9.東家と海
海と恋人の東柊は、少し遠出をして県内にある動植物園へデートに出かけた。
デート先はいつも、動物好きの東が食いつくような場所だ。前回行った温泉地でも、彼はずっと猫と戯れていた。そして今回も、自然に近い環境でのびのびと暮らす動物たちと触れ合い、すっかり海のことは放置である。
「柊君、楽しい?」
「……」
「おーい」
「え?」
「楽しい?」
「ああ」
夢中になって動物を観察する彼を見れば、海も来てよかったと思えた。
「見て見て! あのフラミンゴ、カップルかな? 仲良さそうだね! じっとくっついちょらんで、一緒に飛んだら気持ち良さそうなのに」
「フラミンゴは飛ぶために助走が必要なんだ。だから、この広さだと飛ぶのは無理だね。ここに柵がないのは、逃げられないってわかってるからだよ」
「へぇー」
たまに会話が続くと、東はこのように動物の豆知識を海に教えてくれる。それを彼女も園児たちに後日披露し、ドヤ顔をするまでがセットだ。
一日中園内を楽しんだ後は、また時間をかけて家まで帰る。電車に乗っている間、東は撮った写真を眺めており、それを海も横から覗き込んだ。
「ねぇ、柊君」
「ん?」
「わたしたちも、この子たちみたいにいつまでもラブラブでいたいね。……わたしね、この前ゆのんの結婚式行って思ったの。柊君とも、いつか結婚するんだろうなぁって」
「……そうだね」
「……へ? 本当にそう思っとる?」
「ああ」
あっさり返事をした東は、スマホの写真をまた眺めている。
(これはどういうこと? 今のって、わたしがプロポーズした感じ? で、OKされたってこと? え、本気?)
海はカレシの言動に振り回され、頭がパンクしそうになった。
その日の夜、東が風呂に入っているタイミングで、海は東ママに帰りの電車での出来事を話した。
「え、結婚!?」
「みたいです。わたしたち、結婚します」
「いつかはするんだと思ってたけど、急なのね」
「急ですね」
「そう……。あの子、何考えてるのかわからないところがあるから……」
「で、式にはお義父さんも呼びたかです。まだ挨拶しとらんですし」
「それはダメよ!」
「ほぇ?」
途端に、東ママの表情は険しくなった。
「あの人、私たちのことなんかどうでもいいって考えなのよ? 海ちゃんが会う必要はないわ」
「……それ、柊君も言っちょりました」
「仕事ばかりで、こっちの苦労を知りもしない。それなのに口出しは立派にしてくる。私たちがどれほど振り回されたことか!」
「ばってん、柊君のパパです」
「柊も柊よ! 私はあの子を自分が働いて得たお金で大学に出してあげたかった。なのに勝手にバイト始めるし、相談なしで大学も学部もいつの間にか決めて、お金のことを一切話さないの。出すって言ってるのに、この話題になったら無視よ? 変なところで反抗してくるの。頑固なんだわ! 実家では兄のお嫁さんと上手くいかなくて辛いこともあったから、今は海ちゃんと柊と猫たちと暮らせて幸せ。だけどね、もっと私を頼ってほしいのよ」
「わたしは頼ってますよ?」
「そうね。海ちゃんはとってもいい子だわ」
「やった!」
「ふたりの結婚も私は賛成。ただし、柊の父親のことは忘れなさい。今の幸せにあの人はいらないわ」
「……うーん」
「なんの話?」
「わっ!」
そこへ、風呂上がりの東がパジャマ姿で現れた。彼は冷蔵庫からお茶の入った容器を取り出しグラスに注ぐと、それを持ってふたりの会話に加わる。
「柊。あなた、結婚って本気なの?」
「え? ……あー」
「お義父さんに報告しなくて大丈夫って言われたの。柊君もそう思う?」
「いらないよ」
「ほらね」
「うーん」
しかし、海は納得できなかった。家族の形はそれぞれだと思うが、このままで良い気がしない。
考えた末に、彼女は決断する。
「暫く、実家に行ってきます!」
「は?」
「え?」
「あ、その前にお風呂入ります!」
「海?」
「海ちゃん?」
ドシドシと音を立てて歩きながら風呂場へと進む海に、猫たちは不穏な空気を感じて安全な隙間へ走って逃げ、残ったふたりは揃って首を捻った。
