台南生え抜きの菊池須磨子と日式咖哩
挿絵の画像を作成する際には、「Gemini AI」と「Ainova AI」を使用させて頂きました。
日本人の父と、漢族系本省人の母。
そんな二つのルーツを持つ私こと菊池須磨子にとって、日本の食文化は父の故郷の味であり、台湾の食文化は私と母の故郷の味という事になるんだ。
それは今ではアジア各国で国民食になって久しいカレーという料理にしても、例外ではないの。
台湾の一般家庭の例外に漏れず、カレー粉由来蛍光色に近い鮮やかな黄色と片栗粉由来のとろみの強い食感が特徴的なカレーが我が家の家庭の味なんだ。
具材として煮込まれた色鮮やかなミックスベジタブルとジャガイモは、お母さんの少女時代からの定番の味なんだって。
そして食卓の真ん中に大きな鍋ごと置いて各自がお玉ですくってご飯にかけるスタイルも、平均的な台湾の家庭なら何処でもやっているんじゃないかな。
私の中では物心がつく頃には、カレーと言えば「とろみの付いた蛍光黄色の鍋料理」という図式になっていたの。
だから茶色くてサラサラした食感の日式咖哩が国民中学の友達の間で話題になっても、どこかピンと来なかったんだ。
そんなある日の休日、私は両親と一緒に中西区のショッピングビルに買い物に出かけたんだ。
中西区は台南の中でも特に人通りの多い繁華街だから、週末になるといつも人でごった返しているの。
私達みたいな地元民は勿論だけど、日本を始めとする海外からの観光客も少なくないんだよね。
行きたい店が分からない日本人観光客の案内をお父さんが日本語で説明したものだから、私まで道案内を手伝う羽目になっちゃったの。
それは良いんだけど、去り際の一言がちょっとね…
「ありがとうございます。異郷の地で同じ日本の方にお会い出来て、ホッとしましたよ。」
ほーら、これだもんなぁ…
あの女子大生のお姉さんに悪気はないのは分かるけど、私は生まれも育ちも台南市だからね。
純日本的な「菊池須磨子」って名前だと、知らない人には日本人に見えちゃうんだろうけど。
そうして出鼻は挫かれたものの、休日の買い物は概ね滞りなく進んでいったの。
肌着みたいな衣料品やトイレットペーパーのような衛生系消耗品を両親が買い求めている間に、私もツインテールに付けるヘアアクセサリーを選べたしね。
そうして仕上げに生鮮スーパーで買い物している両親と合流した私は、レジの向こう側にある真新しい看板に気付いたの。
ショッピングビルの一角で控え目に自己主張している臙脂色の看板は、「無印逸品」という日本発祥のライフスタイルショップだったんだ。
「前に来た時はアパレルショップだったのに、最近オープンしたのかな。この中西区にも出店するとは、日本企業の逞しさを改めて実感しちゃうよね。」
そんな具合に至って冷静な私とは対照的に、両親は今までの落ち着いた様子が嘘みたいに嬉々とした表情になったんだ。
「懐かしいね、秋桜さん!まだ僕達が日本にいた頃、よく『無印逸品』のカレーを買って食べたよね?」
父が母に話しかける声は、まるで少年のようだったの。
より正確に言うなら、「大学生の青年のよう」が適切かな。
何しろ両親は神戸の大学で青春時代を共に過ごしていて、大学卒業後即座に台湾に移住して籍を入れたのだから。
「そうね、菊池君。お金のない学生時代には、レトルトカレーが本当に重宝したのよ。それに何十種類もあるラインナップの中から選ぶのが楽しかったわね。」
お母さんも学生時代の感覚に戻っていたのか、普段より声のトーンが高い。
私が産まれる前の学生カップル時代の両親は、きっとこんな感じだったんだろうね。
そうして両親と一緒に来店した「無印逸品」は、シンプルで機能的な商品が並べられた独特の美学を持つライフスタイルショップだったの。
中でも特に力を入れているのが、両親のお目当てである所のレトルトカレーだった。
「へえ、これはこれは…」
壁一面にずらりと並んだカレーのパッケージは圧巻の一言で、確かにさっきの生鮮スーパーでは見慣れない種類の多さだったの。
バターチキンカレーにグリーンカレーにキーマカレー、それにマッサマンカレー。
日本語表記のままのパッケージには美味しそうなカレーの写真が印刷されているけれど、どれも私が見慣れた「カレー」とは色も形も違っていたの。
