37.「……おいしい」
タレイアの言うとおり、日が沈んだ頃に町へ到着したアレスは宿まで直行する。
どうにか宿で二部屋確保すると、一度別れて荷造りをすることにした。当然、幼女はアレスと同室になる。ただ、あのことがあって少しだけ距離を感じた。
いつもなら部屋に入ってすぐ勉強を始める幼女も、食事が出来るようになったことで困惑して見える。
明らかに面倒くさいと言った顔で幼女へ近づくアレスはため息を吐いた。
「ハァ……このあと、下の酒場で食事をとる。準備をしておけ」
此処の宿も一階が酒場で、食事処になっているらしい。いくつも宿で部屋を借りてきたアレスは、酒場があると便利なことに気づいた。
隣の部屋の二人と合流して酒場へ向かう。今まで昆虫しか食べてこなかった幼女は、一体どのくらい食べるのか……。匂いの誘惑でアレスの手ごと食らいついたくらいだ。食費も無視できない。
酒場は活気に満ちていて、なぜかポツンと空いていた端の四人席へ座る。と言うよりも、アレスが酒場に訪れてすぐ、いつものように魅了されて席を離れた者たちがいたからだった。
鼻息を荒くして興奮するタレイアに店員が声をかけてくる。頬を赤く染めた女の店員は、メニューを手にしていた。
「あ、あの……ご注文を……こちらから!」
「あ、有難うございます! 決まりましたら、声をかけますね」
代表でメニューを受け取ったタレイアがテーブルに広げて置く。夜と言うこともあってメニューには酒もあった。
美男美女しかいないアレスたちが、他の客にどう思われているか考えることもなく、旅でも関係なく酒を指さす。以前、宿屋の店主に貰った果実酒だ。
果実酒は、採れる果物によって変わると聞いていて、他は店員お勧めの料理を人数分頼む。
数分して果実酒が運ばれてきて、何も聞かれることなくアレスの前へ置かれた。注文したのはタレイアだったが、酒はまず男の前に置かれる。
「ほぅ……悪くない香りだ」
とても絵になるアレスを客以外でもじっと眺めるのはタレイアだった。グラスに注がれてきたため、一つしかない。
「貴様も飲みたいなら、飲めば良い」
「へぁ⁉ ち、違います……わたし、飲めないので……。その、まさしく! 貴族だなぁって」
「……地上で言う貴族とは別物だ。寧ろ、比べるのも烏滸がましい」
両手で口を押さえるタレイアは、また何か勘違いしていそうだったが何も言わなかった。
匂いを味わったあと、グラスへ口をつける。一人で優雅な雰囲気を醸し出すアレスに、全員が注目していた。
普段は酒場であっても部屋に運んでもらうばかりだったことで、アレス自身も初体験だった。意外と騒がしい場所を好まないアレスは、短く息を吐いて威圧する。
タレイアたち以外の客が一斉に肩を揺らして視線をそらした。分かりやすい反応で、アレスは顎に手を置いてグラスを揺らす。
「……さすが、アレスさんです!」
称賛されるようなことをしたつもりのないアレスは首をかしげて、再びグラスに口をつけた。
そのあと、料理が運ばれてくる。さまざまな匂いで満たされて興奮する幼女にタレイアは笑顔を浮かべて、食べ方などを教えていた。アレスだったら確実に放置しているだろう。
今までが嘘のように大人三人前を食べてしまう幼女の腹は幸せな膨らみをしていた。少しだけ幼女の好みも分かる。子供全般が好き嫌いする野菜は渋い顔をしていた。
食事を済ますと部屋へ戻り寝る準備をする。町へ着いたのが遅かったのもあって、もう良い時間帯だった。
幼女は相変わらずなため、小さな机に張り付いて勉強をし始める。アレスは気にせず奥のベッドへ横になった。
『おやすみ』なんて普通の挨拶すら交わすことのない二人。目を閉じるとすぐに意識を手放した――。
そう思っていたアレスは瞼を開ける。だが、明らかに宿の部屋じゃない。天界と同じ白い空間が広がっている。
「――これは、夢か……? それとも」
「アレスよ。良くぞ、二つの呪いを解呪した」
急に目の前が光だしたかと思った瞬間。聞こえてきた声は父神だった。
つまり、天界を模った夢の中。
神力を失ったアレスへのコンタクト方法は限られる。急な登場でもアレスはまったく動じていなかった。むしろ、父神を相手に両手を組んで頭が高い。
自業自得なのに、怒りすら見えそうなほどだった。
その姿を見た父神も呆れた表情をしている。
「お前は……まったく変わっていないな。二つも解呪したことで多少は改心したと期待ていたが……」
「変わる必要を感じない。解呪も知らない間に出来ていただけだ」
「ハァ……前途多難か。現状は分かった。ただ、お前はこの世界の一部にはなれない。世界に干渉はしすぎるなよ」
思わぬ言葉に眉を上げるアレスが質問をしようとしたときだった。それも一瞬のことで、白い世界が炎のような赤い色に染まる。険しい表情をしたのは父神の方だった。
「……まさか、干渉するほどの魔力を持っているのか」
「――なんの話だ?」
「お前の小さな――」
小さいだけで想像出来るのは一人だけ。父神は最後まで言い終わる前に形を失って消えていく――。
ふと誰かの手で触れられて意識を浮上させる。以前ならそれすら許していなかったアレスは目を疑って隣に視線を向けた。
「――貴様だとは思っていた」
軽く首をかしげる幼女はアレスの言いたいことを分かっていない様子で、起きたのを確認してから手を離す。ゆっくり上半身を起こしてため息をついた。
夢のことはぼんやりと覚えている。再び戻ってきた幼女が手にしているのは魔法紙で書かれた文字だ。
『おきないから』
一言だけでアレスは幼女の言いたいことを読み取る。人間として過ごし始めて、アレスはいつも同じ時間に起きていた。
ベッドから立ち上がって窓を開ける。太陽の傾きから大体の時間を計算して、いつもより一時間くらい遅かった。
「……なるほどな。それにしても、父神自ら干渉してくるとは面白い――」
不敵な笑みを浮かべるアレスは背後から向けられる熱い視線を無視して、今後のことを考えていた。




