探偵少女は甘えたい!
雪永咲希菜は名探偵だ。
名探偵といっても、彼女には著しい探偵業の実績があるわけじゃない。
数々の難事件を解決してきたわけでも、警察に捜査協力をたびたび依頼されるわけでもない。
ただ自分でそう名乗っているだけだ。
彼女が言うには、名探偵という言葉に明確な定義はないのだから、自称することに何の問題もないらしい。
それが僕らの所属する探偵部唯一の探偵兼部長、雪永咲希菜の持論である。
僕が彼女と初めて出会ったのは、高校入学直後の春先だった。
中学を卒業して、新たな生活が始まる時期。
新生活に期待を膨らませる同級生も多い中で、僕はどこか冷めた気持ちでいた。
熱い青春なんて、僕の望むところじゃない。
僕が欲しいのは、気怠げな青春なのだ。
彼女の誘いに乗ったのも、そんな理由からだった。
「やあ! そこの君! 私と一緒に探偵業をしないか?」
奇妙な格好をした女子生徒が、手作りのビラを手渡してきた。
「探偵部、部員募集中」とある。
どうやら部活の勧誘らしい。
あたりを見渡せば、野球部やサッカー部が賑やかに勧誘をしている。
一方で、彼女はたった一人だ。
そもそも、探偵部なんて聞いたこともない。
「あの、これは何をする部活なんですか?」
「依頼を受けて、事件を解決する部活だ」
予想通りだったが、疑問は残る。
「依頼を持ってくる人がいるんですか?」
「案外いるぞ。去年もたくさんの事件を解決したなあ」
「具体的には?」
「ペットの猫を逃してしまったから探してくれ、とかだな」
「殺人事件を解決したりするんじゃないんですね」
「殺人事件なんてそう簡単に起きるはずないだろう。第一、それは警察の仕事だ」
もっともな言い分だ。しかし、どうしようか。
そう大変そうな部活ではない。
「他に部員はいるんですか?」
「今のところは、私1人だな。君が入ってくれれば2人になる」
渋った態度を見せていると、彼女は懇願モードに入った。
「なぁ頼むよ。入ってくれよ。人手が欲しいんだよぉ」
そう言われてしまうと弱い。
それにほかに入りたい部活があるわけでもない。
僕はこの部活に入ってみることにした。
「わかりました。入部しますよ」
「本当か!」
彼女はぱあっと顔を輝かせる。
「じゃあこれにサインして。部室の場所はビラに書いてあるから、今日の放課後そこに来てくれ」
そう言い残し、彼女は他の部員を勧誘しにいってしまった。
放課後、言われた通りの場所に行く。
結局、新入部員は僕だけだったようだ。
部長はしょんぼりした様子で、ソファに座っている。
まぁ仕方ないだろう。
みんなスポーツや文化的活動がしたいのだ。
こんな珍妙な部活に入る物好きは、そう多くはいまい。
彼女も同じことを思ったのか、すぐに元気を取り戻し、僕に話しかけてきた。
「入部感謝するぞ、助手くん。私が部長の雪永咲希菜だ。君の名前は?」
「杉浦慶です。あの、その助手くんというのは?」
「君はこれから私の助手になるんだ。活躍に期待しているぞ」
「僕も探偵になるのかと思ってました」
「探偵は私だ。これは譲れない」
探偵がやりたいわけでもないので、反論はしなかった。
「わかりました。よろしくお願いします、部長」
「うむ、よろしい。ではさっそく、この部活で何をするのかを教えよう」
促されて、正面のソファに座る。
ふかふかだ。こんなものが学校にあるのは不思議だ。
「そっちが依頼人用のソファだ。こっちが私たち用」
疑問を感じ取ったのか、丁寧に教えてくれた。
「ここで依頼を受けて、それを解決する。それが私たちのメインの活動だ」
「ここが僕たちの探偵事務所ってことですか?」
「そのとおり。とはいえ依頼が来るのは2週間に1度くらいだ。だから、依頼がない時期は訓練をする」
そう言うと彼女は鞄から本を取り出した。
ポーの『モルグ街の殺人』だ。