お父さんは「大人の辛さのバターチキン」と「野菜と鶏肉のキーマカレー」、お母さんは「ごろごろ野菜のカレー」と「海老とチーズのカレー」を選んでいた。
日本で過ごしていた学生時代からのお気に入りの味なんだろうけど、どれも見るからに茶色くて私の中の「カレー」のイメージとはかけ離れていたんだよね。
「須磨子、好きなのを選んでいいのよ?」
お母さんにそう呼びかけられ、私は壁に並んだパッケージにサッと目を通したの。
すると一際鮮やかな蛍光黄色をした「タイ式イエローカレー」のパッケージに目が釘付けになったんだ。
これなら、私がいつも食べているカレーと色が近いからね。
「私、これにする!」
そうして私が「タイ式イエローカレー」を選ぶと、両親は特に何も言わず少し微笑んでから会計を済ませたんだ。
そうして帰宅した私達親子は、揃って昼食の時間と相成ったんだ。
父と母がそれぞれの選んだ「無印逸品」のカレーを温め、ご飯の上に盛っていく。
炊きたての白いご飯の上に、見るからに濃厚そうな茶色のルーが流れていくよ。
私達が普段食べている台湾式のカレーとは、やっぱり随分と違うんだね。
その隣で、私も自分の選んだ「タイ式イエローカレー」を湯煎で温めたんだ。
皿に盛られたそれは家で食べている台湾式のカレーと同じ鮮やかな蛍光黄色をしていて、親近感と安心感に満ちていたの。
「うん、美味しいわね、このキーマカレー。日本の下宿で食べたのと味がするわ。」
そう呟くお母さんは、とっても満足そうだったの。
「このバターチキンも最高だよ。お家デートで食べた時の懐かしさがこみ上げてくるね。」
そう言うお父さんも、顔いっぱいに笑顔を浮かべている。
「さて…それでは日本のライフスタイルショップの企業努力の御手並み拝見といきますか…」
私も自分のイエローカレーをスプーンで掬い、一口食べてみたの。
ココナッツミルクのまろやかさとスパイスの複雑な香りが口の中に広がり、確かに美味しかったよ。
だけど両親が美味しそうに食べている茶色いカレーを見ていると、「せっかくだから、そっちにすれば良かったかな?」と、少し後悔の念が芽生えてしまったんだ。
確かに蛍光黄色のカレーは美味しいけれど、それはいつも食べている「カレー」の延長線上にある味だからね。
両親が味わっている「懐かしさ」や「日本の味」とは、また違う種類の感動なのだろうな。
そうして休日の明けた月曜日の昼休み。
昼食を食べ終えて昼寝の準備を整えた私は、クラスメイトの王珠竜ちゃんから耳寄りな情報を聞いたんだ。
「ねえ、菊池さん、知ってる?最近、夜市に新しいお店が出店したんだけど、そこでは本格的な日式咖哩を売ってるんだって!」
日本法人で駐在員をした事のあるお父さんと日本の堺県立大学に留学している五歳年上のお姉さんの薫陶もあってか、珠竜ちゃんは日本文化に対する知識と情熱は誰より秀でていて、学年屈指の哈日族と噂されているんだ。
選択授業で履修している日本語なんか、「多少の訛りに目を瞑ればネイティブと殆ど変わらない」って先生に評価されている位だもの。
「日式咖哩?」
そう私が聞き返すと、珠竜ちゃんは大きく頷いたんだ。
「そう!話によると、日本の家庭で作るカレーに味が似てるんだとか。茶色くてトロッとしてて、具材も日本のものに近いらしいよ!」
そんな珠竜ちゃんに相槌を打つ私の脳裏では、「無印逸品」で両親が美味しそうに食べていた茶色いカレーの姿が鮮明に蘇ったの。
あの時、ちょっとだけ気になっていた「日本のカレー」が、こんな身近な夜市で食べられるなんてね。
「それって…放課後、食べに行ってみない?」
私が身を乗り出すと、珠竜ちゃんも目を輝かせたの。
「もちろん!私もずっと気になってたんだ!」
「じゃあ今日の放課後、昇降口で待ち合わせだね!」
夜市の賑やかな喧騒の中で、初めての「日式咖哩」を食べる自分を想像すると、否応なしに胸が高鳴ったの。
もしかしたら、そこで私も両親が感じたような「懐かしさ」とは違う、けれど新しい「日本の味」に出会えるのかもしれないね。
台湾で生まれ育った私にとっての「カレー」の常識が、少しずつだけど変わり始めている。
それをひしひしと感じていたんだ。
この分だと、今日の昼寝はカレーの夢を見てしまうだろうね。