5.変わる幼馴染
大学生の造酒迅美はトランペットを吹くことがほぼなくなり、たまに高校の部活で一生懸命活動していた日々が恋しくなる時がある。就職について考えなければならない今も、それなりに大変だ。しかし、あれほどの忙しさはもう訪れないだろうと思った。
休日は外に出て身体を動かす。ただ走るだけで、造酒の気分は軽くなる。
「迅美!」
「飛竜!?」
公園で休憩をしていると、幼馴染でスーパースターの一丸飛竜が走ってやってきた。彼は現在、バスケットボールのクラブチームに所属しているプロ選手だ。
「どうしてここに!?」
「オフなんだ。だから帰ってきた」
「いつ戻るの?」
「一時間後だ」
「は?」
「試合はないが午後から練習がある」
「それオフじゃなか!」
高校をなんとか卒業できた一丸は、島原を出て寮で暮らすことになった。
当たり前のように近くにいた幼馴染と会えなくなって、造酒が少し寂しさを抱いたことは彼には内緒だ。この日常にも今は慣れ、離れた地で活躍する彼をいつもこっそり応援している。
「言わなければならないことがあるんだ」
「え?」
その言葉に、造酒はつい緊張してしまう。
高校二年生の体育祭の時に告白のようでそうではないものをされて以来、いつか来るかもしれないこの日を心のどこかでずっと待ち望んでいた。
卒業式ではみんなが一丸の持ち物を欲しがったが、彼は全て断り造酒にあげると宣言した。恥ずかしくて彼女は断ったものの、第二ボタンくらいは記念にもらってもよかったと後悔した時には、既に彼は島原を離れていた。部活のことで精一杯だったため考えないようにしていた造酒も、今なら彼にずっと惹かれていたという自覚がある。
「プロで活躍」はもうしている。彼から何を言われるのか想像はついても、造酒はそれを顔に出さず平静を保ってしっかり耳を傾けた。
「『言わなければならないこと』って、何?」
「俺は……」
「……うん」
「アメリカに行く!」
「…………は?」
唖然とする造酒に構わず、一丸は話を続ける。
「向こうのエージェントとかいう奴に誘われてな。どうやら、俺の出た試合を観ていろいろ分析した結果、必要だと判断したらしい。アメリカとなると、なかなかこっちに戻って来られないだろ? だから、今のうちに迅美の顔をたくさん見ようと思って今日は来たんだ」
「それだけ?」
「ああ」
「本当に、それだけ?」
「ああ」
「……期待したウチがバカだった」
「バカ? 迅美のどこがバカなんだ」
「そうだね。飛竜はアホだよ」
「……おう。……怒っているのか?」
「怒ってなか」
「いや、怒っているように見えるぞ。どうしたんだ? ……あ、そうか。アメリカに行くのが遅いから呆れたんだな。それは悪かった。もっと早く行けたらよかったんだが、方法がわからなくてな。がむしゃらに試合に出ていたら、やっと声がかかったんだ。すまない」
「……アメリカ、本当に行くの?」
「もちろん!」
「……ひとりで?」
「いや、たぶん誰か付き添いがあるんじゃないか? 俺は海外が初めてだからな。英語もわからないし、ひとりでは困りそうだ」
「……ウチも英語は話せん」
「安心しろ。向こうのチームで活躍すれば、俺も話せるようになる。そしたら迅美に教えてやる」
「……もう知らん!」
「ん?」
造酒は一丸に背を向けると、早歩きで家の方へと進んだ。
「急にどうしたんだ?」
手を掴んで振り向かせた彼は、彼女の瞳に涙が溜まっていることに気づいた。
「どうして泣いている!? 誰にやられた!?」
「離して! アメリカでもどこへでも、さっさと行かんね!」
「迅美!?」
「離して」と言われて素直に解放した一丸は、大好きな幼馴染が家へ帰るのを後ろから歩いて見守る。そして自宅に入ったのを確認し、彼は時間ギリギリまで彼女が部屋から顔を出すのを待った。だが、現れることはなかった。
それから数ヶ月後、一丸はアメリカへと飛び立った。
(本当にあいつひとりで行きやがった!)
