揺れる月と海獣2
ゴオオオオオオオーーーーーー
バチバチバチバチッ…
見事な装飾が施されたゲルが、なす術もなく灰に還っていく。
地獄の業火が辺りを焼き尽くす。
呼吸がままならない上に、生臭い脂の臭いが全身に纏わりつく。痛覚は既に麻痺しているだけが幸いであった。己の四肢が、焼け爛れている。
黒煙に巻かれ、逃げ場が見つけられない。
青年は四方を灼熱の炎に包まれ、身動きが取れない。
肺が焦げ臭く、このままでは死から逃れられない。
走馬灯が過った。
(もう、ここまでか…)
遊牧民の青年は、大人しく運命を受け入れるほかなかった。
この世のものとは思えぬ野火事に見舞われ
愛する大地は無惨にも姿を変えた。
一度で構わない。幼きころに人から聞かされた
ことのある【海】とやらを訪れてみたかった、
死の間際にふと、思いがけぬ記憶の扉が開いた。こんな状況で思い出すものなのか。
(は…はは…)
声帯は既に焼かれ、失笑の変わりに喉奥からがさついた空気が出入りする。
(あの世にも海があるといいが)
いつの間、視神経も焼き切れたのか。
脳裏に赤黒い明度を感じる。
おまけに全身を巡る血液が、熱で煮えたぎっている。
どうあがいても、死ぬ。
間もなく五感の機能が全て停止するはずーーー青年はそう理解した。
鼓膜を裂いた轟音が消えた。
自分の皮膚の焼ける臭いも、もうわからなくなった。
代わりに、心臓が穏やかに脈を止めた。
…。
………。
◇◆◇
どのぐらいの時間が過ぎたのだろう。
音が、聴こえた?
微かな、話し声だろうか。
なんというか…どこか懐かしいような、泣きじゃくりたくなるような…
いつまでも聴いていたい、美しい声のように思える。
これは、夢か現か。
「…!おねがい…ッ!」
青年は懇願されていた。
「はやく欠片をッ、飲み込んで…!!」
声の主を確認することは出来ない。
俺は失明してしまったのだろう。
だが不思議だ…。
もう、あの世に辿り着いたのか?
顔も性別もわからぬほど、酷い火傷を負った青年は、声の主に抱かれながら
ぼんやりとそんなことを思った。
かつての肉体は、肉塊に成り果てていた。
頭部と思わしきパーツに、ちいさな異物を押し込められた、気がした。
(あの世は、思っていた流れと違うのかーーー)
薄れゆく自我、溶けていく身体。
実体を失った魂は、魚のような脚ひれを持つ大きな生き物を見下ろしていた。