そして翌日。海は朝早くにスーツケースを持って、「実家に行ってきます」という昨晩と同じ言葉を置き手紙に残し、家を出ていった。
「どこかなぁ?」
以前猫関連の忘れ物として東京の家から届けられたダンボール箱に、東が住んでいた家の住所が書いてあった。それをメモしていた海は、都内の高級住宅街を彷徨い歩きながら目当ての家を探す。
「どちら様ですか?」
彼女は不審者に見えたようで、ひとりの婦人に声をかけられた。
「人を捜しとるんです。この辺りに『東』っていう人の家があると思うんですけど……」
「あずま……。それって『東』さんのことかしら?」
「いえ、違います。ここの人です」
住所を見せると、相手は近くにある表札を指差す。
「だからここでしょ?」
そこには『HIGASHI』と確かに書いてある。
「何年か前までは奥さんと息子さんもいたのだけれど、ふたり共見なくなったわね。今はご主人がひとりで暮らしているみたい。商社マンだったと思うわ。あまりご近所付き合いのない方だから、少し近寄りがたいのよね」
「絶対そうだ! 教えていただき、ありがとうございます!」
他所の家についてベラベラと話してくれた女性にお礼を言うと、海はインターホンを鳴らし元気よく名乗る。
「あず……東さーん! 東柾さーん! 息子さんの恋人の音和海でーす! 開けてくださーい!」
間を開けて玄関が開く音がすると、中から長身の男性が訝しげな顔を覗かせる。
「あ、どうもー! お邪魔しますねー!」
「…………は?」
遠慮なくドアに手をかけて中へ入ろうとする海。当然男性は抗おうとするが、彼女はお土産の入った紙袋を掲げる。
「これ、カステラです。あとそうめんも!」
「え?」
男性が呆気に取られている隙に、海はドアを大きく開いて家の中へと入った。
「このスーツケース、ここでよかですか? わー! 家の中も広かですね! 後で探検させてください! さっすが商社マン! ところで、商社って何する会社ですか?」
「なんなんだ君は!」
「え? さっき自己紹介しましたよね? 柊君のカノジョです! それと、わたしたち結婚することになりました! よろしくです、お義父さん!」
「なっ……」
東パパは初めて出会ったタイプの人間を前にし戸惑う。そんな彼に海は構わず、靴を脱いでリビングへと進む。
「カステラ食べます? ちゃんと切れとるの買ったんですよ。気が利くでしょ? ハンドソープはこれですか? あ、牛乳あります? グラスも借りますね。一応お皿に盛りつけた方がよかですかね。お義父さんは座っといてください。……えへへ。なんだかできる嫁って感じですね」
皿にカステラとフォークを乗せ、牛乳を注いだグラスと一緒にテーブルへ運んだ海は、やりきった顔をしている。
「ささ! どうぞ、食べてください! うまかですよ!」
「……君は何をしにここへ来たんだ?」
「ふぇ? ふぉふぇふぁ」
「食べ終わってからでいい」
その後、海が持ってきたカステラを東パパの分を除き全て完食すると、ようやくふたりは話を始めた。
「お義母さんと同じ苗字なんですね」
「読み方は違うがな」
「こんなに大きな家でひとり暮らしって、寂しくなかですか?」
「どうせ、そのうちあのふたりも戻ってくる」
「……ん?」
「まったく……。いつまでも怒っていないで、さっさと帰ってくればいいんだ。柊の大学の学費も私が出すと言ったのに断りやがって……」
「あのー」
「なんだね?」
「お義父さんは、柊君たちが帰ってくると思っとるんですか?」
「当たり前だ」
「……ニャンコたちのおもちゃ、長崎に送ってきましたよね?」
「猫たちには必要だろ? 今だけだ。二匹も広い家の方がいいはずだからな。私は家族のために一生懸命仕事をしてきた。妻には家のこと以外しなくて済むようにしたし、息子には将来を考えて無駄な遊びから遠ざけ、良い環境で学ばせた。離婚届を突き出してきた時は何事かと思ったよ。だが、それもちょっとした気の迷いだろう。今頃後悔しているに違いない。ペットはいらないと思ったが、あの子たちは優秀だから良い。立派に育てて要求があったから動画も送ってやった。それなのに、預けた途端連絡が途絶えた。あいつらのことは理解ができない。それでも私の妻と息子だ。いつ帰ってきても大丈夫なように、海外出張をなるべく断って私はここで待っている」