「君の最初の仕事は、この本を読んで私に感想を伝えることだ」
「世界で最初の推理小説でしたっけ?なんでまたそんなことを」
「探偵を学ぶには、推理小説を読むのが一番手っ取り早いからな」
それもそうだと思っていると、彼女は戸棚を開けた。中にはボードゲームがたくさん入っている。
「君が入ってくれたから、これもできるな。卓上遊戯は頭を鍛える上で最適だ」
それはあなたがやりたいだけなんじゃないかと思ったが、つっこまないことにする。
「将棋は指せるか?」
「駒の動かし方くらいならわかります」
「充分だ。一局やろう」
さっきは謙遜したが、実は将棋は祖父と練習しまくって大得意なのだ。
先輩には悪いが、ボコボコにして僕の実力を見せてやろう。
……そう思っていたのだが、結果は僕がボコボコにされてしまった。大敗も大敗だ。
「なんだ、案外指せるじゃないか。なかなか優秀だな」
「先輩強すぎますよ!なんなんですか!」
「初心者をコテンパンにするのが、1番楽しいからな」
なんて性格の悪い人なんだ。先が思いやられる。
「こんなふうに私の遊びにも付き合ってもらうぞ。これも助手の仕事だ」
やっぱり、あなたがやりたいだけじゃないですか。
僕たちの活動はこんなふうにして始まった。
放課後は集まってボードゲームをしたり、推理小説について議論したりする。
ほとんどそれだけで終わるのかと思っていたが、案外依頼人は来るので驚いた。
去年の活動実績があるというのは本当らしい。
とはいえ、依頼のほとんどは落とし物探しや雑用に近いものだった。
中には「宿題をやってくれ」というものさえあったが、流石に部長も断っていた。
どうやら僕たちは、何でも屋のように思われているらしい。
そんな状況を部長は快く思っていないようだ。
「どうして誰も謎の解決を依頼しに来ないんだ!」
とぷりぷり怒っていた。
そんなたわいもない日常が続き、やがて春が終わった。
本格的に夏が始まる前のある日のこと。
僕はいつものように部室で部長とゲームをしていた。
「そういえば、今日通学路で捨て猫を見ましたよ。15」
「ペットを捨てるとは、責任感のない飼い主だな。18」
「かなり衰弱しているようで、可哀想でした。21」
「残念ながら、そういうことをする飼い主はいるんだ。コヨーテ、20! 私の勝ちだ」
「……やっぱり2人でコヨーテやったって、面白くも何ともないですよ」
「じゃあ2人カタンにするか?」
「あれはもっとクソゲーですよ。将棋やりましょうよ。今日こそ勝ちますから」
将棋盤を引っ張り出し、駒を並べる。
その間、ふと思ったことを部長に告げた。
「この街の人たちって動物の扱いが杜撰じゃないですか?すぐ逃しちゃうし」
「この前の人は気の毒だったな」
「この前の人」というのは、先日脱走した飼い猫を探して欲しいと依頼してきた人のことだ。
その猫は町はずれで亡くなった状態で見つかった。
車に轢かれたようだった。あれは嫌な事件だった。
僕が駒を並べている間、部長はぼんやりとソファにもたれていた。
最近は依頼もなく、気が抜けているのだろう。
そんなとき、突然部室のドアがノックされ、オドオドした様子の女子生徒が顔を覗かせた。
「すみません、今私たちの部室で不思議なことが起こっていて、謎を解いて欲しいんですけど……」
その一言で、部長の目に輝きが戻った。
女子生徒の方につかつかと歩みよって、にこやかに告げる。
「ぜひお任せください。詳しいお話を聞きたいのですが、少々お待ちくださいねー」
そう言って女子生徒を一度廊下に出し、部屋のドアを閉める。
そして突然振り返り、くわっとした表情で叫んだ。
「助手くん! ボードゲームを全部片付けて! お茶も用意するんだ! 早く!」
「わかりました!」
慌ただしく将棋版やらボードゲームやらを戸棚にしまいこむ。
