中
昔からあたしはあんまり賢いほうじゃなかった。
いつもお兄ちゃんに勉強を教えてもらっていた。
同じ兄弟なのに、どうしてこんなに違うんだろう。なんて、いつも思っていた。
お兄ちゃんはずるいって思ったことも何度もあった。
まだ今よりも何もかもが幼かったころ。
「ナツ! ナツ!」
友人の声にあたしは顔を上げる。入道雲が目に痛いくらいの白さを放っていた。
軽やかな涼しげな青をしたセーラーの制服。それと同系色のタイ。
机の目の前に両手をついた友人。顔をあげるとそのタイが揺れていた。
「ん? 何?」
「教えてくれてもいいじゃん! 今日ユキ先輩が来ていることぐらい!」
ユキ先輩、その人はお兄ちゃんのことだ。
「え……」
あたしは慌てて立ち上がってお兄ちゃんのもとに走った。
なんで、いつ来たの!? 今日は朝、体調悪いって、確かにそう言っていたのに! お兄ちゃんのあんぽんたん!!
心の中で暴言を吐いて階段を駆け上がる。それは中学1年の夏のことだった。
学年が上がることに階はあがっていて、最上学年のお兄ちゃんは三階の教室だった。
低い階段を一段飛ばしに駆け上がった。
すれ違った生徒が止まり、振り返るのもわかっていた。踊り場の教室に比べると大きな窓は空いていて、そこからセミの声が聞こえた。
「お兄ちゃん!」
迷わず、お兄ちゃんのクラスのドアを開けた。息が切れていて、額に汗も浮かぶ。
クーラーも何もなかった学校は夏の空気をめいいっぱい入れていた。
「あ、ナツ」
あたしに気づいてひらひらと手を振るお兄ちゃんの姿が目に入る。そのお兄ちゃんの後ろできれいな白いカーテンがふわりと風に揺れていた。
とりあえず、まだ大丈夫そうでよかった、と軽く息を吐いた。
そしてお兄ちゃんをどこか遠い意識で見ていた。
お兄ちゃんの周りにはいつものように人がいっぱいいて、何度も何度もそれを羨ましく思っていた。
人が集まる、人気者のお兄ちゃん。
友達は少ない方で、影でこっそりと生活しているあたし。
まったく違う。似てなんか、ない。お兄ちゃんの友達は少し不思議そうな顔をしてあたしを見た。
あ、お兄ちゃん“まだ”言ってないんだ。少しのため息をこぼしてこっちに歩いてくるお兄ちゃんを今度はしっかりと見た。
「ナツ、怒ってる?」
少し戸惑ったように言うお兄ちゃん。
機嫌取りのようなその声色ってことは、やっぱりあんまり体調良くないんだ……。何年も兄弟しているとわかることがいっぱいあって、あたしは呆れたようにお兄ちゃんをみた。
「やっぱり、体調良くないでしょ」
はっきりと言い切るように言うあたしにお兄ちゃんは目をそらした。
あぁ、もう。なんだかあたしが悪いみたいじゃない! 頭を軽く掻いて口を開いた。
「薬は? 持って来たの?」
「うん、それはもちろん」
にこにこと笑うお兄ちゃんにあたしはならいいや、と言葉を漏らした。
「無理は絶対にしないでね」
そう言うとナツは優しいなと言って頭を撫でてくれた。
なんだか、お兄ちゃんのぬくもりを感じてあたしはうれしくなった。
お兄ちゃんは病気だった。あたしは詳しくわかんないけど、結構難しい病気みたいで、ずっと病院に行っていた。
長期間の休みとか、体調がすごく悪くなったときは入院する。
あたしはそんなお兄ちゃんをずっとそばでみてきた。学校の人はそれを知らない。
ちょっとサボり癖のある人気者、そんなくらいにしか見ていない。
だから心配なんだ。
だって、お兄ちゃんが病院にとられると会えなくなるもん。話せなくなるもん。そんなことしか思えないあたしは勝手だったんだ。