1.あの日の空
島原市にある温泉施設を訪れた雅楽川実音は、目を閉じてリラックスモード中である。
彼女は高校二年生の時に東京から長崎へ引っ越してきて、今年度より島原大学の学生となる。今は春休み中のため、こうして大好きな温泉を全力で楽しんでいる。
一緒に誘ったのはふたりで、どちらも同じ吹奏楽部出身の者だ。
ひとりは音和海。ぽっちゃり体型で体力オバケな元部長は、実音と同じく気持ち良さそうな顔で温泉に浸かっている。
もうひとりは元フルートパートの七種結乃花。彼女はなかなか本題に入らない実音に、少しイライラしていた。
「ねぇ、実音ちゃん。そろそろ報告してくれんかな?」
「……うん」
「報告? 何それ?」
「海はなんでおるの?」
「え? 実音に呼ばれたから? あ! わたしも報告あるよ! わたしね! 東君と付き合っちょる!」
「はいはい。そうだったね。で、実音ちゃんは?」
「ちょっと、ゆのん! 信じとらんでしょ!」
「海。いつまでも夢見てちゃダメ」
「本当だもん!」
東京からやってきたイケメンへ卒業式の日に想いを告げ、見事恋が成就した海。しかし、未だに誰からも信じてもらえていない。
「この後、ふたりでお出かけする予定なんだよ!」
「はいはい」
「あのね、海。私、ふたりに伝えなくちゃいけないことがあるの」
「え、何?」
「……私、大護君に本当の気持ちを伝えた。それで、付き合うことになった」
「ふぅー。やっとか」
「…………ほぇ? …………えー!!!!」
親友から飛び出たまさかの報告と、それに対して驚かない七種の態度に、海はパニックを起こす。
「海、驚きすぎ」
「ほかのお客さんもいるから静かにね」
「だ、だって!! だって!! 大護もそんなこと言っとった!! ばってん、あいつの可哀想な妄想だとばっかり!!」
実音は周りへ頭を下げて騒がしくしていることを謝ってから、海へ説明をしてあげる。
「どこから話せばいいのかな? えっとね、私、大護君のこと結構前から好きだったの」
「い、いつから!?」
「桟橋から飛び込んで助けてもらった時」
「ほぼ最初から!?」
「うん」
「実音ちゃんのそれ、たぶん吊り橋効果みたいなもんだよね」
「そうかもしれないけど、私はあの時から大護君のことが好きだった。でも、吹奏楽部入るって決めたでしょ? だから気持ちを封印したの」
「どうして!?」
「だって、そうしないと全国は無理だって思ったんだもん。それに、ハル先生にも言われたし」
「ハル先生?」
「私に吹奏楽を教えてくれた人」
「テレビに出てたおじいちゃん先生だよね。実音ちゃんにとって、大事な人なんだって」
「うん」
実音が小学四年生の時、流行りの学園恋愛ドラマの話で盛り上がる部員たちへ、彼女の恩師の春里均は諭したことがある。
「学生の恋愛なんてもんは必要ない。無駄だ」
「ハル先生、キュンキュンしないの?」
「奥さんとラブラブのくせに!」
「恋愛が悪いとは言ってないだろ。それは大人になってからで充分だ。学生の時はしなくていいと言っているんだ」
「なんで?」
「みんなくらいの子はな、恋愛そのものに恋してるだけだ。本当に相手のことを想っているなんて、ほんの僅かだよ。大体錯覚だ。子供同士で恋人になったとして、大人になるまで互いのことを好きでいるのは果たしてどれだけか……」
「大人は別れないの?」
「別れる人もいるね。ただし、君たちの場合は周りへの悪影響が大きいだろ?」
「どういうこと?」
「考えてみるんだ。もし、この中の誰かに恋人ができたとする。どう思う?」
「嬉しい!」
「お祝いしてあげたい!」
「いい子すぎる! ……そう思う子もいるかもしれないが、コンクール前で忙しい時期ならどうだ? 自分は練習で大変なのに、カレシやカノジョができて浮かれている者が混じっていたら?」
「うーん」
「ちょっと、嫌かも」
「だろ? しかも、別れて落ち込んで練習を真面目にしていなかったらどう思う?」
「可哀想だけど、ちゃんと練習はしてほしいって思う」
「こっちも気分が沈んじゃう」
「じゃあ、そのアベックがこの部活内の人間同士だったら?」
「あべっく?」
