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短編(異世界など)

勇者よ、荒野へ帰れ

作者: みき
掲載日:2026/08/11

 魔王を倒してから十五年。


 私は王都で騎士団長をしていた。


 昔は勇者と呼ばれ、聖剣を持って世界中を旅していたが、今では朝から書類を読み、昼には騎士たちの訓練を見て、夕方になると国王へ報告に行く。


 戦うことはほとんどなくなった。


 それでも、勇者として世界を救ったという肩書きは、ずっと私について回った。


「団長、こちらに署名をお願いします」


「はい」


「午後は国境警備隊との会議です」


「わかった」


「それと、王都南門の補修について――」


「それも今日?」


「今日です」


 私は机の上に積まれた書類を見て、少しため息をついた。


 魔王と戦っていたころの方が、体は大変だった。


 でも、今の方が別の意味で疲れる。


「団長?」


「何でもない」


 そう答えた時だった。


 部屋の扉が開き、部下の一人が入ってきた。


「失礼します。西部の地図について確認していただきたいことがあります」


「西部?」


「はい」


 差し出された地図を受け取る。


 王国の西側。


 乾いた土地が広がる、昔から人の少ない地域だ。


 私は何気なく地図を眺めた。


 そして、手が止まった。


「……ラグナ村は?」


「はい?」


「ここにあった村だ」


 指で地図の一点を示す。


 そこには何も書かれていなかった。


「ラグナ村、ですか?」


「私の故郷だ」


 部下は困った顔をした。


「少々お待ちください」


 彼は別の資料を取り出し、何枚かめくった。


「……ありました」


「どうなってる?」


「十年前から人口が減り始め、六年前に村としての登録が消えています」


 私は意味がわからなかった。


「消えた?」


「住民がいなくなったようです」


「魔物に襲われたのか?」


「その記録はありません」


「盗賊?」


「それもありません」


「じゃあ、どうして」


 部下は申し訳なさそうに首を振った。


「理由までは、こちらには残っていません」


 私は地図を見つめた。


 ラグナ村。


 私が生まれ育った村。


 十七歳まで暮らし、勇者に選ばれて旅立った場所。


 魔王を倒したあと、一度だけ帰ったことがある。


 その時は、まだ皆がいた。


 村長も。


 近所のおばさんも。


 幼なじみも。


 みんな笑っていた。


「世界を救った勇者様が帰ってきた!」


 そう言って、大騒ぎしてくれた。


 その村が、なくなった。


 私はその日の午後の会議を全部キャンセルした。




「一週間、休みをいただきたいです」


 国王にそう言うと、かなり驚かれた。


「お前が休みを?」


「はい」


「珍しいな」


「私もそう思います」


「理由は?」


「故郷へ帰ります」


 国王は少し黙った。


「ラグナ村か」


「ご存じでしたか」


「最近、地方の整理をしていて名が出た。住民がいなくなったと聞いた」


「どうして誰も教えてくれなかったんです?」


「お前に言えば、仕事を放ってでも行くだろうと思った」


「今、まさに行こうとしてます」


「そうだな」


 国王は少しだけ笑った。


 そのあと、真面目な顔になる。


「行ってこい」


「ありがとうございます」


「ただし、一週間で戻ってこい」


「努力します」


「努力じゃなく戻ってこい」


「はい」



 王都からラグナ村までは、馬で八日かかった。


 昔なら六日で着いた。


 年を取ったのかもしれない。


 四十を過ぎた今では、昔みたいに無理をすると腰にくる。


 それでも、道は覚えていた。


 最後の町を抜ける。


 そこから先は、ずっと荒野だった。


 草は少ない。


 木もほとんどない。


 乾いた風が吹き、遠くの空まで何もない。


(こんなに何もなかったっけ)


