揺れる月と海獣3
「かゆい…」
レノは耳たぶをゆっくりとさすった。
季節外れの虫だろうか。
レノの生活空間は地上より高いところに位置していて、いまは虫が地面に張り付いている時期のはずだ。
なんだか左腕もムズムズする。
あれっ、と思った。
視線は相変わらず塔の外に向けているのだが
指先で左腕を撫でると、覚えのない包帯が巻かれていた。
「…?」
なんだろう、これ。
塔に出入りする唐栗人形だろうか。
眠っている間に、巻かれた?
今朝の起床の時には気づかなかった。
ぐーっと首を傾げ、全身で疑問を現す。
固く束になった髪がぎしっと音を鳴らしそうだ。そろそろ梳かしたい頃だ。
あとで唐栗人形に聞いてみよう。
明るい陽光がレノの髪を真上から透かす。
頭のてっぺんでジリジリと煙をあげそうだ。そんな熱を与えてくる。
蔦が大きく踊る窓辺越しでさえ、この陽射しの強さなのだ。
玉虫色の瞳も、外界の刺激それら全てを受け入れてしまうのだろう。
やはり、塔の外は危ないのだな。
レノは皮脂と汗で薄汚れた髪をかきあげ、小さく溜め息をついた。
…カツン…カツン…カツン…カツン
規則正しい足音が螺旋階段をこだまする。
この足音は、ナナだ。
少しすると、部屋のこれまた古びた(朽ちかけた)ドアがギィィ、と仰々しく音を立て
配膳を手にしたナナが現れた。
「こちらです」
「ナナ」
「残さず食べてくださいね」
「俺、髪の毛が脂で固まってるんだ」
「こちらは山羊の乳です」
「ナーナー!ナナ!」
「…? どうかされましたか?」
「えっと、その、そろそろ水浴びがしたいんだ」
「…かしこまりました」
ナナは表情を変えずに上半身を折り、一礼をした。
予備動作もなく、勢いよく身を翻し
木材が反り返ったドアを丁寧に閉じ、部屋をあとにした。




