えくぼの秘密 --笑わない彼女の、ほんの一瞬ーー
彼女は、滅多に笑わない。
整った顔立ちに、少しだけ冷たい目元。
仕事もそつなくこなして、無駄な会話もしない。
だから、近寄りがたいと思われていることも、知っている。
——別に、間違ってはいない。
自分でも、どう話せばいいのか分からないのだから。
昼休み、いつものように一人で席に座っていると、向かいに誰かが腰を下ろした。
「ここ、いい?」
顔を上げると、同じ部署の彼だった。
断る理由もなく、小さくうなずく。
彼は、特別よく話すわけでもない。
でも、沈黙を気まずくしない人だった。
「今日、外あったかいね」
それだけ言って、コンビニのパンの袋を開ける。
会話は、それで終わり。
なのに、不思議と居心地が悪くなかった。
それから時々、彼は向かいに座るようになった。
天気の話とか、どうでもいい話を少しだけして、あとは静かに食べる。
無理に笑わせようともしないし、踏み込んでもこない。
——楽、だな。
そんなふうに思ってしまったのは、久しぶりだった。
ある日、彼が珍しくため息をついた。
「やらかした」
「……何を?」
思わず聞き返すと、彼は少しだけ困った顔で笑った。
「資料、全部古いの使ってた」
「それは……」
「まあ、怒られるよね」
あまりにあっさり言うものだから、つい——
ふ、と息が漏れた。
自分でも驚くくらい、軽い笑いだった。
その瞬間、はっとして口元を押さえる。
——しまった。
彼は、一瞬きょとんとして、それから少しだけ目を細めた。
「今、笑った?」
逃げ場を探すみたいに視線を逸らす。
何も言えない。
「初めて見たかも」
どうしていいか分からず、ただ黙っていると、
彼は少し考えるように首を傾げてから、ぽつりと言った。
「えくぼ、できるんだね」
時間が、止まったみたいだった。
昔、笑ったときに言われたことがある。
子どもみたいだね、って。
似合わないね、って。
それ以来、笑うのはやめた。
なのに。
「……変、でしょ」
やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
彼はすぐに首を振った。
「全然」
間を置かずに続ける。
「むしろ、いいじゃん」
軽い口調だった。
何でもないことみたいに。
だからこそ、胸の奥に、静かに落ちてきた。
その日は、それ以上何も言わなかった。
いつも通り、少しだけ話して、静かに時間が過ぎた。
帰り道、ふと思い出す。
——えくぼ。
指先で頬に触れてみる。
もちろん、今は何もない。
それでも、なんとなく。
ほんの少しだけ、顔の力を抜いてみる。
誰も見ていないのに、なぜか少しだけ恥ずかしくて。
でも。
——たぶん。
ほんの少しだけなら。
笑っても、いいのかもしれない。




