40.「……ごかい」
人魚から告げられた言葉は、『時が来たら話す』だった。もちろん、筆談で。名前を明かすくらいで、珍しい人魚のことを知っている者は少なく首を傾げたタレイアだったが、人の内情を深く聞かないのも彼女の良いところだ。
暫くして食事を済ませたらしい老人が立ち上がり、こちらへ近づいてくる。何かアプローチがあるとは予想していた。
だが、人間の考えることなど気にするはずもないアレスは、優雅な晩酌を楽しんでいる。
「そなたたち、旅の者か」
「へ? は、はい! 怪しい者ではありましぇん! はっ……噛みました……」
無言なアレスの代わりに答えたタレイアだったが、驚いて最後に言葉を噛んでしまって涙目だ。老人は無表情のまま目線だけ外へ向ける。
そして、テーブルに金貨を一枚置いた。目を見開く二人とは違って、表情の変えないアレスは飲む手を止める。相手を凝視するような鋭い視線だけ向けて。
「これは、私からのささやかな贈り物と取ってほしい。店の代金だ。もし、こんな老いぼれの話を聞いてくれるなら……外にある馬車へ足を運んでほしい」
「――面倒事は御免だ」
一言だけ口を開いたアレスに老人は偽りのない笑みを浮かべ、少女を連れ立って出ていった。
老人の声はアレスたちにしか聞こえていなかったようで、誰もが注目したあと再び店内は騒がしくなる。
呆けた様子で自在扉を見つめるタレイアたちは、ハッとした表情でアレスを凝視した。選択する権利を持つのはアレスだからだ。
「――少しだけ、興味を持った。行くぞ」
「は、はい!!」
椅子から立ち上がったアレスを先頭に、釣りをもらうことなく外へ出る。まだ闇に飲まれているとは言えない空を眺めてから、前方へ移した。老人の言ったように、すぐ近くで貴族の馬車が佇んでいる。
御者と目が合った瞬間、すぐ分かったようで手を横に差し出した。乗れと言う合図なのはアレスでも分かる。
近づいていくと扉が開けられた。覗き込まなくても中に老人と少女がいるのは魔力で感じ取れる。馬車にしては奥行きがある内部へ視線を向けたあと、幼女も乗り込んできた。
タレイアと人魚が乗り込み、六人でも狭さを感じない。丸みを帯びた作りで、通常なら二人掛けの椅子が三人掛けだった。人魚が少女の隣へ座り、アレスたちは前に座る。
「君たち……特に、君に聞いてほしい話だ」
「オレを指名するとは、眼鏡を掛けた方が良いぞ」
普段なら賛称するところだが、少女を見るから奴隷に関する話だと推測したアレスは自分を選んだ老人へ目が節穴だと笑う。重そうな内容ほど人間に興味が薄いアレスへ聞いてもらう話じゃない。
否定的な言葉に対してもにこやかな老人は、細めた目を開く。
「いや、君が最も適任だろう。何故か……奴隷に対する偏見が少なそうだから」
案の定、奴隷について言葉を放つ老人へ幼女を除く亜人種二人が目を見開いた。幼女はそもそも奴隷を理解出来ていないだろう。ただ、今回被害者として出会った妖精や人魚を見て判断して見えた。
老人はまず自分と少女の紹介を始める。そしてアレスたちが横を通り過ぎた『奴隷商』の出資者だと話した。少女もそこから買い取ったらしい。
奴隷がすべて悪ではない。環境が整ったら奴隷制度は無くなるかもしれない。一つ間違えたら、同じ位置付けをされる者も多くいる。雇い主の顔色をうかがって働くことも、言葉が違うだけでまったく異なるとは言えない。
加えて、出資している『奴隷商』の奴隷は体へ奴隷印を刻んでいる者以外、自由になったとき一生奴隷の概念はないという。
あくまでそれは、私利私欲で動き犯罪も厭わない違法な『奴隷商』だけらしい。
国王も根絶やしにしたいのは、そう言った犯罪集団だった。闇市なんかが良い例らしい。撲滅運動にも力を入れているとか。
「私は、奴隷制度でなく。秀でた能力を持つ亜人種たちの協力を得て、『正導院』を創りたいと思っている」
「ほう……。御託は分かった。どうしてそれをオレに話す」
「老人の戯言に耳を貸してくれる気がしたから……。それと君は、意図せず多くの者を救う。そんな気がするんだ」
老人の戯言にしか聞こえない与太話。
幼女の呪いを解くには多くの人間から感謝される必要がある。年の功か、はたまた老人も魔法使いと言う線……。
ただ、魔法使いは秘密主義だ。聞いたところで答えないだろう。
興味が削がれたアレスは扉を開いて外へ出た。いそいそと続いて外へ出る幼女たちを見て、老人も顔を出す。
「私の出資してる『奴隷商』は『インパラーレ』と言う名前だ。また会うことがあるかもしれない。覚えていてくれると嬉しい」
最後まで、にこやかな笑顔を浮かべる老人と違い無表情のまま風に流れるような、一言だけ告げた。
「――考えておく」
老人と数秒視線を交わしたあと、踵を返して扉の閉まる音がする。背中を向けて宿へ戻るアレスの足取りは少しだけ軽かった。




