11.ここは飛び込み禁止です
大護は幼馴染が住む家へ、魚のお裾分けをしに訪問した。
この家には子供がふたりおり、ひとりはまだ赤子だ。突進してくる上の子の相手をしながら、彼は父親に抱かれて笑う小さな天使を眺める。
「また顔変わった?」
「赤ん坊ってそういうもんだろ? 見てて飽きないよ」
人間に興味のなさそうだった東柊が、我が子を愛おしそうにあやす。彼はひとり目が産まれる前、実の父親のように自分もなってしまうのではないかと、大護に不安を吐露していた。しかし、今では愛猫と同じように子供たちを溺愛する立派な親だ。家族に相談なしで行動することが減り、人とのコミュニケーション能力が少しだけ上がった。仕事で今は出かけている東ママの力も借りて、海と幼い子供と猫たちと一緒に幸せな暮らしをしている。
「だいご! かいじゅーやって!」
「はいはい」
「あんまり騒ぐなよ。海が起きる。あと、近所迷惑になるから。……そろそろ引っ越さないとなぁ」
「家建てるんか?」
「建てられたらいいけどな。子供までよく食べるもんだから、海の実家が農家で本当によかったと思う。でも奨学金の支払いは残ってるし、独立はまだまだできそうにない」
東が奨学金を給付から貸与に変更した時点では、何も問題はないはずであった。だが、その後に海と付き合い大事な存在が増えていき、現在は給付にしなかったことを後悔している。
「魚持ってくる俺にも感謝しろよ」
「してる」
すると、海が寝室から現れた。
「ふわぁ〜。あー、よく寝たー。……あれ? 来とったん?」
「おう」
「ふーん。あ、ミルクミルク」
「もう飲ませた」
「ありがとう! あー、お腹空いたー」
「今用意する」
東は下の子をベビーベッドに優しく寝かせ、大護と遊ぶ上の子の頭を撫でてから、冷蔵庫にあるご飯やおかずを温め始めた。その手際の良さには、彼が日頃から家事をこなしていることが表れている。風呂とトイレの掃除や、洗濯物を取り込み畳んでしまうところまで終えているが、それをわざわざ妻に報告したりもしない。家事を「手伝い」としてではなく「自分の仕事」として捉えている。
夜中の授乳で寝不足の海は、夫の仕事が休みの日に遠慮なく甘える。義母との関係も良好で、本当の母と娘のようだ。
「何しに来たん?」
「いつものだよ」
「それはどうも! で、実音は?」
「仕事」
「そっか」
「で、いつふたりは結婚するん?」
「は?」
海の質問は、揶揄いではなく純粋な疑問だった。
同じタイミングで付き合った者同士なのにもかかわらず、一方はふたりも家族が増え、もう一方はまだまだ初々しいカップルのままだ。
「実音がこの前うちに来た時、言っとったよ。『子供可愛いなぁ』って。だから訊いたんよ。『実音は結婚したい?』って。そしたら『もちろん!』だって」
「そうなのか!?」
「うん。攻助にも先越されとるし、それでよかと思っとるん? さっさと実音に言わんね」
「暾はどうなんだよ?」
海と東から見ても大護たちはずっとラブラブで、惚気話ばかり聞かされてきた。だからこそ、未だに恋人のままなのが不思議でならない。
「したいに決まっとる!」
「ならなんでプロポーズしないんだ?」
「それは……実音は今仕事で忙しか。落ち着くまで待とうと思って……」
「それいつ? 実音が忙しくない時ってあるの?」
「ないだろ」
「……確かに」
「だいご、みおたんしゅき?」
「大好きだ! 俺、実音にプロポーズする!」
「よし行け、大護!」
「いけぇー!」
「おう!」
勢いで宣言した大護はそのまま指輪を買いにいった。選んだのは、アクセサリー類をあまり身につけない実音でも気に入ってくれそうな、シンプルなデザインのものだ。
ふたりが付き合ってから今日までの間に、幼馴染は結婚し親友は苗字が東から音和になって、ふたりの子宝にも恵まれた。また、弟も結婚し家を出ていった。だが、大護に大きな変化はない。
実音が大学生になってから、彼女の母親の実子は東京へ帰った。実音の夏休みに予定を合わせ、挨拶をしにふたりで東京に行くと、父親の正からは威圧的な態度で迎えられた。しかし、大護が文化祭で実音を守ったことを知ると、全力で土下座をして交際を認めてくれた。
大護の家族も実音のことは初めから大歓迎で、お正月には祖母と母と彼女が一緒に具雑煮を作っていた。自分が食べてきた味と彼女の家の味が融合して、新たな具雑煮が伝統となっていくことに彼は幸せを感じ、「結婚」を強く意識した。
