~昨日の明後日、今日の明日~
営業の仕事と刑事の仕事は靴をすり減らしてなんぼだ!と言われたことがあったが、最近はそうでもないんじゃないかと思ってきた。
飛び込みで営業をかけても、むげなく追い返されてばかり。こんなことより、今流行りのツイッターやらなんやらでもっと効率よく営業できるような気がする。
ふと、時計を見た。11:57。最終の地下鉄はもうすぐ終わる。今から走って飛び乗るのも、なんだか悔しい感じがした。どうせ家までは地下鉄で2駅分だ。歩けない距離ではない。
重たい足を引きずって、とぼとぼと街中を歩いて行く。
歩く速さと、その人間の充実度は比例しているような気がする。目的地に向かっていく速さがあればあるほど、充実した生活を送っている。とぼとぼと歩いてい僕は、負け組みなのだろうか?と思った。
夕食はパソコンに向かいながらパンをかじっただけだった。腹も減っているのか減っていないのかもわからない。「回転ずし」の看板に目が止まったので、なんとなく立ち寄ることにした。
「らっしゃー」
深夜でも開いている店が増えた。こんな夜中に寿司を食っても、絶対新鮮じゃないとも思うが、店内は予想以上に混んでいた。さして大きくもない店なのだが、こんな時間にまで人がたくさんいるということは、飲んだ後に炭水化物が欲しくなる原理なのだろうか。
僕は、5席ほどしかないカウンターの端に腰かけた。
ヴヴヴヴ…
携帯が震える。時刻は12:00。開くと大きく「HAPPY BIRTHDAY」の文字がちょろちょろと動くキャラクターと共に出ていた。
そういえば、今日は僕の29回目の誕生日だった。日々の仕事に追い立てられ、土日も返上して働く毎日の中、誕生日を意識することもなかったが、忘れていた事には少しショックを受けた。
そうか誕生日か。29歳か。どうせなら今日はお祝いしようか。と少し大きくなった僕は、いつもは食べない絵皿に手を伸ばすことにした。
とはいえ深夜、なかなか回っている皿も少ない。
「ウ」
「ウニちょうだい」
と隣の男が同時に声を出した。気を取り直して、「ウニ、こっちもちょうだい」と言いなしたものの、「今のが最後の一つでした。すんません。」と返された。
男を見る。ずいぶん若い気がする。明らかに10代だ。こんな時間に一人で回転ずし、そしてウニを食べるなんて今時の奴は…と悔しく思った。
顔を見ると、なんだか懐かしい顔をしていた。
というか、懐かしい顔どころではない、10代の頃の自分と同じ顔をしていた。
その男自身も、こっちをしげしげと見つめてくる。なんだか似ているなぁ?くらい思っているのかも知れない。
「ウニお待ち」
と、男の前に絵皿が乗った。男、いや少年というべきか。少年はなんだかばつが悪そうに、「よかったら、一ついかがですか?」と皿を差し出した。
「いや、いいよ。ありがとう」
「でも、僕のせいで最後の一つ…」
「いいんだ。最後の一つを食べれなかったってことは、僕はついていなかったんだ」
「なんだか、すみません」
「いいよ、謝らなくても」
「ってか、どっかで会ったことありません?なんだかどっかで見たことあるような気がするんですけど」
「僕もそう思うな。でも、君、こんな時間に回転ずしでウニなんてずいぶん豪勢だね?君、十代だろ?」
「はい。18です。」
「18で、こんな時間にウニか。やるなぁ」
「今日、バイトの初めての給料だったんです。大学入って始めたバイトで、なんだか嬉しくて…」
「そっか。初めてのバイトかぁ。懐かしいなぁ…」
と言った瞬間、フラッシュバックが起きた。
僕はこの瞬間を知っている。
目の前にいる少年は、僕だ。
あの時、僕はバイトでもらった給料を握りしめ、ドキドキしながら好物のウニを食べよう
としたんだった。そして、隣に座った気前のいい人に、未成年ながらビールをおごっても
らい、たらふく食わせてもらったんだ。ウニの分の金額だけを払って。
あの時僕は、「大人ってすごいもんだなぁ」って思ったんだった。
こんな風に、重たい足を引きずって、身も心もボロボロになっているなんて想像もせずに。
「ビール飲むか?」
「え?僕、18ですよ」
「バイトの給料が入ったんだろ?祝杯をあげよう。気にするな」
「いや、悪いですよ。あったばかりの人におごってもらうなんて…」
「いいんだ。大人は金が余ってるもんなんだ」
たらふく少年時代の自分におごってやって、店を出た。少年、いや、自分とは帰る方向が
違ったので別れた。もちろん、ウニひと皿分のお金はもらってある。
あの頃は、今の僕のような大人を夢見ていたのだろうか?29歳という年齢は、若いとは
言い難く、大人とも言い難い。
でも、あの頃に憧れた29歳がいたことは確かだ。憧れだった自分にはなれなかったけど、
ならなかったのも自分だ。
擦り減った靴を脱いでみる。これはこれでいいのかも知れない。ただ、もっと違う自分も
いるのかも知れない。明日の自分は変われるかも知れない。
そんな事を考えていると、とぼとぼ帰るのがあほらしくなってきた。早く帰りたい、早く
明日の自分になりたい。そんな衝動が湧きあがってくる。
そういう想いで右手をあげる。タクシーを止めようとすると、スッと僕の目の前で手をあ
げた女性がいた。歳はまだ若くきれいな女性だった。
「すみません、割り込んでしまいました」
「いいんですよ。次もまたすぐ来るでしょうし」
「本当にすみません。父が少し酔っぱらってしまったみたいで…」
「そうですか。全然気にしてないですよ」
「ありがとうございます。それでは遠慮して」
と言って、後ろにいた初老の男性に声をかけた。老人は、ステッキをつきながら、タクシ
ーに乗り込もうとした。歳は取っているものの、着ている服装は高級感にあふれている。
美しい娘と遅くまで酒を飲む。さぞかし至福の時なんだろうな、とふと思った。
老人は軽く会釈して、僕の前を通り過ぎた。そして、一瞬目を合わせて、ニヤリと笑った。
その目は、僕のよく知っている目だった。
タクシーが行くと、僕は家に向かって走り出した。今日があの時に変わるまで、走り続け
ようと思った。