 昔は気にならなかった。


 ここが世界の全部だと思っていたから。


 でも世界中を旅した今ならわかる。


 ラグナ村は、本当に厳しい土地にあった。



 夕方。


 ようやく村が見えた。


 私は馬を止めた。


「……嘘だろ」


 家は残っていた。


 でも、人がいない。


 屋根が崩れた家。


 扉が外れた家。


 雑草に埋もれた道。


 昔、子供たちが遊んでいた広場には、砂が積もっていた。


 村の中央にあった井戸も、ふたが外れている。


 音がない。


 風の音だけだった。


「誰かいないのか!」


 声を上げる。


 返事はない。


 馬から降り、村の中を歩いた。


 自分が住んでいた家も残っていた。


 壁が少し崩れていたが、間違いない。


 扉を開ける。


 中には何もなかった。


 家具も。


 食器も。


 家族の写真も。


 全部なくなっていた。


「……遅かったのか」


 その時だった。


「誰だ」


 背後から声がした。


 振り返る。


 杖をついた老人が立っていた。


 白い髪。


 深いしわ。


 でも、顔には見覚えがあった。


「じいさん?」


「……レオン?」


 村長だった。


 昔よりずっと小さく見えた。


「本当にレオンか」


「はい」


「勇者様が帰ってきたか」


「その呼び方、まだ覚えてたんですね」


「忘れるか」


 老人は笑った。


 でも、その笑顔は少し寂しかった。



 村長の家だけは、まだ人が住める状態だった。


 私は中へ入り、昔と同じ木の椅子に座った。


「みんなは?」


 村長はすぐには答えなかった。


 湯を沸かし、古い茶葉を入れる。


 そのあと、ゆっくり口を開いた。


「出ていったよ」


「どうして」


「ここじゃ、生きていけなくなった」


「何があったんです?」


「何もなかった」


「何も?」


「それが一番きつかった」


 村長は窓の外を見る。


「魔王がいたころは、国もこの辺りを気にしていた。西の街道は軍が使っていたし、兵も来た。商人も通った」


「でも戦争が終わった」


「ああ」


「それで?」


「軍が来なくなった。商人も減った。井戸の水も少なくなった。若い連中は仕事を探して町へ出た」


 私は黙って聞いた。


「畑も年々悪くなった。雨が少なくなったからな」


「国に支援を求めなかったんですか?」


「何度も頼んだ」


「返事は?」


「来たよ」


 村長は笑った。


「『検討する』ってな」


 胸が痛んだ。


 その言葉を、私は何度も会議で使ったことがある。


「それで、一人ずつ出ていった」


「家族は?」


「みんな町へ行ったよ」


「じいさんは?」


「ここで死ぬつもりだった」


「そんなこと言わないでください」


「もう九十近い」


「まだ生きてるでしょう」


「勇者様は相変わらずだな」


「だから勇者様はやめてください」


 村長は少し笑った。


「レオン」


「はい」


「お前は悪くない」


「……何も言ってないですよ」


「顔に書いてある」


 私は視線を落とした。


「世界を救ったのに」


「うん」


「故郷一つ、救えてなかった」


「それは違う」


「何が違うんです?」


「お前は魔王を倒した。あれで多くの人が助かった。それは本当だ」


「でも」


「でも、世界を救ったからって、全部が良くなるわけじゃない」


 村長は静かに言った。


「戦争が終わっても、腹は減る。井戸も枯れる。道も壊れる」


「……」


「勇者が全部やる必要なんてない」


 十五年前も、同じようなことを言われた気がする。


 私はいつも、全部自分で何とかしようとしていた。


「でも」


「今度は?」


「少しくらい、やってもいいですか」


 村長がこちらを見る。


「何を」


「村を戻す」


 老人はしばらく黙っていた。


「一週間で?」


「……たぶん無理です」


「王様に怒られるぞ」


「あとで謝ります」


 村長は声を上げて笑った。



 次の日。


 私は井戸を調べた。


 完全に枯れていた。


「これじゃ人は戻れないな」


 昔、南の砂漠で水を探したことがある。


 魔王軍に追われて、三日間まともに水を飲めなかった。


 その時、砂漠に住む人たちから地下水の探し方を教わった。


 地面の傾き。


 草の種類。


 石の色。


 いくつかの場所を見て回る。


「ここだ」


「何が?」


「下に水がある」


 村長が疑わしそうに見る。


「本当か?」


「たぶん」


「たぶんか」


「掘ればわかります」


「誰が掘るんだ」


 私は剣を抜いた。


「まさか」


「これしか道具がないので」


「聖剣で井戸を掘る勇者なんて聞いたことないぞ」


「これは普通の剣です」


「そういう問題じゃない」


 結局、途中で剣は曲がった。


「……だめですね」


「当たり前だ」


 私は町まで戻って、つるはしとスコップを買った。



 三日間、穴を掘った。


 四日目。


 水が出た。


「出た!」


 泥だらけになりながら、私は叫んだ。


 村長が走ってくる。


「本当に出たのか!」


「はい!」