実音はバイトから始めた今の職場で、バリバリと働いている。変わらぬ方向音痴を発動しては、顧客や社員や親切な現地の人々に支えられながら全国を飛び回る。大護はそんな彼女に名刺を見せてもらうと、「専務」の文字が目に入った。迷子になった時のために本人から頼まれてつけたGPSを確認する度、その忙しさがよく伝わってくる。
仕事に誇りを持っているのは大護も同じである。お互いの生活リズムの違いから、なかなか会えない時もある。それでも、先に進んでいきたいと彼は思った。
決意した大護があとやるべきなのは、プロポーズをする時のシチュエーションを考えることだ。
(ベタだが稲佐山か? 教会もアリだな。テーマパークでなら昼間の花に囲まれた中でも、夜のイルミネーションを観ながらでもアリだ。島々を見ながらってのも、長崎っぽいよな。実音は温泉が好きやけん、旅館でまったりしてからも喜んでくれそう。……んー。悩むなぁ)
いろいろ考えた結果、大護は次の実音とのデートで彼女の理想を探ることにした。
実音の仕事が終わるまで、大護は桟橋に座って釣りをしながら待った。
釣竿は簡易的なものだ。手の感覚が重要で、高価な物よりこっちの方が集中できる。
バッグの中に入っている指輪を取り出しては、何度も実音へプロポーズの言葉をかける練習をしてきた。だが、まだ納得できるものが思いつかない。
「大護君、お待たせ!」
小走りで近づく実音の服は、初めて島原市内を案内した時と同じくネイビーのワンピースだ。髪型もハーフアップで、そこから今回はプラスして毛先を軽く巻いている。
(はい、可愛い!)
何年経っても、彼は新鮮な気持ちで彼女を見ることができる。
「そがん待っとらんよ。釣しとっただけやけんね。元々休みのはずだったんだろ? 出勤お疲れ。今日は本社か?」
「うん。ちょっとトラブルがあって……。でも無事解決したよ」
大護の隣に座った実音は、そっと彼に寄りかかる。
「今年の新入社員の中にね、前に私が教えにいった学校出身の子がいるの。嬉しいよね。だって、実家から相当離れてるのに選んでくれたんだよ? ひとり暮らしが不安って言ってたから、今度おかず多めに作ってお裾分けしてあげようかなぁ? 寮の部屋も近いしね。あ、でもそういうのって迷惑かな? どう思う?」
「実音が作ったのなら無限に食える」
「そういうことじゃなくって! でも、ありがとう」
「毎日忙しそうだな」
「まぁね。だけど嫌な忙しさではないよ。ただ……」
「どうした?」
「あー、うん。……ネロさんに言われちゃった。『もっとプライベート大事にしたら?』って。そもそもあの人がいっぱい仕事持ってくるのにね。……それでね、確かに大護君との時間はもっと確保したいかなって思った」
「……うん。俺もそう思う。今度、久しぶりに旅行にでも行かないか?」
「いいね! 行きたい!」
「どこに行きたい?」
「そうだなぁ。日程次第だけど会社の別荘でのんびり過ごすのもいいし、どっかの観光地でぶらぶら食べ歩きもいいよね。前に大護君と蝋燭の絵付け体験したでしょ? あんな風にふたりで何か作るのもいいかも。……あ、温泉も入りたい!」
「なるほど」
大護は忘れないうちに、脳内メモリーへ今聞いたことをしっかり書き込み保存する。
「旅行で思い出した。これ、出張のお土産ね。みんなで食べて」
実音は鞄から取り出したお菓子の箱を見せた。
「ここにしまっておくね」
「おう。ありがとな。……え?」
釣竿を持ったままの大護の横で、カノジョが自分のバッグを開けている。手が離せない彼に気を利かせた行動だが、そこにはまだ見られてはいけない物が入っている。
「あ、待っ!」
「え?」
片手で何かをサッと掴んで隠すカレシに対し、実音はゆっくりと瞬きをした。
「えっと、ゴミ! そう! ゴミが入っとった!」
「ゴミなら捨てとこうか?」
「捨てちゃダメ!」
「?」
「大事なもんなんだ!」
「大事な……ゴミ?」
「あー、いやー」
「大護君」
「はい」
「たぶん魚来てるよ?」
「っ!?」
上下に揺れるウキの状態を指摘され、大護は手に持っている指輪をポケットに隠して糸を手繰り寄せていく。
「なんだろうね?」
「へ? あ、えっと、鯵だろうな」
海面から姿を現したのは予想どおり鯵で、海水の入ったバケツに入れて泳がす。
「大護君が作ってくれた魚介のパエリア、美味しかったなぁ。私、国産のサフラン初めて食べた。島原で育ててるなんて知らなかったもん。彩りも綺麗だったよね」
「そうだな。いつでも作ってやるよ」
「いつでも?」
「ああ。……いつでも」
目が合ったふたり。近づく距離。ほかに誰もいない状況で、ここは思い入れのある場所。
(今のって、もしかしてプロポーズになっとる? え? これでいいんか?)
