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えくぼの秘密 --笑わない彼女の、ほんの一瞬ーー

作者: 春凪とおる
掲載日:2026/04/05

彼女は、滅多に笑わない。


整った顔立ちに、少しだけ冷たい目元。

仕事もそつなくこなして、無駄な会話もしない。


だから、近寄りがたいと思われていることも、知っている。


——別に、間違ってはいない。


自分でも、どう話せばいいのか分からないのだから。




昼休み、いつものように一人で席に座っていると、向かいに誰かが腰を下ろした。


「ここ、いい?」


顔を上げると、同じ部署の彼だった。

断る理由もなく、小さくうなずく。


彼は、特別よく話すわけでもない。

でも、沈黙を気まずくしない人だった。


「今日、外あったかいね」


それだけ言って、コンビニのパンの袋を開ける。

会話は、それで終わり。


なのに、不思議と居心地が悪くなかった。




それから時々、彼は向かいに座るようになった。


天気の話とか、どうでもいい話を少しだけして、あとは静かに食べる。

無理に笑わせようともしないし、踏み込んでもこない。


——楽、だな。


そんなふうに思ってしまったのは、久しぶりだった。




ある日、彼が珍しくため息をついた。


「やらかした」

「……何を?」


思わず聞き返すと、彼は少しだけ困った顔で笑った。


「資料、全部古いの使ってた」

「それは……」


「まあ、怒られるよね」


あまりにあっさり言うものだから、つい——


ふ、と息が漏れた。


自分でも驚くくらい、軽い笑いだった。

その瞬間、はっとして口元を押さえる。


——しまった。


彼は、一瞬きょとんとして、それから少しだけ目を細めた。


「今、笑った?」


逃げ場を探すみたいに視線を逸らす。

何も言えない。


「初めて見たかも」


どうしていいか分からず、ただ黙っていると、

彼は少し考えるように首を傾げてから、ぽつりと言った。


「えくぼ、できるんだね」


時間が、止まったみたいだった。


昔、笑ったときに言われたことがある。


子どもみたいだね、って。

似合わないね、って。


それ以来、笑うのはやめた。


なのに。


「……変、でしょ」


やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。 


彼はすぐに首を振った。


「全然」


間を置かずに続ける。


「むしろ、いいじゃん」


軽い口調だった。

何でもないことみたいに。


だからこそ、胸の奥に、静かに落ちてきた。 


その日は、それ以上何も言わなかった。

いつも通り、少しだけ話して、静かに時間が過ぎた。




帰り道、ふと思い出す。


——えくぼ。


指先で頬に触れてみる。

もちろん、今は何もない。


それでも、なんとなく。


ほんの少しだけ、顔の力を抜いてみる。

誰も見ていないのに、なぜか少しだけ恥ずかしくて。


でも。


——たぶん。


ほんの少しだけなら。


笑っても、いいのかもしれない。


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