「あー、今は言わないのか。カップルのことだよ」
「それは気まずいね」
「気になっちゃって集中できないよ」
「それに、もし自分の好きな子が誰かと付き合うことになったとして、平常心を保てるか?」
「無理だと思う」
「そんなのイヤ!」
「恋をすると人は盲目になる。周りに配慮できない者が部活にいて、何も影響が出ないなんてことはありえないんだよ」
「えー。でも、わたし好きな人いるよ?」
「誰!? わたしも知ってる子?」
「今はヒミツ! 今度教えるね!」
「ねぇ、ハル先生。部活のためには好きになるのもいけないこと?」
「そんなことはない。そういう気持ちが音楽に深みを与えることもある。でも、今告白とかはしなくていいと先生は思うんだ。時間が経っても本当にその子のことが好きだとわかったら、その時に想いを伝えてごらん」
「それっていつ?」
「うーん。そうだなぁ。高校を卒業したくらいかな」
「どうやったら、本当に好きだってわかるの?」
「先生の場合はね、奥さんとお見合いをして初めてのデートの時、空がとても綺麗に見えたんだ。その日の天気は雲が多かったんだけど、奥さんと見る空は輝いていたね」
「ふーん。次奥さんに会ったら、初デートの時のこと教えてもらおっと」
「ハル先生と同じこと思ってたらいいね」
「そうだな」
「ってことがあったの。方南も恋愛禁止だったし、ここに来てからもそのスタンスで行くことにしてて……あれ?」
実音の話を聞いた海と七種は、全く理解ができないという表情をしている。
「どう思う、海? 今時恋愛禁止とかありえんよね」
「うん。考えが古いよ」
「実音ちゃんに暾君が好きって宣言した時に今の話聞いて、ネロさんも私と同じ反応だったんよ」
「へぇー。……え!? ゆのん、大護のこと好きだったの!?」
「暾君から聞いちょらん?」
「聞いちょらんよ!」
「ま、それは置いといて」
「え!?」
「実音ちゃんも暾君が好きなのに部活のためとか言って想いを隠して、しかも高級フルートを手放してまで全国に賭けとる。それ知ったら私も変わるよね。暾君を振ったことに怒っとったばってん、部活に本気になるしかなかよ。それで、卒業したら実音ちゃんから告白するってことを約束してもらったの。OKもらえたら私は諦めて、ダメだったらこっちがもう一度暾君に告白するって」
七種が県大会前から部活に対する態度が変わった理由が判明したが、海はただいま混乱中だ。いろいろ整理しようとしたものの、のぼせてきたため三人はお風呂から上がることにした。
ふたりと別れた実音は、カレシとなった暾大護に呼ばれて桟橋へとやってきた。
そこで座ってする何気ない会話の中で、先ほど温泉にて話した内容も伝える。大護も実音の恋愛観が謎でまだ夢を見ている気分だったため、これでだいぶスッキリした。
「あ、そうだ! 大護君。海と東君、本当に付き合ってたみたい!」
「マジか!?」
「うん。さっき本人が海を迎えに現れてそう言ってたから、間違いないよ」
「東は目が悪いんか? あれのどこが気に入ったんだよ」
「海は可愛いよ? 性格もいいし見る目あるね。ただ、東君が恋愛に興味あるとは思わなかったから、びっくりしちゃった」
「実音の方が一億倍可愛い! 性格も大好きだ!」
「もう!」
直球で褒める大護に照れた実音は、少し笑って上を見上げる。
「やっぱり、大護君と見る空はいつも綺麗」
「俺もそう思う」
「できるだけ隠してたけど、たまに好きなのがバレちゃうんじゃないかなってくらい、私顔に出てたかも」
「もしかして、屋上で天体観測した時?」
「……うん。あれはヤバかった」
「実音」
「ん?」
それまで上を向いていた実音が視線を大護へ移すと、彼は距離を詰めてきた。
「これからは隠すなよ?」
「うん」
「……ところで、あの時の続きはしてもよかですか?」
「……恥ずかしいので、今は……」
「……ダメですか?」
「……そのうち、じゃダメですか?」
「……」
「……手、繋ぐのはよかです」
「ありがとうございます」
「ふふふっ」
「はははっ」
綺麗な空の下で、ふたりは少しずつ恋人として歩みを進めていくのだった。