自問自答しながらも、大護は雰囲気に流されていく。
バチャッ!
「は?」
「あ!」
ふたりの視界に、空高く跳ね上がった鯵が見える。
「逃がすか!」
咄嗟に立ち上がって伸ばした大護の手は、惜しくも鯵に届かない。しかも、バランスを崩して鯵と一緒に海へ落ちていく。
(マズい! 指輪だけは!)
高校時代へ戻ったかのように、大護は指輪の入ったケースをボールに見立てて桟橋に向かって投げる。そして、大きな水飛沫を上げて着水した。
「大護君!」
「平気平気! それより……」
すぐに顔を出した大護に安堵した実音の手の中には、見事キャッチした指輪のケースが握られている。
「私も落ちるべき?」
「落ちんでよか」
「大護君。これって……」
「えっと……見なかったことにしていただけますでしょうか?」
「したくないかもです」
「……」
「……」
中身が何かわかっていて拒否する実音に、大護は覚悟を決めた。
素早く陸へ上がり、指輪を一旦返してもらう。
「俺、告白の時もビシッとできんかったなぁ」
「大護君はいつでもかっこいいよ?」
「そっか」
「うん」
「あー。いろいろ考えとったのに、緊張で頭が真っ白になる」
「私が言おうか?」
「いや。俺が言う」
「うん」
「……雅楽川実音さん」
「……はい」
「愛しとります」
「…………はい」
「もう泣いとる。あ、俺も泣きそう」
「泣いてるね」
「嬉し涙やけん、よかね」
「……うん」
「大丈夫そう?」
「ここ来る前メイクちゃんとしたんだけど、崩れてないかな?」
「可愛いよ」
「ふふふ。ありがとう」
「改めて……」
「……はい」
「俺と結婚してください」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
開けたケースから取り出した指輪は実音の細い指では緩く、ふたりは笑ってしまう。
「ふふふ。サイズ調整しに行かなくちゃね」
「ははは。ごめん」
「大護君」
「ん?」
「私も愛しちょる」
「っ!」
実音は大護の濡れた身体に抱きつき、それに大護も応じる。
「私、あれ歌ってもらいたいなぁ」
「何?」
「『関白宣言』」
「俺は実音のために早く起きるし飯も作るけど?」
「あれはそういうこと言ってるんじゃないもん」
「わかっとるよ。浮気なんか死んでもありえん! 実音のこと、一生愛する!」
「うん。ならないと思うけど、もしダメな亭主になったら『関白失脚』歌ってもらうから」
「覚えとく。絶対ならんがな」
「結婚式で手紙読む時、『秋桜』をBGMにしようかなぁ。お母さん喜びそう」
「その流れだと、俺は実音のお父さんに殴られないか?」
「あはははは。『親父の一番長い日』ね。それはないと思うよ。……たぶん」
「たぶんかぁ。……あ。みんなで『がんばらんば体操』踊るのはどうだ?」
「いいね、それ。式で流す曲、ほかにも決めないと」
「音楽は実音に任せる。それ以外は一緒に決めよう?」
「うん!」
綺麗な空と有明海をバックに、ふたりはいつまでも幸せな気持ちで抱き合うのだった。




