6.苦労は続く
島原市にある足湯施設へやってきた有馬咲太郎は、日頃の疲れをここで癒した。
彼は現在、島原大学の学生だ。もちろん部活は吹奏楽部である。確実に合格できるよう音楽推薦を利用し、実音の役に立ちたいという強い想いで入学をした。高校で鍛えられたメンタルを携え部活に入った彼は、日本一の大学に集まった猛者たちとトップを競い合い、刺激的な毎日を送っている。
「有馬、民俗学の課題終わった?」
「大体は」
「見せて」
「やだよ」
「けったれ(ケチ)」
有馬の横で同じく湯に足を入れているのは、吉川桐可だ。
彼女も島原大学の吹奏楽部員だが、憧れの実音に倣って音楽推薦を受けなかった一般入試組である。
「有馬じゃなくて実音さんと入りたかったなぁ」
「俺で悪かったな」
「また付き合っとるって誤解するもんおったんよ? 本当に迷惑」
「それはこっちの台詞だ。実音さんの前で馴れ馴れしくすんなよな」
「誰がするか!」
大学では「先輩」という敬称は使わず、「さん」をつけるのが一般的だ。最初は慣れなかったふたりも、今ではこの呼び方をしている。
「それにしても、あいつ遅いな」
「連絡来とらんの?」
「いや。吉川の方は?」
「知らん。グループは良しとしても、個人の連絡はブロックしとるんよ」
「なんでだよ」
「誰かに見られたらややこしくなるけん」
「別によかろ」
「よくなか! 有馬は女の嫉妬の恐ろしさをわかっとらん」
「俺の妹たちとは無縁の感情だな」
「……いつまでも幻想見とるのは痛かね」
「はぁ?」
「あの子たちがプリンスのファンクラブ入っとること知らんの?」
「……嘘だろ」
可愛い妹たちの好みが友人であることを知り、有馬はショックを受ける。それは、慕っている実音がカレシと大学の敷地内にあるカフェでデートをしているのを、たまたま目撃した時以来の衝撃だった。
「遅れてごめん!」
そこに、プリンス本人が現れる。
「久しぶり。仕事だった?」
「イベントに出てた」
「伸びたんだ?」
「それはほぼ予定どおりに終わったんだけど、見学に来てた西田先輩が最後暴れて……」
「……今日はどこで?」
「熊本」
「……あの人、東京からわざわざ向かったんだね。お疲れ」
「うん。……あれ? 咲太郎、具合でも悪いの?」
「お前とは絶交だ!」
「なんで!?」
「うるせー!」
来て早々有馬に拒絶されたプリンスは、仕方なく吉川を挟むようにして足湯へ入ろうとする。
「ちょっと! こっち来んでよ!」
「……え」
隣に座ることを拒否する吉川に、プリンスは悲しくなった。
「ふたり共、あんまりだよ」
落ち込んだ彼は有馬と充分な距離を取って、静かに湯の中へと足を入れる。
「温泉ってやっぱりいいね。足の疲れが取れるよ」
プリンスは有馬と同じく、島原大学の音楽推薦を目指していた。しかし、前日からインフルエンザに罹り一般入試へと切り替えた。そして、その結果はまさかの不合格。そもそも英語が苦手なのにもかかわらず、実音がいる外国語学部に出願したのが間違いだった。
浪人生活を覚悟した彼に連絡があったのは不合格を知ったその日の夜で、相手は以前「がんばらんば体操」を踊った時に名刺を渡してきた、ある芸能事務所のスカウト担当であった。タイミングの良さから、彼は流されモデルとしてそこに所属することとなった。芸名は「Lionel」だ。
暫くは飲食店でのバイトと掛け持ちをし、なかなか仕事は増えない日々を過ごした。だが、たまたま自分のことを布教するファンクラブがあることを知った。その会員たちの宣伝効果が次第に出て、今はモデル一本で食べている。
音楽の道から逸れたが有馬たちとの推し活は続いており、後輩の演奏会にもなるべく顔は出す。自ら考えて動くことや、周りの求めるものを見極めてポーズや表情を作ることや、ブレない体幹の良さなどは、部活で得たものが基となっている。
「ファンからはまた『プリンス』って呼ばれとるんだって? みんな、この顔に騙されとる。というか、『Lionel』ってなんだよ。こいつの名前、『武士』だぞ」
