5.「……おねがいごと」
宿に泊まったことで分かったこと。呪いの二つが、予想を覆して子どもにとっては最悪だったことだ。
大人なら我慢が出来る。だが、子供――ましてや幼女という年齢。出会ってまだ一日の間柄であるため、さすがにアレスのことを信じ切ってはいない幼女だが、なぜか懐かれている。
「……クソッ。人間の子供はこんなに強情なのか」
だからか、少しなら我儘を言っても許されると分かったようで、力ずくで食べさせようとして敗北した……。
幼女のくせに、びくともしない強固な体は曲者すぎる。
空腹を感じない幼女は頬を膨らませ、無匂によって美味しさが分からないことで食べるのを断固拒否。
「ハァ……死なれたら目的を遂げられないだろうが」
二つ目の町で糸が切れたように眠ってしまったアレスだが、地上に落とされて初めての睡眠だった。食事のあと、夜を迎えてベッドに寝転がっても眠れなかったのは一度寝てしまったからである。
チュンチュンと小鳥の鳴く声で、気づいたら朝を迎えていた。幼女は更に早く目覚めたのか、窓からじっと外を眺めていてアレスの言葉にすぐ反応せず慌てるほど……。
朝食も拒否して、早々に町を出て二人で草原を歩いていた。日が昇ってきたくらいの時間帯で、朝と夜のコントラストが鮮やかな色合いを醸し出している。
幼女はそれをキラキラした大きな瞳で見つめていた。飽きないものかと、興味のない様子でアレスは欠伸をこぼす。一瞬だけ、こちらを見てきた幼女に気づいたが、意図することは伝わらない。
「……睡眠の呪いは、急に寝ちまうとかじゃねぇだろうな」
いまのところ魔力が切れたようにパタリと倒れることはない幼女をチラリと覗く。
町へ着くまでの道すがら、いままで何を食べていたのか聞くと、虚ろな目で草を指さし、地面を掘って昆虫を見せてきた。草は知らない間に薬草などで体を浄化し、昆虫は栄養があることは知っている。
幼女いわく一口で丸呑みしてしまって味を気にしなかったらしい。言葉を話せない幼女は、あれやこれと体を使ったり実践して見せてきた。その中で、いつも幼女はアレスの様子をうかがっているように目を泳がせている。
「それで食いつないでこられたのなら、まぁいい」
亜人のことは理解が及ばず、幼女の食事は草や昆虫になった。
町から町の間はそれほど離れておらず、数時間。
町を出てから危険な魔物に遭遇することなくたどり着いてしまった。
「ふむ。本当に最初のはあの魔物の縄張りだったのか? 思っていた以上に平和すぎる」
目指している王都は遠く、乗合馬車でも数週間以上かかるらしい。徒歩ならそれ以上と言われたが、アレスは乗合馬車を選ばず歩いている。
元神として備わった嘘を見抜く目を持つアレスは、事前に宿屋の店主や町人から聞いていた。
――馬車は、腰や臀部が痛くなる、と。
新手の敵かと思ったアレスは詳しく話を聞いて納得した。地面は平らじゃないから、揺れて体に負担がかかるものらしい。
「……これだから軟弱な人間は困る」
町に入ってすぐ、どこからか怒鳴るような激しい声が聞こえてくる。盗みを働いた子供を捕まえてくれという住人の声だった。
声のする方角から誰かがこちらへ走ってくる姿はなく、横道から風が吹いたかと思った瞬間。何かが幼女を突き飛ば――せず、地面へ転がった少年の姿が現れる。
自分より幼い子供に体当たりして負けたことで、目を見張る少年は頭から伸びた二本の角に気づいた。
「うそだろ……反則だ!」
駄々をこねる子供のように文句を言う少年は、すぐあとから走ってきた町の自警団に捕まえられる。人並みにショックを受けているのか、ぐずるわけでもなく放心して動かない幼女を連れて、何食わぬ顔で移動しようとしていたアレスは当然引き止められた。
「……面倒ごとは排除するか――」
事情を聴きたいから自警団の詰所まで来てほしいと言われると、あからさまに目が据わる。整った顔立ちのアレスはどこにいても目を引く存在感があった。凄む顔も畏怖させる力がある。
