<3・さす、さす、さす。>
僕にはエメの他に、三人の仲間がいたらしい。
格闘術が得意なマッチョの巨漢、ファイア。
黒魔術が得意なクールな青年、ルビー。
そして白魔術が得意なエメと、魔法剣士の僕ラルド。
復活した魔王から世界を守らんと、同郷の四人で立ち上がってパーティをくみ、共に旅立ったという。
『と、いうことなんだけど……何か思い出せた?私のことでも、他のみんなことでも』
「……いや」
僕は首を横に振る。
階段の途中で見つけた茶色のドアを抜け、横穴を少し歩くとまたドアの前に出た。鈍く光る銀色の、妙に大きな扉だ。しかも三つも横に並んでいるとある。
一番左には蛇、真ん中には蜂、右には獅子の紋章が彫り込まれているようだ。
恐らくこの中のどれかは罠なのだろう。さすがに、他にルートがなかった以上全て罠ということはないと信じたいが。
「……エメ。貴女は僕の幼馴染だったというが……残念ながらちっとも僕はその記憶がない。他の仲間も、顔を思い出すこともできない。すまない」
『いえ、いいのよ。故郷のことや、魔王のこと、今までの私達の冒険のことも?』
「残念ながら」
『そう……。そのダンジョンの魔法はよほど強力なのね。幻術師を倒すか、そのダンジョンから脱出すれば記憶は戻ると信じたいのだけれど』
エメの声は聞こえないが、文字がなんだか震えているように見える。多分、彼女が喋った言葉がそのまま文字になっている、ということなのだろう。向こう側で、残念そうに俯いている少女の姿が見えるようだ。――いや、彼女は大人の女性かもしれないが。
『幻術師ハイラスについて、わかっていることはあまりにも少ないの。姿かたちも、年齢も、何一つはっきししていないわ。ただそのダンジョンを支配していて、千年以上生きている存在らしいということしか。そもそも本当にそのダンジョンを作ったのが魔王だとも確定していなくて……もとはハイラスを閉じ込めて封印するために作ったなんて説もあるくらいで』
まあ、千年も前から存在するダンジョンならば、現在まで記録が残っていないのも致し方ないことだろう。
むしろ、入口が塞がっていなかっただけ奇跡のようなものだ。魔王が倒れてから千年の間、人間の間で多くの戦争があったというから尚更に。
「何も思い出せないのは本当に不便だな。貴女が言う言葉がどこまで真実かもわからない」
『…………』
わざわざ沈黙が“…………”のカタチで表示された。これは機嫌を損ねてしまったか、と僕は慌てる。
「すまん、エメ。貴女を疑いたいわけじゃないんだ。ただ本当に何も思い出せないものだから、真実を確かめる術も何もあったものじゃない。むしろ、貴女が万が一僕を騙していたらどうしよう、と思うと怖くなるくらいだ」
『そう、よね。……ごめんなさい、不機嫌になったりして。記憶がないって、どういう状態なのか……正直私には想像もつかないことであるものだから。酷いわよね。貴方をその中に行かせたのは私達の総意で、貴方は勇敢にもそれを受けてくれたはずなのに』
「僕は進んでこのダンジョンに入ったのか」
『そうよ。……まさに、英雄だと、そう思ったわ。私には……そんな勇気、なかったから』
ぴん、と背筋を伸ばすようにまっすぐになる紙。
『記憶がないということはつまり、自分もわからないということ。信念も持てないということ。でも、どうか信じて欲しいの。例え顔も名前もない存在に思えても……貴方は紛れもなく勇者だということ。私達にとって、とても大切な存在だったということ。私個人にとっても』
「エメ……」
