうしたの?」
白は石段の両端を囲む木々に厳しい瞳を向ける。
「誰か、入り込んでいる。ここにいるべきじゃないやつ。……急ぐぞ」
「ちょっと!」
雫は急いで石段を駆け上る後姿を追いかけた。
息が切れ切れになりつつ、最後の一段を登りきる。乱れた息と髪を整えながら、雫は古ぼけた神社に近づく。
とうの昔に信仰を失い、今はもう無人となってしまった神社。
雫は神社に上がり込み、目の前の障子を開ける。あちこち壊れている神社の中で、場違いなほどきれいに飾られている鏡の前に、白はいた。
雫は白のもとへと足を進めた。床がギシリと小さく鳴る。
鞄の中から白の瞳と同じ色の玉の連なった数珠を取出し、白の細い首にそっとかける。
そして、雫は小さくつぶやいた。
「醒めろ、白月」
その言葉に反応したかのように、鏡が白く仄かに光る。鏡から発生した光は、白を包んだ。白の白銀の髪がさらに輝き、ふわりと空中に舞う。
白が本来の姿と力を取り戻すために毎日行っている儀式めいた行為。そのたびに見る光景ではあるものの、美しく幻想的なそれは、いつも雫の瞳を奪う。
「やっぱり、綺麗だなぁ」
ほぅっと感嘆の息をつく。
光が消える。
そこには服装は女子の制服のままだが、先ほどより幾分か背が高くなり耳のとがった白の姿があった。
「着替えてくるから外に出ていろ」
その声は先ほどよりも低い、少年のものである。
「えー、かわいいのに」
「いいから出ていけ」
雫は白に背中を押され、部屋の外に出る。障子を閉じる前に、白は雫に行った。
「妙な気配を感じる。絶対にこの部屋の前から動くなよ。何かあったら、すぐに俺を呼べ」
雫がうなずくのを確認して、白は障子をすっと静かに閉めた。
雫は背中を障子に預けて、その場に座り込む。空を見上げると、今部屋の中にいる彼の瞳と同じ色をした三日月が見える。
今は月の光で少しだけ明るいこの場所も、あの夜は月などなく真っ暗だったと雫は思い出す。
白――白月と出会ったのは、今から約四年前の雫が一二歳のころだった。
*
元々、いわゆる霊力というものが高く妖怪の友達は人間の友達と同じくらいいた。
雫は仲の良い妖怪が迷子になったと聞いて、幾人かの妖怪とこの月郷山を捜索していた。
山で隠れん坊をしていたところ、何度名前を呼んでも返事はなく気配はあるもののいくら探しても見つからなかったそうだ。
辺りはもう完全に暗くなる一歩手前となっている。小雨がぱらついていて、暗い空にはどんよりとした重たく曇った雲が微かに見える。
意識を凝らして、迷子の妖怪の妖力を見つけて辿ろうと探していたとき、まるで隠されるように目立たない長く伸びた石段を見つけた。
この先に行かなければいけない。
中学生に上がったばかりの雫は、なぜかそう思った。
ゆっくりと段を上っていく。最後の一段を上りきると、人気のない廃れた神社が雫の目の前に広がった。
くるりと身体を回して辺りを見渡す。目についたのは、一か所も破れていない障子の扉。
あちこちぼろぼろとなってしまっているこの場所で、それは異質な存在だった。
雫はふらりと近づき、そっと障子に手をかける。戸を右に滑らせたその部屋の中には、一枚の小さな鏡が置かれていた。
おそらく、以前はご神体として祀られていたものだろう。
雫は鏡を手に取り観察する。と、鏡の裏に「月白」という文字が横書きで刻まれているのを見つけた。
「何て読むのかな? つきしろ?」
そういえば、昔は横書きを右から左に読むことが多かったと雫は思い出した。
「白月かな? しろつき……しらづき?」
「そこで何をしている」
急に話しかけられ、雫は身体をこわばらせた。ゆっくりと、振り返る。振り返ってみたその人物の姿に、雫は目を奪われた。
雪のようにきらめく美しい長髪を青いリボンで束ね、夜空に浮かぶ月のように優しい黄色をした瞳。女の人のように見えるが、服装は水干と呼ばれる昔の男性が身に着けていたものであるため、性別は多分男性なのだろう。
まるで生き人形のようにも見える美しい少年は、その瞳の色に似あわぬ冷たい声で雫に話しかける。
「人間の子どもが、こんなところで何をしている」
と、雫の持つ鏡を見て、少年の無表情な顔に一気に焦りが浮かぶ。
「そ、その鏡を放せ!」
白い雪のような髪の毛に、夜空に浮かぶ月色の瞳。
その少年は、まさに「白月」という言葉を表すのにふさわしい存在のように感じた。
「あなたが、『白月』?」
焦る少年に、雫は言った。雫の言葉に、少年が一瞬動きを止める。
「お、まえ……何で」
暗かった視界に、ほのかな白い光を感じる。鏡がぼうっと光を発し、その光が周囲を照らしていた。
「え、わっ! 何?」
何が起こったのか分からず、思わず鏡から手を放す。落ちていく鏡に、これから先の割れる未来を想像して反射的に目を固く閉じる。
暗闇の視界で身体をすくめて身構えるが、鏡の壊れる音は一向に聞こえてこない。ただ、一度だけギシリ、と床が小さく鳴っただけだ。
雫は不思議に思い、そっと目を開けた。