造酒は順調にバスケ選手として進み続ける彼に対して、怒りが湧いてきた。
テレビや新聞や雑誌でも見かけるほど注目されている彼の活躍は、とても喜ばしいことである。だが何年も放置され、告白を焦らされているようにも感じる。
「迅美ちゃん、おる?」
「はい」
一丸ママは、たまに造酒の家を訪れる。母親同士の仲が良く、予定がなくてもふらっとお喋りだけしたりする。
部屋をノックしてきたためドアを開けると、一丸ママはニコッと笑って封筒を渡してきた。
「なんですか、これ?」
「飛竜の試合よ」
「え?」
「今度、代表戦でこっちに帰ってくるんよ。応援してあげて」
「そんな! こんな貴重なチケット、おばさんとおじさんで使ってくださいよ」
「二枚あってね、一枚はそのつもりよ。ばってん、あの人仕事やけんね。だから、おばさんとふたりで行こ?」
「えっと……」
「会場までひとりで行くの、おばさん大変だと思うの。一緒だと助かるなぁ」
「……わかりました」
「やった! 楽しみにしとるね!」
「はい」
一丸ママは息子と違ってしっかりしている。ひとりでも遠出はできると造酒は知りながらも、彼女のお願いを聞き入れた。試合を間近で観たいような観たくないような、そんな複雑な感情だった。
今回は親善試合で、対戦相手はアメリカ。体格差もある強敵だ。
強豪国へと実際に赴いた一丸は、日本との違いを全身で感じた。普段は仲間でも、今は敵。その強さをわかっていても負けるつもりはない。
無駄な力を抜くと、彼はコートの中が俯瞰して見える。冷静な判断で正確にパスを回し、空いている場所まで走りボールを受け取る。この時舌が出てだらしのない顔になっているが、そんなことは気にしない。集中してシュートをする。
「っ!」
大柄の相手にカットされたボールはネットを通らなかった。それでも諦めないで、次のチャンスを見逃さないようにまた走る。
「飛竜ー!! 気張れー!!」
(え?)
幻聴かと思いつつも応援席を見た彼の目に、大好きな幼馴染の姿が映った。
驚きで足が絡まりその場で転び、周りの視線が一丸に集まる。彼は試合中にもかかわらず彼女を見つめた。
「夢か?」
「なんばしよっと! 起きろ! 前見て走れ!」
「迅美だ」
「そうだよ! 応援しとるけん、絶対勝て!!」
「了解した!」
一丸は起き上がって両頬をバチンッと叩き、再び試合に戻った。
試合は惜しくも負けた。
一丸の働きは両チームから絶賛されたものの、本人には悔しさが残った。
ミーティングを終えて仲間たちから食事に誘われたが、そんな気分にはなれず彼はひとりで外へと出る。
「お疲れ」
「……」
「おーい」
「……」
「いつまで落ち込んどるん!」
「迅美!?」
素通りされても回り込んで正面に立った造酒にようやく気づき、一丸は彼女へ土下座をした。
「すまない!」
「は?」
「せっかく迅美が応援してくれたのに負けてしまった!」
「土下座なんて恥ずかしか。ほら、立ってよ」
彼女に起こしてもらい、ふたりは近くのベンチに座る。
「いい試合だったよ」
「でも負けた」
「次勝てばよか」
「でも勝ちたかった」
「なんで?」
「勝って、その次も勝って、ずっと勝って、誰もが認める選手になるんだ。そしたら、迅美に『好きだ』と言えるだろ?」
「っ! ……もう一回言って」
「勝って、その次もーー」
「そこじゃなか。最後のとこ」
「そしたら、迅美に『好きだ』とーー」
「ウチも好き」
「…………ん?」
「ウチも飛竜が好き」
「……それは、迅美が俺のことを好きだということか?」
「そう言っちょる」
「…………何!? そうなのか!? え、そ、そういうことなのか!?」
「そうだよ」
「俺から告白するつもりだったのに!」
「今したでしょ?」
「していない! まだだ」
「それ、しとるよ」
「いや、でも……」
「ウチは飛竜が好き。それで、飛竜もウチが好き。それなのに、まだウチを待たせると? もう待つんは限界よ」
「……」
「飛竜?」
「結婚しよう!」
「急だな、おい」
「は! 指輪を用意していない。すまない。もう少し待ってくれ!」
「話が飛びすぎだって。まずは遠距離恋愛からだね」
「そ、そうか。まずは交際からだな。わかった。向こうに戻る前に迅美の家に行って挨拶をせねば! 気の済むまで殴ってもらわないと。何を持っていったらいいんだろうか? 念入りに調べる必要があるな」
「ふふふ」
「笑っている場合ではないぞ!」
「いやー、相変わらず頭固いなぁと思って。ウチの家族がどんな人たちか知っとるでしょ。大丈夫だよ。認めるに決まっとる。それよりおばさん待たせとるけん、早く行こ?」
「母さんもいるのか?」
「試合の時、ウチの隣におったでしょ」
「迅美しか見えなかった。会ったら謝らないと」
「だね」
「迅美」
「ん?」
「大好きだ!」
「うん。ウチも」
造酒が差し出した手に一丸は優しく自分の手を添え、ふたりは互いを見つめ合ったままベンチから立ち上がった。