まるで、心から慈しむような物言いだ。ひょっとしたらエメと自分は恋人同士だった、なんてこともあるのだろうか。幼馴染ならば、そういう関係であってもなんらおかしくはないが。
『どうか、私を信じて進んで。そうしなければ貴方は死んでしまう。その罠だらけのダンジョンから、一生出られなくなってしまうかもしれない。それだけは、堪えられないの』
だからお願い、と繰り返す。
相手の姿もなければ、声も聞こえない。文字だけの存在をどこまで信用していいのかはわからない。だが。
さっき言った言葉は、嘘ではないのだ。彼女を信じるしかない。疑う方が、恐ろしい。
自分は確かに誰かに愛されていて、信じてくれる仲間がいて、待っていてくれる人がいるのだと。そう信じなければ、不安で潰れてしまいそうになるのだ。
「……わかった。貴女を信じる。その代わり」
とんとん、と壁を叩いて僕は言う。
「話し相手は貴女しかいない。貴女が知っている僕のこと、仲間の記憶。出来る限り教えてほしい。どういった理由で勇者を志し、魔王の立ち向かうに至ったか。どのような冒険をしたか」
『もちろんよ。出来る限り伝えるわ。ひょっとしたら、貴方の記憶も戻るかもしれないしね』
「ありがとう。……と、丁度今、階段の途中のドアを潜り、通路を進んで……三つ扉がある場所まで来ている。この三つの扉のどれが正解か、わかるだろうか」
左の蛇の扉、真ん中の蜂の扉、右の獅子の扉。
鍵がかかっていればお手上げだが、それは押したり引っ張ったりしてみないとわからない。そして、扉の類は、動かしただけで罠が作動するタイプもあり得るはずだ。
どの扉もひんやりとしている。耳を当ててみるものの、扉が鋼鉄製で分厚いためか、音の類は一切聞こえない。
『その扉も、北の大国の部隊が三つに分かれて突入しているようよ。……その中で、次のフロアまで進めた進むことができたのは一チームだけだった。真ん中の、蜂の扉よ』
「他の扉は罠だった、と?」
『正確には、どの扉にも罠はあったの。でも難易度に差があって、蜂の扉でだけ生き残れた者がいたってかんじかしらね。……貴方の力ならきっと大丈夫だと思うけど、気を付けて。罠の作動は免れられない。出現したものを、どうにか倒すしかないから』
「……なるほど、仕方ないな」
他に安全なルートがないならば、そこを進むしかないだろう。僕はそっと蜂の扉に手をかけた。やや重かったが、僕は存外怪力であるらしく、開くのに苦労はなかった。
その奥には、真っ黒な闇がひたすら広がっている。そっと足を踏み出してみると、確かに地面はあるようだった。が、塗りつぶされたような黒のせいで、右も左もわからない。こんな場所に入って無事でいられるのだろうか。
「真っ暗で、何も見えないぞ」
僕の言葉に、問題ないわ、と答えるエメ。
『暗く見えるけど、両手で触れられるくらいの幅の通路がずっと続いているだけ。しかも一本道よ。モンスターが出てくるけど、まっすぐ突っ切って進めば出口に辿り着けるわ。突き当りのドアを開いて逃げ込めば、次のフロアに行けるはずよ』
ナビゲートを信じるしかない。僕は意を決して、闇の中へと足を踏み入れる。
不思議なことに、この闇の中にあっても僕自身の体と、エメの魔力をこめた紙だけは浮き上がって見えるようだった。一体どういう仕組みになっているのだろう。そろりそろり、と進んでいく。通路と言っていたが、掌に触れたのはごつごつとした冷たい岩の感触だ。両手を広げた程度の狭い洞窟の通路が、えんえんと続いているというわけらしい。天井は多少高いのか、僕が立ち上がっても頭がぶつかる様子はない。
――なんだか、少し暑い。……マグマでもあるんだろうか。外が近い、というのは楽観的か?
