3.社長の愛と先輩の情熱
古くなった小さなビルの解体作業現場に訪れた初老の男は、安全を確保し懸命に働く従業員たちへ声をかけながら、現在の進捗を確認した。彼はこの仕事を請け負った会社の社長である。
ビルの解体は危険も多く、騒音で近隣からの視線も痛い。建設であれば完成した時に感謝されたり人で賑わう施設に誇りも感じる。それがないためか、やりがいを感じてくれる者が少ない。だが、なければならない仕事だ。社長自身はプライドを持って働く。
最近の従業員の中には、こちらが手を焼く者が何人もいる。その訳は、知り合いの弁護士に頼まれて前科のある者も雇うことにしたからだ。その弁護士は、自分が紹介した男たちがきちんとやっているのか、確認をしによく顔を出す。真面目で優秀な者もいるが、言うことを聞かなくて困っている者もいると社長が伝えると、問題のある従業員に時間をかけて向き合い正させた。紹介料をもらうわけでもなく、無償で彼らの更生に力を入れる弁護士のために、社長もできるだけ応えようと努める。
そんな会社に春から高卒の新人が入った。彼は社長が今まで見てきた従業員たちとは全く違う。純粋な瞳に惹かれて採用したが、最初は戸惑うことだらけだった。仕事に慣れてきた今も、たまに予想外の行動に出るため目が離せない。
「塁希! お前、どうしてヘルメットをふたつも被ってるんだ!?」
「ん? あ、これ? ぶつけてもダブルだと痛くなさそうだったから!」
「どっから持ってきたんだ!」
「家から! 社長もいっとな(いる)?」
「いらん! バランス崩して転ぶぞ! 外せ!」
「はーい!」
よく言えば明るくて元気。悪く言えばただの大バカ。泓塁希とはそういう人間だ。誰に対しても気さくに話しかけ、周りを呆れさせたり笑わせる。
また、泓は度々家族や高校の教師や友達のモノマネを披露する。それが似ているのか社長たちには判断ができないが、心からその者たちのことが好きなのだとわかった。彼は人を愛し、そして愛されてきた。これまで恵まれた環境にいた者に対して劣等感や嫌悪感を抱いていた従業員も、泓に関しては暗い感情が芽生えず逆に心が温かくなった。最近、職場で笑顔になる者が増えたと社長は実感している。
この日の作業が終わると、泓は大きな伸びをした。
彼はよく働く。重機など危険すぎて社長が免許を取らせる気にもなれないが、できる仕事を任されると嬉しそうに従った。壊しても叱られないここは、泓にとって最高の居場所である。
「……やっと見つけた」
「およ?」
「ここにいたんだね」
「……あれ? Cさん?」
身体を伸ばしきった泓が道路の方を見ると、そこには息を切らしたお笑いコンビがいた。
「Cさんだぁ! わー! ロケ? ロケやっとるの?」
「泓君! ずっと連絡待ってたんだぞ!」
「へ?」
「君が卒業したら、こっちの道を目指すんだとばかり思ってたのに! 僕らがどれだけ君を探し回ったことか!」
「んー。なんのこと?」
「嘘だろ!? 忘れたのか!? 俺たちちゃんと勧誘したよな!」
「連絡先渡したよね!?」
「そうだっけ?」
「ちょっと、止めないか!」
芸人たちが工事現場へ入ってきそうな勢いだったため、社長が慌ててふたりを抑える。
「ここはね、一般人は立ち入り禁止だよ。話があるなら事務所へ案内するから、こっちへ来なさい」
「一般人……」
「すみません。つい気持ちが昂ってしまって……」
ふたりが落ち着いたのを確認すると、社長は泓と彼らを連れて現場を後にした。
文化祭でサプライズ出演したお笑いコンビの「Cさん」は、商店街のイベントで出会った泓をスカウトした。連絡先を交換しようとしたのだが、泓がその時スマホを持っていなかったため、ふたりは紙に書いたものを渡して返事を待った。だが、いくら経っても連絡は来なかった。なぜなら、その紙は泓のポケットの中に入り、後日彼の母親がクリーニングへ出す前にゴミだと思って捨てているからだ。
「おー! そんなことあったね! すっかり忘れとったよ! あはははは!」
全く悪気のない顔で言う泓に、「Aちゃん」も「B君」も責める気持ちがなくなった。
「どっかで見たような気がしたが、君ら芸人だろ? なんだ、塁希の知り合いだったのか」
「うん!」
「自分は、泓君を芸人にしたいと思っています。彼の才能を埋もれさせたくないんです!」
「塁希が芸人!?」
「僕たちがしっかり面倒を見ます。なかなか売れなくて苦労はありますが、彼ならきっと!」
ふたりの本気度が社長へ伝わってくるが、当の本人は呑気に事務所のテーブルに置いてあるお菓子の袋を開け、その場にぶち撒けている。
「塁希。お前はどうなんだ。お笑い芸人になりたいのか?」
「んー、別に? オレはここの居心地がよか! ま、Cさんのネタは好きだし、たまに休みの日なら芸人になってあげてもよかよ!」
「あのな、塁希。私も職種が違くて詳しくはわからないが、彼らの仕事は副業で簡単にできるもんじゃないぞ」
「えー。ならやらん」
「待ってよ泓君!」
「ん?」
「たくさんの人を笑わせたくないのか?」