一触即発の雰囲気だったアレスのズボンを引っ張る幼女の小さな手で、怒りを鎮めた表情は明らかに面倒くさそうだった。幼女に窘められる姿は滑稽でしかないが、自警団はほっこりした顔をしている。
町の自警団に詰所まで連れて行かれると、奥へ連行される少年を見送ったあと、近くの椅子に座らせられる。
自警団のいる詰所は住居よりは大きいが、大した家具もなく閑散としていた。
現在の人数を確認するアレスは、警戒心すら芽生えず欠伸をこぼす。
貴族と誤解される横暴な態度で座るアレスは、腕を組んで目の前に座る赤茶毛の男を睨みつけた。
「あー……すまない。一応、これも義務みたいなものなんだ」
「――義務? 犯人が捕まったのなら、無駄な時間だろうが」
辛辣な返しにタジタジとなる赤茶毛の男は視線を幼女へ向ける。少年は透明化の能力を持った亜人だった。透明化とはいえ、実体が無くなるわけじゃないため幼女にぶつかって解除されたらしい。
自警団は聴取を取りたいらしく、幼女に名前だけ書いてほしいとペンを渡して沈黙した。まず幼女のペンを握る姿は絵を描くような子供で、ミミズのような文字が紙に刻まれる。
「おい……童。貴様は文字も書けないのか?」
びくりと反応した肩を縮めながら頷いた幼女は、さらに小さく見えた。
新たな事実が発覚すると共に、出会ってからまったく気にしていなかった幼女は、名前のない“ナナシ”であることも知ることになる。
一瞬で重くなる空気に対しても、先ほどの態度が嘘のような幼女はケロッとしてつぶらな瞳を向けてきた。幼女とはいえ、見た目的には七歳くらいで、きっと呪いが解けたら言葉も話せるだろう。
孤児だったのかと疑うアレスに対して、困った自警団が保護者の名前を書いてほしいと言われ渋々ペンを走らせた。
終始保護者じゃないと一喝してから詰所を出ると、日が暮れ始めている。引き留めた詫びといって紹介状を貰ったアレスは、そのまま宿屋へ向かった。
昨晩泊まった町よりは大きいが、大して変わらない風景にも関わらず嬉しそうな様子の幼女をじっと観察する。
「……そういえば、不運の呪いは起きていないな?」
アレスの言葉に逐一反応する幼女は首を傾げていた。
それから宿屋に着いてすぐ、客の話し声で夜に祭りがあることを知る。
店主にも話題にされ、夕食は祭りの屋台を勧められてしまった。
祭りという割に、準備もされていない町並を部屋の窓から眺めると、少し遠くの方で灯りが見える。
「……天燈祭り、だったか……」
祭りは人間の行事だと聞いていたが、天燈祭りは規模が小さいらしい。
幼女と違って空腹を感じ始めたアレスは渋々部屋を出て灯りのする方へ向かう。
天燈を見た瞬間、幼女の顔が星よりも輝いて見えた。主催者だろう老人が説明をしている横を通りすぎ、嗅いだことがある匂いのする方へ向かう。
肉の焼ける香ばしい匂いだった。アレスの体は幼女と反して素直らしく、お腹が鳴る。銀貨を渡して購入すると、銅貨が返された。所持金はまだ金貨が八枚ある。一番高かった買い物は呪い師だ。
近くに設置された簡易的な長椅子へ座ると、幼女を尻目に食べていく。アレスが食事中、幼女は天燈を貰ったらしく満面の笑顔で見せてきた。
多分、魔法紙と呼ばれる魔法の紙と筒に黄昏色の炎が入れられたもので、誰でも作れるだろう。これも、紙を生み出す魔法使いが作ったものだった。
「それじゃあ、そろそろ打ち上げようと思います。皆さん、準備はいいですか? 願い事を」
この町の天燈祭りは、願い事を乗せて飛ばすらしい。幼女も立ち上がると、手から天燈を手放した。いつの間にか暗くなっていた夜空へ一斉に飛んでいく姿は星よりも綺麗で、眩しく輝いている。
その中で両手を高く伸ばす幼女の大きな瞳は輝きに満ちていて、何を願ったのか……アレスは気にすることなく肉を頬張った。