かつん、かつん、とブーツが岩場を叩く足音だけが響き渡る。静かだと、途端に不安がこみあげてくる。エメが一緒にいてくれるとはいえ、僕に見える彼女の姿はただの紙きれ一枚でしかない。彼女が僕を無視でもしてしまえば、それだけで僕はこの真っ暗な闇に一人取り残されることになるのだ。
あまりにもか細く、不安でしかない関係。彼女を信じたいとは思うが、それこそ向こうに裏切る気がなかったとしても、通信が突然途絶えてしまうことは十分考えられるはずである。
なんとかして、その前にダンジョンを脱出しなければ。ひとまず、この恐怖でしかない真っ暗闇を抜けるのが先決だろう。
「ん?」
段々、聴覚が鈍い音を拾い始める。ぶうううん、という鈍く鋭い羽音。まさか、と思って壁を探ったところで、何か丸くてごつごつした物体に触れることになった。
まさか、と思った次の瞬間。
「ぐううっ!?」
羽音と、カチカチ、というカスタネットでも鳴らすような音。そして、丸いものに触れた手の甲に鋭い痛みが走った。
「こ、これはっ!うぐううううっ!」
ぶすぶすぶすぶす、と全身に突き刺すような痛みが襲ってきた。この音。感触。痛み。これは、真っ暗闇の中で蜂に襲われている?
「え、エメ!何か、何かに襲われている!蜂のようなものだっ!」
『堪えて、ラルド!』
僕の悲鳴に、すぐに文字が浮かび上がった。
『しばらくじっとしていれば、その蜂も飽きてどこかにいなくなるはずよ。その隙に逃げるのが一番の定石だわ。北の大国の部隊の人もそうだった。戦った人は殺されて、我慢して逃げ延びた人だけが生き残ってるの!』
「そ、そんなこと言っても……!」
痛みは全身を襲い続ける。耐えられない。顔だけはどうにか守っているが、無防備にさらされたうなじに、甲冑の隙間にと蜂は入ってくる。真っ暗なせいで、握りつぶすことさえ叶わない。蜂たちには、自分の姿がくっきり見えているということなのだろうか。
それに、我慢していればいいと言うものの、自分がハチの巣のすぐ近くにいるだろうことはわかってしまっている。――もしもオオカラスバチの類であったのならば。外敵がハチの巣から遠ざからない限り、攻撃をやめることはないのではなかろうか。ならば、巣の近くで待機するなど自殺行為でしかない。
――駄目だ。この状態で走ったら、顔まで攻撃される。耳に入ってくるのも防げない。そうなったら終わる……!
戦ってはだめ。エメの言葉が何度も紙の上に表示される。だが。
――戦わなければ、殺される!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
腹の底から吠えた瞬間、全身から炎が噴き上がった。魔力が満ち溢れてくることを感じる。さっきまで、魔法に関する知識なんてちっとも覚えていなかった。しかし、命の危機を感じた途端、頭の中に文字が浮かび上がってきたのである。
さながら、生存本能が記憶の一部を呼び覚ましたかのように。
「“Fire-Strike”!!」
体中から沸き起こる膨大な魔力を、火球に変えて四方八方に撃ち放った。一瞬、狭い洞窟の中があかあかと燃える炎に照らされる。蜂の巣を焼き焦がし、逃げまどう蜂たちを分裂した火球が追い回す。
そして、僕の体に大量に張り付いていた蜂たちはすべて、最初の段階で丸焼きになって落下していた。魔法の使い方を思い出せばあとは簡単だ。攻撃本能のまま魔法を連打し、蜂たちを撃墜して回ればそれでいい。
そもそもオオカラスバチならば、巣が焼けて女王バチを失った時点で統制は崩れる。一部の防衛部隊を除けば、急いで外敵から逃げ出すのが定石だ。
「はあ、はあ、はあ……」
炎が消えると同時に、再び世界は闇に閉ざされた。しかし、もう煩い羽音も、僕を攻撃してくる忌々しい針も失われていたのである。
「や、やったぞ、エメ。僕は、強いだろう?」
『……あのねえ』
どうにか炎魔法から逃れた紙は、困惑したような文字を浮かび上がらせるのだった。
『無茶のやりすぎよ、私まで燃えるところだったじゃない。……貴方が無事で、本当に良かった。でももう、無理はしないでね』




