35.「……おてつだい」
翌日、早朝に宿を出たアレスはクラトスの家へ訪れる。ユースは国王に盾突かないなら保留と言っていたが、誰も信用しないアレスは王都に長居するのは得策じゃないと考えていた。幼女の呪いで長旅は確定したため、人魚との約束を守る必要はないが、反故にする理由も見当たらなくて折れる。街を出る前に挨拶したいという幼女の希望を叶えるため来たのだが、寝不足な目を擦るクラトスは別れを惜しむ様子も感じられなかった。
「あれ……? もしかしなくても、もう街を出る感じ……だよね?」
見て分かるだろうとばかりに沈黙するアレスに苦笑いするクラトスは、少し後ろにいる幼女と人魚へ視線を向ける。スッとアレスの前に出た幼女が魔法紙に書かれた文字を見せた。
『フェリちゃん、今までありがとう。また会おうね』幼女の中では、未だにフェリちゃんの印象が強いのか、黒歴史を突く意地の悪いアレスと違う純真さに打ちのめされるクラトスは胸を押さえている。その反応に首を傾げる幼女と、悪役のような薄ら笑いを浮かべるアレスへ涙目で主張した。
「ちょっ……! その笑い方、人を馬鹿にした態度は良くないからね⁉ まったくキミって男は……本当に不思議で仕方ないよ。地上に降りてきたって話もあながち嘘じゃないような……」
「オレは暇じゃない。もう王都に戻ることはないだろうから、貴様ともこれで最後だ」
「はは……薄情なところもキミらしいよ。まぁ、僕も仕事を終わらせたらまた街を出るかもだし……。また、会えたときは宜しくね」
当然のように伸ばされた握手をアレスが取るはずもなく、代わりに下から小さな手が伸ばされる。すぐにしゃがみ込んで笑顔で握りしめるクラトスと幼女を意味深な表情で見つめていた。同じ宿へ泊っていたタレイアには何も告げずに出てきていたアレスだったが、門に向かうと腰まで伸びた金髪を一つ結びにした良く知る姿がある。明らかに不満顔で、素通りしようとするアレスの腕を掴んできた。
「ちょーっと! 待ってください! 普通、知り合いを前にして横を通り過ぎます⁉ わたしとアレスさんは、赤の他人じゃないですよね⁉」
「ハァ……うるさい」
「ひ、ひどいです……ぐすん。良いです……アレスさんがそんな人だって分かってるので! 大きな港町に向かうんですよね? わたしも、そこまで用があるので行きます!」
無言で勝手にしろとばかりのアレスは掴まれた手を軽く払って止めることのない門番を横切って王都を出る。その後ろで改めて挨拶を交わしている人魚とタレイアに再びため息が出るが、下からの視線を感じて面倒くさそうな顔をした。明らかに喜んでいる幼女の顔で、タレイアは破顔している。
宿屋で人魚からされた依頼は故郷まで送り届けるため、向かう場所はこの世界で大きい港町だった。話を聞くと、隣の島から連れてこられたらしく、海に繋がっている湖――『ラックエール』までの護衛。旅人がするような仕事じゃないが、幼女の呪いを解くためには多くの人間を知る必要があった。
ラックエールと言う湖は、水の色が白く見えるということで人気な観光地でもある。人が多く集まる場所で、人魚がいるのは疑問でしかなかったが、それ以上はまだ言えないと謝られた。元々、他人に興味のないアレスは謝罪すら自分事で捉えていない。
一気に賑やかとなったことでアレスは頭を押さえる。平穏から遠ざかる現実へ白い目を向けたのは幼女にだ。元凶になってしまった幼女は肩を揺れして目をそらす。
「ちょっと、アレスさん! 怖い顔で見ないでください。彼女は子供なんですよ⁉」
見た目が同い年くらいな人魚と和気藹々と話をしていたタレイアが割って入ってきた。ただ、人魚は幼女と同じで話せないため、アレスの耳をうるさくしているのはタレイア一人である。