「たくさん? それってどれくらい?」
「とにかくたくさんだよ! 商店街や学校だけじゃなくて、テレビの向こう側の人たちも笑顔にできるんだ」
「テレビじゃオレと話せん。オレは楽しい方がよか」
「ロケは? いろんな人と交流できる。あとはライブ! お客さんと距離の近い会場から、見渡す限り人で埋め尽くされた広い場所でのライブも夢じゃない!」
「ほほう」
人好きの泓が揺れ始めたのを感じ、社長は彼を預かる立場として真面目な話をする。
「いいか、塁希。仕事にするなら、大変なことも逃げずに責任を持ってやらなくちゃいけない。半端な覚悟ではダメだ。芸人として人を笑顔にするのは、想像以上に大変なことだと思うぞ。わかるか?」
「うん!」
「……本当か?」
「うん!」
「もし、本気で目指したいのなら私は反対しない。家族とも話し合って、よく考えてから決めなさい」
「はーい!」
良い返事をした泓は、その場でスマホを取り出す。そして、どこかへ電話をかけた。
「もしもーし! オレだよ! うんオレ! あのね、Cさんが今おるの! で、オレ芸人になるね! うん! そうだよ! うん! もう帰る! じゃあね!」
通話を終え、泓は満足そうな笑顔で社長を見る。
「話したよ!」
「今ので!? 相手は家族だよな?」
「うん、父ちゃん! 『寄り道しないで帰ってきなさい』だって!」
「……」
全く話し合いになっていない気がするが、社長は泓の家族と何度も会っている。彼らから以前、息子の奇行を広い心で受け入れ、やりたいことには可能な限り挑戦させてきたという話を聞いた。周りに迷惑をかけてしまうタイプの子供の代わりに頭を下げ、誤った道に進まないように愛情を注いでいる。それでも悩む日々だと言われた。
「うん。やっぱり泓君は芸人に向いてるよ!」
「だね。もう存在がこっち向きだもん」
その泓を必要だと言うふたり。社長も手はかかるが彼のことが可愛い。大事にしてくれそうなこの芸人たちになら、任せて良いのかもしれないと思った。
「よし、わかった。私から、塁希の両親に話してあげるよ」
「よろしく!」
「ありがとうございます!」
「泓君が売れたらこの仕事も辞めることになるのに、なんだかすみません」
「へ? 辞めんよ? オレは副業で芸人になるんだもん!」
「……さっきの話はなんだったんだ? 厳しさがわかったんじゃなかったのか?」
「ほえ?」
「まぁまぁ。確かに俺たちもバイトしなくちゃ生活できませんでしたから。社長がよろしければ、今はこのまま彼を置いてあげてほしいです。売れたらその時また考えましょう」
「バイト先には、僕たちもシフト面でいろいろ我儘言っちゃったよね」
「塁希がここを続けるのは私も助かる。だが、中途半端すぎないだろうか?」
「大丈夫です!」
「僕らがいますから!」
「……塁希をよろしくお願いします」
社長にとって、従業員は全員家族。もちろん泓もだ。
不安と心配しかない。だがその大事な家族の新たな挑戦を、彼は応援することにした。
それから、泓は芸能事務所に入った。そして先輩芸人の仕事を近くで見学させてもらった。
この事務所は小さいが様々なタイプの芸能人が所属しており、そのうちお笑いを生業にするのは少数だ。売れていると言えるのは「Cさん」のみ。世間からの知名度を上げるため、みんな奮闘している。
「とりあえず、俺たちのチャンネルに出てみる? 新人発掘みたいな感じで」
先輩の提案に、泓は「うん!」と大きな声で返した。
「誰のモノマネがいいかなぁ」
「ブンブンの真似するね!」
泓は早速得意のモノマネをふたりに見せるが、彼らには誰を真似ているのか伝わらない。
「そうじゃなくてさ、もっと有名な人がいいな」
「ふむ?」
「泓君って、どの年代の幅までできるの? おじいさんとか、子供もできる?」
「できるよ!」
「動きは? ダンスとか得意?」
「できるよ!」
「歌も歌っちゃう?」
「できるよ!」
「なら、これは?」
ちょっとしたボケのつもりで、先輩のAちゃんは海外の女性シンガーの動画を観せた。
「俺たちのこと推してくれた人なんだよね」
「知っとる! ネロさんの元カノだ!」
「ネロさん?」
「うん! これ、英語? 英語なら得意だよ!」
泓は動画の音量を大きくし、ニコニコと鑑賞する。
「覚えた!」
「え?」
「もう?」
「うん!」
B君がスマホを構え撮影の姿勢に入ると、泓は今観たものを再現する。高音も完璧に出し、目を閉じれば歌姫が目の前にいるかのようだ。
「……天才かよ」
「これ、僕たちすぐ抜かれるね」
「いや、負けん!」
「うん、ごめん。そうだね。僕らは僕らの芸があるもんね」
ふたりの先輩は新人の恐ろしさに慄いたが、彼の才能を世に広めるべく動画をアップした。
「あ! 明日早いんだよね。もう帰りまーす!」
「お、おう」
「泓君。また今度の休みにね」
「うん! そいぎぃー!」
本職の仕事を優先する大型新人が現れ、先輩たちは気を引き締めて己のネタのブラッシュアップに取りかかるのだった。




