34.「……はじめてみるまほう」
深淵のような闇が広がっていて中は何も見えない。一般人なら此処で怖気づいて先へ進めなくなるとか。暗闇には防犯の意味があることを知って、アレスも感心する。当然、アレスと幼女は怖がることなくユースのあとへ続いた。怖気づいたのは騎士団員二人で、外を見張っていると口実を立てて残る。
意外にもクラトスは平然としていて、エスコートしないアレスの代わりに怯える人魚の手を取った。水槽を落とさないよう慎重に歩いていく。
少しして僅かな光が漏れている場所へ差し掛かった。漏れ出すほどの光で把握出来た扉は、頑丈に閉められている。ユースが扉に触れた瞬間、何かが飛散した。
「これは暗闇に棲み着く光苔だよ。どこからともなく現れて、熱が加わると飛散してしまうんだ」
死んでいるわけじゃないが、その場所から消えてしまうらしい。不思議な苔に興味が湧く。光苔がいなくなると再び静寂の深淵へ戻った。だが、内側から音がして扉が開かれる。
薄紫の艶がないボサボサな髪を腰まで伸ばし、虚ろな紫色の瞳をした人物が立っていた。中から漏れる光も暗い紫色をしていて、大して明るくはない。
黒いローブ姿の女は、大きさが合っていないように感じるほど細かった。彼女のコケた頬に対して、意外と病的な印象はなく元々だと理解する。全体的に平べったい体で、両手をもじもじと動かしていた。
「やぁ、久しぶり。元気そうで何よりだよ。今日はまた客人を連れてきたんだ」
「そ、そうなんですね……ど、どうぞ。何も、ない部屋でしゅ……ひゃ! 噛んじゃった……」
クラトスが言っていた印象のままで、アレスも特別興味を示すことなく全員が部屋に入ると自動で扉が閉まる。
部屋に入ってすぐ、おどおどしていた彼女に変化が現れた。人魚の細い首に嵌まった黒い首輪へ気づいた途端、曲がっていた背筋を伸ばす。
そして、人魚の肩へ細い手を乗せると虚ろな瞳に光が灯ったようで鼻息も荒い。
「そ、それ! また、被害者が……。本当に、厄介な魔法具を作ったあの男が嫌になる……」
口ごもっていた話し方も、封印の魔法について語るときは普通だった。しかも、意味深なことを呟いている。まるで【従属の首輪】を作った張本人を知っているような……。
アレスが視線をユースへ向けると、小さく頷いている。王国関係者は分かっているようだった。
封印の魔法使いへ椅子に座らされた人魚は目を泳がせている。危ないからと、水槽はなぜかアレスが持たされた。
「……どうしてオレが荷物持ちなんて」
文句を口にするアレスに対して抗議したいが、人型で話せない人魚は幼女から貰った魔法紙で『荷物じゃないです! 大事な生命の卵です!』と書いて見せてくる。正直、持ち運ぶのが大変な小さな水槽についても考える必要はあった。
それよりもまず、【従属の首輪】を外すことになり、細い腕の封印の魔法使いでは重そうなニメートルくらいある杖を持ってくる。
この世界では魔法を使うのに杖が必要なのかと興味深く眺めるアレスへユースが補足してきた。
「魔法は本人の望む形なんだよ。杖でも、無くても魔法は使える。彼女は、魔法使いらしい杖があると落ち着くらしい」
「……なるほどな。オレなら、そんなモノ邪魔で仕方ないが」
収納魔法も使えないのでは嵩張る物でしかなく、一つの魔法しか使えない魔法使いなら必要性を感じない。素直な感想を口にするアレスへ封印の魔法使いは萎縮する。
それを励ますクラトスは苦労性かもしれない。もちろん、アレスのせいで……。
あくまで案内人らしいユースは笑顔で見守っているだけ。
落ち着きを取り戻した封印の魔法使いは杖を高く掲げる。
「――封印解除!」
呪文を唱えた瞬間、杖の先端から禍々しい紫色の光が溢れ出して人魚の首輪へ注がれた。思わず目を瞑った人魚は、パキンと言う金属の鈍い音で瞼を開く。重くて精神も蝕んでいた忌々しい黒い首輪が半分に割れて地面へゴトッと音を立てた。
自然と首へ触れる人魚は、何かを発しようとして口を開いてパクパク動かす。ただ、それは相手に伝わらない行為だと思い出して何度も頭を下げたあと、杖を持つ手ごと掴んで涙ぐんだ。
相手から手を掴まれたことで大きく肩を揺らす封印の魔法使いだったが、表情から伝わってくる想いに涙腺が決壊する。
部屋の中には一人分の声しか聞こえないが、二人して数分泣き腫らした。
「用は済んだな」
「うわー……そういうところだよ!? 顔は良いのにモテそうにないよねキミ……」
「フフッ……君は面白い男だね? そうだ、名前を聞いても? 実は僕の直属の部下が、負けたことを悔しがっていてね」
誰かはすぐ想像できる。唯一アレスに食いついてきたのは一人しかいない。
当然知らない振りをするアレスは名乗る必要性を感じず、踵を返す。クラトスも敢えて名前を呼ばない。すぐ明るみになるだろうが、それは出来るなら王都を出てからだ。
晴れたような顔をする人魚が、アレスの前へ回り込むと再び魔法紙を見せてくる。
『彼女が、行きたいところに連れて行ってくれると言っていました!』と……。
元凶である幼女を睨みつけるアレスへ気づくとバツが悪そうに下を向く。三人のやり取りを見ていたユースは笑顔で提案してきた。
「君は被害者だ。王国で保護することも出来る。彼と一緒に行く理由があるのかい?」
アレス自身も聞いていない人魚の理由。大事そうに抱いている卵も関係していそうで、とても面倒くさい。
沈黙する人魚は、幼女から魔法紙を貰って書き足す。
『嬉しい申し出ですが、私たち人魚は特殊な環境下で暮らしています。故郷へ帰るため、私が認めた方に護衛をお願いしたいのです』
理由は王国騎士団が聞いても良かったらしく、思った通りの内容でため息が漏れた。ユースも予想していたことだったようで、それ以上は何も言わない。騎士団は基本的に国王陛下のため、国に尽くしている。民のために動くことはあっても、個人の事情で動くことはない。そして、人魚は鎖国国家と言えるほど、他種族と関係を持たないため希少であり、多くを知られていなかった。
アレス以外が封印の魔法使いにお礼を言って、そのまま王城をあとにする。ユースも門まで見送ってきたが、人魚の用でアレスと言葉を交わすことはなかった。
何やら国王からの選別で、卵が入った水槽を持ち歩くのは大変だろうと絹糸で出来た魔法具の袋を貰ったらしい。どんな大きさの物でも袋へ触れたら小さくなり、状態も維持される優れものだった。そのままだと野盗に狙われないかねないから麻袋へ入れる二重対策。両手が空いたことは願ったりだ。
ただ、訝しげな視線がずっとアレスに刺さっていた。最後まで仮面をつけたような男ユースとは、嫌な縁で結ばれたことは明らかだ。
「……完全に目をつけられたと思うよ。僕は、王都から出られないし……気をつけてね」
「――あの程度、問題ない。食えない男ではあったけどな」
その後、無事にクラトスの家へ戻ってきたアレスたちは一人居残りさせられていたタレイアに歓迎される。今後について話し合うのは明日にして、アレスたちは宿屋で夜を明かした。