話をしていると、朝食もせずに出てきたことでお腹の音を鳴らす人魚が顔を赤くして腹部を押さえた。今度は白い目をアレスへ向けるタレイアの一言で、道端の朝食をすることになる。
「はぁぁ……こんなことかと思ってわたし、お弁当を用意してます!」
タレイアは腰につけていた小さな革袋から四人分の弁当を取り出してみせた。確実にそんな量入らない革袋へ視線が注がれる。そこでハッとした様子のタレイアは顔を引きつらせて口笛を吹いた。エルフなのに下手で、分かりやすい。
「じ、実は……わたし、魔法持ちなんです。それも、『収納魔法』でして……」
「――収納魔法、だと?」
「は、はい!」
アレスの瞳が一気に曇るように黒くなり、自分の体を抱き締めて怖がるタレイアは涙目になる。噂に聞いていた収納魔法を持った人間がまさか目の前にいることへ対して、純粋な興味からだった。しかも、元々の魔力量が高くて、相当量の収納が可能だと言う。ただのうるさいエルフから、便利道具認定されるタレイアだった。
タレイアの準備で朝食を取ることになって座りこむアレスは、虫を見つけて口にする幼女へ視線を向ける。いつもの変わらない光景だと思っていたが、急に大きく肩を揺らす幼女が口に入れた虫を吐き出した。
「え……? 大丈夫ですか⁉」
「まさか、毒虫……いや、前にも食べていたな」
死にかけの虫を分析するアレスの横で、幼女の顔は悍ましいモノを見たように固まっている。何かを思い立ったアレスが、タレイアの準備したパンで挟んだ食べ物をおもむろに幼女の前へ差し出した。その瞬間、幼女が鼻で匂いを嗅ぎ取るような仕草を見せたあと、アレスの手ごとパンにかぶりつく。
幼女の小さくても鋭い歯が当たり、一瞬だけ顔を歪ませるアレスは思い切り幼女の髪を引っ張った。殴っても意味がないことを知っているアレスだったからこその行動であり、正気を取り戻した幼女も口を離す。
衝撃的すぎて困惑するタレイアと人魚の前に、歯の跡からポタポタと流れる赤い血が滴った。ガタガタと体を震わせる幼女は恐怖を感じてみえる。
「ち、治療します‼」
この世界で自由に魔法を扱えないということは、回復魔法を使える人間も限られて、アレスの知る回復薬なども高価だった。タレイアがそんな物持っているはずもなく、革袋から取り出した水でまず洗い流される。
アレスが痛みを感じるのはこれで二度目だった。それでも反応したのはアレス自身と言うより、脆弱な人間の本能に近い。綺麗な布を取り出して手に撒いていくが、すぐに血で滲んでいく。
幼女とは別の意味で体を硬直させていた人魚がタレイアへ何かを訴えていた。手で切る動作から読み取ったタレイアは徐にナイフを取り出す。すぐに取り去られたナイフで軽く指を切る人魚へアレスも目を丸くした。少ない血が滴って地面へ落ちる。次いで、アレスの手を取って滴る血が手の平へ当たると、布に滲んでいた血の広がりが止まった。
「えっ……と? まさか! 人魚伝説は本物だったんですか⁉」
驚くタレイアが布を取り去ると、血の跡や空いていた穴も消えている。そして、向き直った人魚の指から出ていた血も、傷すら消えてなくなっていた。
「まさか……不老不死の一端か」
小さく頷く人魚は、未だに震えている幼女の頭を優しく撫でて抱きしめる。そして、痛みを感じて血を流していたのが嘘のように冷静な分析をするアレスは口元を緩めた。どこか鼻で笑うようにさえ感じられる。
「クラトスは何も言っていなかったぞ……謀ったな」
「な、何はともあれ! 大事にならなくて良かったです……!」
幼女の衝動はひとえに、また一つ呪いから解けたことを指していた――。