 最初は濁っていた。


 でも、少しずつきれいな水になった。


 村長は両手ですくって飲んだ。


「冷たいな」


「ですね」


 その顔を見た瞬間、魔王を倒した時よりうれしかった。


 少しだけ。



 次は道だった。


 町から村までの道は、ほとんど消えかけていた。


 私は王都へ手紙を書いた。


『ラグナ村までの街道整備をお願いします』


 三日後、返事が来た。


『検討する』


「……」


 手紙を握ったまま固まる。


 村長が横からのぞく。


「懐かしいだろ」


「笑えないです」


 私はもう一度書いた。


『騎士団長命令。西部警備のため、街道整備が必要です』


 翌日。


『承認』


「職権乱用じゃないか?」


「国防です」


「本当か?」


「半分くらい」


 村長は笑った。



 その後、工事の人たちが来た。


 道が直り始めると、商人も少しずつ戻ってきた。


 私は村を出ていった人たちへ手紙を書いた。


『井戸の水が戻りました』


『道も直ります』


『帰りたい人がいたら、いつでもどうぞ』


 返事はすぐには来なかった。


 当然だ。


 みんな町で新しい生活を始めている。


 戻る理由なんてないかもしれない。


 それでも、一か月後。


 一台の馬車が村へ来た。


 降りてきたのは、三十代の夫婦と子供二人だった。


「レオン?」


 男の顔に見覚えがあった。


「トーマ?」


「久しぶり」


 昔、近所に住んでいた少年だった。


「手紙、読んだよ」


「戻ってきたのか?」


「試しに」


「試し?」


「町の家はまだ残してる。無理なら戻る」


「それでいい」


 私は笑った。


「無理に残る必要はない」


 トーマも笑った。


「昔のお前なら『絶対何とかする』って言ってたな」


「少し大人になった」


「四十過ぎてるからな」


「そこは言うな」



 さらに二か月。


 家族が三組戻ってきた。


 若い夫婦もいた。


 畑をやりたいという人も来た。


 昔の村人だけではない。


 町で暮らしにくくなった人たちが、安い土地を求めて移ってきた。


 村長は驚いていた。


「知らない人ばかりだな」


「嫌ですか?」


「いや」


 子供たちが広場を走っている。


「村ってのは、人がいれば村だからな」


「そうですね」


 昔と同じ村ではない。


 それでいい。


 なくなったものを、そのまま元に戻すことはできない。


 でも、新しく作ることはできる。



 王都からは何度も帰還命令が来た。


『一週間と言ったはずだ』


『もう二か月だ』


『騎士団長がいないので副団長が泣いている』


 最後の手紙には、


『いい加減、一度帰ってこい』


 とだけ書かれていた。


 私は仕方なく王都へ戻った。



「二か月半」


 国王が言った。


「はい」


「一週間と言ったな」


「はい」


「何か言うことは?」


「申し訳ありませんでした」


「本当に?」


「半分くらい」


「お前な」


 国王は頭を抱えた。


 私は少し迷ってから言った。


「陛下」


「何だ」


「騎士団長を辞めたいです」


 国王が顔を上げた。


「本気か?」


「はい」


「村に戻るのか」


「しばらくは」


「世界を救った勇者が、村人になるのか」


「悪くないでしょう」


 国王はしばらく考えた。


 やがて、ため息をつく。


「後任を決めるまで三か月」


「はい」


「それまでは働け」


「わかりました」


「そのあと好きにしろ」


「ありがとうございます」


「ただし、たまには王都に来い」


「努力します」


「またそれか」



 半年後。


 私はラグナ村へ戻った。


 今度は、騎士団長ではない。


 ただのレオンとして。


 村には十二世帯が暮らしていた。


 昔より少ない。


 でも、人の声がある。


 畑には新しい作物が植えられていた。


 道には商人の馬車が通る。


 井戸のそばでは子供たちが遊んでいる。


「レオン!」


 トーマの娘が走ってきた。


「大変!」


「どうした?」


「ヤギが逃げた!」


「どこへ?」


「あっち!」


「わかった」


 私は走った。


 五十近いので、すぐ息が切れた。


「待て!」


 ヤギは待ってくれなかった。


 昔、魔王軍を追いかけていた時より必死だった。


 ようやく捕まえたころには、泥だらけになっていた。


「勇者様も大変だな」


 村長が笑う。


「勇者様はやめてください」


「じゃあ村人レオン」


「それでいいです」


 私はヤギの縄を持ちながら、村を見た。


 世界を救う旅は、もう終わった。


 でも、暮らしは終わらない。


 井戸が枯れれば掘る。


 道が壊れれば直す。


 腹が減れば畑を耕す。


 誰かが困っていれば、できる範囲で助ける。


 魔王を倒すより地味で、歴史の本には載らない。


 それでも、私はこっちの方が好きだった。


 勇者よ、荒野へ帰れ。


 世界を救ったその先で、自分が生きる場所をもう一度作るために。

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