「……」
「なんだ、その顔は?」
「どうして出ていったのか、この人わかっちょらんのかなって顔です」
「なんだと!?」
「たぶん、お義父さんって本当は家族のために行動しとった人なんですね」
「当たり前だろ!」
「それ、少しも伝わっとらんです」
「何!?」
「……柊君もお義母さんもお義父さんも、みんな言葉が足りんとこあります」
「そう、なのか?」
「はい!」
「……そうなのか」
「ま、そのカステラでも食べて元気出してください」
東パパはカステラを口に入れると、上を向いて目を瞑った。
「……美味いな」
「長崎来たらまた食べられますよ? 結婚式の招待状、今度送りますね」
「……柊は、今何をしている?」
「獣医さんです」
「そんなに動物が好きなのか」
「はい!」
「柊には、変わった趣味があったんだな。だが、良い判断だったのかもしれない」
「?」
海は目を開けた東パパの表情が、少しだけ優しくなったように感じた。
「ただいまー!」
「海!」
島原の家へ帰宅した海は、東京土産を渡す前に東に抱き締められた。
「どったの? 帰るってメッセージ、送ったはずなのに」
「実家にいなかったから心配したんだ」
「……そっちの実家か」
「お腹空いた? ご飯できてる」
「空いたー! 美味しそうな匂いするね! ……あれ? お義母さんは?」
「……ちょっと出かけてる」
「そっか。先食べてもよかかね?」
「もちろん」
手を洗い食べる用意を整えると、海はテーブルの上の料理を見て涎が溢れ出た。この日のおかずはジャガイモに衣をつけて揚げたもので、彼女の大好物だ。
「いっただっきまーす!」
美味しそうに食べる彼女を、東はただ見ている。
「うまかー! 柊君も食べなよ!」
「美味しいならよかった」
「……ひょっとして、これ柊君が作ったの?」
「実家に行ってもらってきたジャガイモでね」
「天才だね! やっちゃ(すごく)美味しいよ!」
「……海」
「ん?」
「結婚しよ?」
「……ふぇ?」
東は、テーブルの下で手の中に隠していた指輪のケースを取り出した。
「ちゃんとプロポーズしようと思ってたんだ。……受け取ってくれますか?」
その言葉に、海の瞳から涙が絶え間なく流れていく。
「します! 絶対します!!」
「泣きすぎ」
「だってぇー!」
お茶碗と箸を置いた海は、席から立って大好きな彼の胸に向かって飛び込んだ。それを、彼も優しく受け止める。
「苗字は俺が変えるよ。海のお父さんもそれを望んでるみたいだし」
「そうなの?」
「ほら、陸さんが結婚できるかわからないって嘆いてて。俺は苗字が変わるの初めてじゃないし、こだわりもないから」
「わたしは変わってみたい気もする」
「そうなの? なら挨拶しに行く時、そのことをちゃんと話し合わないと。……たぶん殴られるだろうなぁ」
「なして? わたしがさせんよ! あ、そうだ! あのね、結婚式はメンデルスゾーン希望!」
「ん?」
「曲ね! 流すやつ! ワーグナーは却下!」
「わかった」
合同練習で島原大学の学生から教えてもらったことを、まだ忘れていなかった海。このリクエストだけは譲れない。
「上手くいったみたいね」
そこに帰ってきた東ママが登場する。彼女は息子のプロポーズが成功したことを知り、義理の娘となる海の肩に手を置いた。
「海ちゃん、おかえり。それと、息子のことお願いね」
「おかーさーん!」
「よしよし。で、どこ行ってたの?」
「おとーさんのとこ」
「……は?」
「……今なんて?」
一気に幸せムードが消え去り、ふたりからは冷たいオーラが溢れ出した。この空気に猫たちは反応し、また走って隠れる。
それからは、海が家族の誤解を解こうと必死で間に立った。音和家でも、主に彼女の兄が立ちはだかり苦難は続き、式を挙げるまでスムーズにいくことはなかった。しかし、海はとても幸せである。




