36.「……もやもやする」
クラトスのお陰で、新たに判明した痛覚を感じない呪い【無痛】の効果か、酷いことをしたという自覚からショックを受けたときと同じで放心している幼女へ視線を流す。
まさか、手ごと噛みつかれるとは思っていなかったアレスにも落ち度があった。いつも涼しい表情をしているアレスでも、人間の持つ“痛み”には抗えない。それを考えたら、幼女の呪いは本当に厄介だ――。
食事もままならず、喉を通らないという幼女だったが【不感】の呪いによって空腹も感じていない。ただ、旅が始まったばかりだからこそ、空気の悪さは払拭するべきだった。
「ハァ……オレは気にしてない。だから、貴様も自傷行為はやめろ……」
「そ、そうですよ!? 皮膚が厚くても、痛みを実感できないだけですから!」
倒された大木。真っ二つに割れた少し大きめの岩。幼女の周りには無残なほど破壊された物で溢れている。しかも、それを指摘された現在は地面に頭をめり込ませていた。
幼女の隣でしゃがみ込む人魚とタレイアは必死になって機嫌を取ろうとしている。
アレスの一声で反応して顔を上げる幼女は額を赤くしているが、一切の傷口はなかった。
ホッとする二人に頭を下げる幼女は、チラッとアレスの手を見て申し訳無さそうな顔をしている。
再びため息をつくアレスはしゃがみ込んだままの幼女へ近づいていき、物を掴むように引っ張り上げた。
「ハァ……オレが人間の子供を虐めているみたいだろう」
「え……“人間の子供”、ですか? アレスさんて、不思議な魅力をお持ちの方だと思ってましたが……そちらの方でしたか」
一人納得し始めるタレイアと違って「そちらの方」が分かっていないアレスはピクリと眉を動かせる。口を噤んでしまったタレイアから意味は聞き出せないまま、再び草原に座って幼女の前へ籠を置いた。
中には先ほどと同じ物が入っている。アレスなりに考えた結果、自分で掴んで食べろという意思表示だった。
じっと眺めていた幼女からゴクリと唾を飲み込む音がする。空腹は感じなくても匂いを感じることが出来るようになったことで、幼女は知ってしまったのだ。
――今までで食べてこなかった料理が、美味しいものだったことに……。
昔のようにアレスの様子を伺う幼女へ優雅な動作で手を前に出してみせる。
「食え」
その一言は、幼女に言うべき言葉としてまったく適してないなかったが、固まっていた姿が一心不乱で手料理を口へ放り込み始めた。
その姿は野性的で、途中喉に詰まらせてタレイアが介抱されるほど切羽詰まった様子を見せる。
ようやく落ち着いた幼女へ質問をした。幼女が今まで口にしていた昆虫などである。
幼女からの返答は『まずい』の一言だった。
「でも良かったですね! また一つ呪いが解けたんですから」
「ああ。クラトスの言い分が正しいのなら、誰かがオレへ感謝したことになるが……」
視線が突き刺さる人魚は頭を掻いている。候補としては、人魚の他に少し前別れた妖精もいた。クラトスの助言だと「アレスは手助けとか考えないで行動した方が絶対良いよ」である。
感謝されるようなことを考えたとしても、本当の人間じゃないアレスが分かるはずなかった。それに、解呪方法が『アレスが本心から何かしたいと思う必要がある』は難度が高い。
「一つ思ったんですが……アレスさんと、彼女は一心同体なんですか? 呪いは彼女に降りかかっているのに、解呪方法はアレスさんですし……」
良いところへ気づくタレイアに感心するアレスだったが、父神の用意した子供である幼女は神の試練に巻き込まれた被害者ということになる。
つまり、やはりこの呪いを付与したのは父神かそれに連なる者……。
呪いをすべて解呪したあと、本当に神へ返り咲けるのかも怪しい。
質問へ応えずはぐらかすアレスは、徐ろに立ち上がる。一悶着あったことで、日が沈んできていることに気づいたからだった。
「タレイア、次の町までどのくらいある」
「え? あ! 今からなら、まだ宿へ泊まれる夜にはたどり着けると思います!」
「それなら長居は無用だ」
再び歩き出したアレスの横を駆け足で追いつく幼女は、ピッタリとくっつくように並ぶ。まだ気にしている様子だったが、傷つけてしまったアレスを守ると言う健気な意志は感じられた。
アレス自身も思った以上に人間の脆弱さを実感して哀愁を漂わせて歩みを進めていく。