「『Lionel』も本名だから」
「まぁ、『プリンス』の方が呼びやすいよね」
「俺は認めねー」
「今日の咲太郎、やっぱり冷たい」
「妹たちがプリンスのファンって教えたの」
「へぇー、そうなんだ。サインでもいる?」
「いらん!」
「もらっときな? 喜ばれるよ」
「うっ……」
「遠慮しないで。ボク、筆記体で名前書くのだけはできるようになったから」
「お前が英語喋れんことも伝えておくからな!」
「別にいいよ。隠してないし」
「ダメだよ有馬。完全に性格でも負けとる」
「クソーッ!」
なんだかんだで仲の良い三人は、その後も足湯でのんびりと休日を楽しんだ。
その頃、プリンスの実家である野田家では、お茶会が行われていた。そこに呼ばれたのは法村風弥だ。彼女はプリンスの両親から、このお茶会へ何度か招待されたことがある。そのことは周りの友人たちにも内緒で、特に先輩の西田嬉奈には絶対に知られないように気をつけている。
「やっぱり美味しいです、この紅茶」
プリンスパパの淹れるお茶は、香り高く苦味が少ない。法村も家で再現を試みたが、一度も成功しなかった。ジャムと甘くないクロテッドクリームをスコーンに塗り紅茶といただくクリームティーが、彼女のお気に入りだ。イギリスのティータイムについて調べてみると、時間によって紅茶の種類や合わせる食べ物が変わるという知識を得た。プリンスパパのこだわりが詰まったティータイムは、毎回彼女を楽しませる。
「ねぇ、法村さん?」
「あ、はい」
慣れた手つきでスコーンを割る法村へ、和服姿のプリンスママは品のある声で話しかけた。
「あなたに頼みがあるの」
「なんでしょう?」
「ライオネルのことなのだけど、あなたにマネージャーを担当してもらえないかしら?」
「はい?」
唐突なお願いに、驚いた法村はクリームを塗るのに使っていたナイフを落としてしまう。すかさず、プリンスパパがウィンクをしながら新しい物へと交換してくれた。
「す、すみません」
「いいんだヨ」
「……で、えっと、今なんとおっしゃられましたか?」
「マネージャーよ。ライオネルの事務所、あの子の売り方が下手くそだと思わない? もっと大きな仕事を取ってくれたらいいのに。それに、ファンが過激だわ。今のマネージャーみたいにあんなひ弱なのじゃダメよ。要領も悪いし。いつかあの子が怪我するわ」
「そ、それで、どうして私なんでしょうか?」
「ほかの人より信頼できるからよ。ライオネルに夢中になって仕事にならないような子じゃ、話にならないでしょ? あなたならちゃんと働きそうだし、いざという時は身を挺してガードしてくれそうだもの」
(私、プリンスのために命張るの? それも西田先輩から?)
プリンスのファンクラブは、今では本人から認知され非公式ではなくなった。ただし、AIプリンスの存在は伝えていない。会員数が増え続ける現在も、そのトップに君臨するのはやはり西田だ。法村は「宰相」という意味のわからない役職から解放されたものの、会員から抜け出すことはできないままである。
「頼むわよ」
「あの、私もう内定がーー」
「頼むわよ」
「いや、ですから社会人として仕事が決まってーー」
「それよりもライオネルでしょ? そんなに仕事がしたいのなら、ダブルワークでもこちらは構いません。事務所とあなたが勤める会社には、私から話を通しておきます。とにかく、あの子のサポートをお願いね」
「えっと、だからそれはーー」
「文句あんのか?」
「ありません!」
元ヤンの凄みを利かせるプリンスママに、法村はあっさり屈服した。一応プリンスパパへ助けを求めるつもりで視線を送ったが、何を勘違いしたのか、彼はただ紅茶のおかわりをスマートに注いでくれた。
(また苦労する日々が始まりそう)
法村はこの先待ち受ける困難を思って憂いながら、クリームたっぷりのスコーンと熱々の紅茶を口に入れるのだった。




