39.「……こわかった」
暫く重い足取りでいたタレイアたちを連れて次の町へたどり着いたアレスは、休息を取ることにして宿屋へ向かう。
目的地の湖、ラックエールはあと二つ町を通り過ぎたところにあるらしい。『奴隷商』も真正売買をしているからか、悪い方の予想は当たらず不幸中の幸いだった。しかも、宿屋で聞いてみたところ奴隷の主は事前に面談をして、人となりを判断した上で雇えるだけの金があるか、所在なども把握されるという。中には満足な食事が出来ず餓死する者もいる世の中で、衣食住の安定を約束されていた。
「凄いですね……。本当に『奴隷商』なのか、疑問すらあります」
貧困や奴隷にも興味がないアレスは無言で階段を上っていく。聞いたのは、今後面倒事に巻き込まれないため。あくまで情報収集だ。この世界にも興味がないアレスは情報以外は他人事で、タレイアの話も半分しか聞いていない。
一時間後に下の酒場へ集合とだけ伝えたアレスは、幼女と共に部屋へ入る。
なぜか幼女はしょんぼりした様子で床に座り込んでしまった。それも三つ目男と出会ってからずっとで、なんとなく理解出来る。
実はあのとき、幼女も足が止まって動けなくなっていた。アレスの護衛として自分の不甲斐なさを七歳で感じ取っている子供なんて幼女しかいないだろう。
「――妙なことで落ち込むんじゃねぇ」
いつものように革袋から魔法紙の束を取り出すこともしない幼女の頭を雑に撫でてから、椅子へ座った。
幼女も顔を上げると大きな目で見つめてきたが、知らないふりをして革袋から数冊の本を取り出す。
一時間なら本を読む時間は十分あった。少し前に読んだ『亜人種と奴隷』の本をパラパラと捲っていく。
幼女も革袋から本を取り出して読み始めていた。子供の気持ちは分からないとばかりに、視線を本へ戻す。
『亜人種という存在によって、ただの人間が奴隷堕ちすることはない。最近では、奴隷の人権を尊重する奴隷商も現れ始めた。転換期なのかもしれない。王国でも、奴隷廃止を訴えている。ただ、奴隷を仕事と捉えている者にとっては死活問題もあることを忘れてはいけない。奴隷にも完全悪とそうでないものがある』
「――奴隷は、絶対悪じゃないのか」
人魚や妖精と出会って闇市を見た。二人の怯えた姿に、黒い首輪はアレスですら嫌気がさしたほど禍々しい“悪”そのものだった。けれど、現在は少しだけ違うらしい。
書籍の裏を見て、この本がいつ世に出回ったのか確認する。
「ほう。一年前なら信憑性はあるな」
『亜人種と奴隷』と言う本はテーマだろう二つについて教えるだけじゃなく、時系列で歴史のようなものも語っていた。作者が興味を持っていて色々と検索しているのか、当事者かは分からない。
トントンと扉を叩く軽い音で本を閉じる。面倒くさそうに椅子から立ち上がって扉を開けた。漂う魔力から廊下にいる相手は把握している。
「えーっと……時間になっても酒場に来なかったので、お迎えに上がりました!」
此処に時計はない。町の中心部などには時計台が設けられていて、太陽の位置を見て大体の時間で把握していた。
「もうそんな時間が経っていたか」
アレスだけじゃなく幼女も時間を気にしない自由人のため、扉から近いテーブルの上で勉強している。人魚と二人で何やら筆談しているようだった。
そのまま酒場に向かって軽く食事を済ませる。最後に一人酒を嗜むアレスの耳へ聞こえていた騒音が消えたことで視線を入口に向けた。
自在扉を通って入ってきたのは酒場に相応しくない身嗜みが良い貴族の老人。白髪頭に鼻の下へ短い髭を生やしている。歩く横には幼女より大きいが、肩まで伸ばされた金髪で人形のような少女を連れ立っていた。ただ、その子供の首には黒い首輪が嵌められている――。
「――アレスさん、あれ……」
「ああ、【従属の首輪】だな……。だが、あの娘」
人魚のイメージが強く、奴隷の印象は最悪だ。それなのに、奴隷の少女は怯えた様子もなく横を歩いている。奴隷なら主人の後ろを歩くはず……それもあってか客の視線は一心に少女へ注がれていた。
奴隷に対する扱いの違い。彼女の着ている服も、貴族の娘と変わらない姿に見える。だが【従属の首輪】は本物だ。
「タレイア。あの首輪は作動していると思うか?」
「してますね……あの首輪から、御老人と同じ魔力を感じます……」
さすがエルフ。この世界では魔力量の多さや種族なども意味をなさないと思っていたが、優れた感覚は持ち合わせているようだ。
『奴隷印』を刻まれた者は、運良く解放されても生涯奴隷だと聞かされていた。老人の扱いは自分と同じ人間として扱っている。
人型に変身した人魚と同じく特徴的な部分は見えないが、奴隷はもれなく亜人種のはずだ。そもそも、特徴的な部位のない人間でこんな美少女はいない。アレスも元神だからこその特別だ。
老人が手前の席に腰を下ろす際、介助をする少女も言われるまま隣へ座る。まるで孫と祖父のような二人は、他人の視線も気にしていないようだった。
「此処は、お前の通っておった店なのだろう? お勧めはなんだい」
「……全部、お勧めですが。一番はふんだん果実のパイです」
座った席が近いおかげで二人の声も聞こえてくる。普通の会話をしていることに、アレスの興味をそそった。奴隷は本当に、生涯奴隷なのか――。
「――面白い。奴隷にも興味はなかったが……悪くない暇つぶしだ」
「ちょっ……アレスさん。言い方……失礼ですよ。人魚さんにも」
視線を向けた人魚はアレスの言葉で何故か口元を押さえて笑っている。
誘拐された恐怖や奴隷として売られかけて味わった絶望は、今でも取り除けていないはすだ。きっと他人事で興味のあることにしか関わらないアレスが、自由で面白く見えたのだろう。
タレイアが『人魚さん』と口にして忘れていたことを思い出したようで、テーブルへ両手をついて小さく音を立てた。
「そうでした……! 人魚さんのお名前、聞いてませんでした……」
今更なことに目を丸くする人魚と、こちらを横目で凝視する老人の姿があった。




