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夏になると思い出すことがある……。それはたったひとつの、大事なモノ。

太陽が眩しくて手を目の上に持ってくる。汗だくで走り回る子どもたちを目が追った。


「あつい……」

漏れた言葉はじめじめとした空気に溶け込んだ。人がどんどんとあたしの前を追い越していく。

時折、スーツを着た大人がハンカチで汗をぬぐっていた。

ガコンと自販機の中の飲み物が落ちる音がやたらと耳に響く。誰かが、飲み物を買ったのだろう。

信号が青から赤に変わろうとしていた。目の前には今となってはあまり来なくなった駅。駅の上の空には夏を象徴するかのような大きな入道雲が浮かんでいた。

肩にかけていたカバンの中から規則性のある振動が伝わる。少し型の古い携帯を取り出して、あたしはその電話をとった。


「おかーさん?」

ディスプレイの文字を見て、母からの電話だと知り、なんとも表現しづらい息を吐き、電話に出た。


「うん、ちゃんと帰るよ。今からだからどのくらいかなぁ。一時間もすれば着くよ」

母の言葉に数回頷き、あたしは電話を切った。信号がまた青に変わって、あたしはとめていた脚を動かした。

そして目的地に足を向けながらも、思い出を紐解くように、断片的な記憶を思い返した。





「ナツ、来てくれたんだ」

そう言っていつも笑っていた。あたしはその笑顔が好きだった。他の何にも勝っていた。


それはもう何年も前のこと。まだそこにいたのは何も知らず、何かを知ろうともしなかった、幼いあたし。そして、優しく微笑む兄だった。

「当たり前だよ!」

だって、兄弟だよ? そうエラそうに付け足したあたしに、申し訳なさそうに笑っていたのを思い出す。別れ際になると決まってあたしはいつも同じ言葉を口にしていた。

「また来るね」

たった五文字のその言葉は、兄がそこから離れられないという事実を物語っていた。そして確信なんてない未来を見ていた。

そう言うと頭を撫でてくれたのを覚えている。

昔も今もこの言葉自体は嫌いだった。

だって、一緒にいれないから。それでも、笑って、頭を撫でてくれるから。いつもその言葉を言っていた。

白いそこは独特の匂いがしていて、あたしは正直、あんまり好きじゃなかった。お兄ちゃんをあたしから奪っちゃうそこが好きじゃなかった。





もっとちゃんと思い出そうとしても、年月を重ねるたびに、薄れていって、悲しみもだんだん小さくなった。

交わした言葉も、何度かした兄弟ケンカの理由も、指切りの内容も。

忘れたくなんてないのにどんどん忘れていった。

忘れることを望んでなんかいないのに、どんどん忘れていく自分がいた。

そして、いつの間にかお兄ちゃんがいない毎日が当たり前に感じるようになった。

でも、それじゃあ、あんまりにサミシイじゃないか。



ねぇ。お兄ちゃん。

あたしね、とっくにお兄ちゃんの年齢を追い越して、あたしはもう大人になったよ。

友達もいるよ。毎日楽しいよ。

でもね。ただ、お兄ちゃんがいないんだよ。



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