謎を持ちこんでくれたお客さんだ。部長は丁重に扱いたいらしい。
「部長は何してるんですか!」
「正装に着替えるんだよ!探偵の威厳が必要だからな!」
見れば、彼女はインバネスコートを着ている。
僕が勧誘された日にも来ていた服だ。
暑苦しそうだし、別に探偵の正装というわけでもないと思うが、こだわりがあるらしい。
手早く紅茶を淹れて、部長に声をかける。
「OKです!」
「よしわかった!」
部長は丁重女子生徒を迎え入れた。
「さあ、どうぞ」
おずおずと彼女はソファに座った。
向かいのソファには部長が座ったので、僕の座る場所がない。
仕方なく、部長の後ろに立って控えることにする。
「初めまして。私がこの学校の名探偵、雪永咲希菜です。こっちが助手の杉浦くん」
紹介されたので、ぺこりとお辞儀をする。
彼女も礼儀正しく頭を下げた。
「仁礼希美と言います。調理部で副部長をしています。それで、以来の件なんですけど……」
彼女はすぐ本題を切り出した。
その内容は、だいたい次のようなものだった。
仁礼さんが部活の準備のために調理室に入ったとき、まず目に飛び込んできたのは机の上に置かれたまな板だった。
しまってあるはずのそれが、なぜか出しっぱなしになっている。
そして、その上には――
「輪切りにされた人参が7本、綺麗に整列していたんです。それに包丁も置いてありました」
1時間前に確認したときには、そんなものは無かったという。
人参は調理部のものであることが確認されたが、誰がこんなことをしたのか、部員の誰にも心当たりがないという話だった。
「だから、誰が何のためにこんなことをしたのか突き止めて欲しいんです」
話を聞いた部長は喜色満面の笑みを浮かべた。
依頼人に向かい、意気揚々と尋ねる。
「現場を見たいのですが、その人参がまだありますか?」
「ついさっきの話ですから。そのまま残ってますよ」
それを聞くと部長は元気よく立ち上がった。
僕の方を振り返り、勢いよく言う。
「よし、行くぞ杉浦くん!」
こんなに生き生きとした部長を見るのは初めてだった。
現場に到着すると、問題のものの所在はすぐにわかった。
まな板の上には、話に聞いていた通りの輪切りにされた人参が7本、綺麗に並んでいる。
部長は仁礼さんに尋ねた。
「この部屋にある人参は、これで全部なんですか?」
「はい。記録をとってますから、間違いありません」
調理部は保有していた人参の全てを輪切りにされてしまったらしい。
妙なイタズラをする人物もいたものだ。
だが、この行為に何の意味があるのだろう?
部長も同じことを思ったのか、仁礼さんにさらに尋ねた。
「イタズラだとして、これをされて何か困りましたか?」
「別に困りはしてません。不気味だなとは思いますけれど……」
確かに、これはイタズラだとしても中途半端だ。
彼女たちを困らせることが目的なら、もっと他にやりようがあったはずだ。
僕は改めて人参を観察し、不思議な点に気がついた。
「この人参、ヘタがありませんね」
「切って捨てたんだろう。そこにゴミ箱がある」
「他の部分はいじってないのに、どうしてヘタだけ捨てたんでしょうね?」
部長は何か考えているようだったが、突然何かに気づいたらしい。
急にゴミ箱に駆け寄り、中を漁り始めた。
「ちょっと、何してるんですか!」
「私の考えが正しければ、ヘタはかなり重要だ! 全部取り出すぞ!」
そう言って部長はゴミ箱を漁り、捨てられたヘタを全て回収した。
ヘタを手の中に握りながら、こちらに戻ってくる。
「私の考えは正しかったみたいだ。これを見てみろ」
手を開くと、そこにあったのはヘタが6個だけだった。
部長は笑みを浮かべながら言う。
「ゴミ箱の中を隅々まで探したが、ヘタは6つしか無かった。これが意味していることは一つしかない」
そう言うと、事態を飲み込めていない僕と仁礼さんに向かって説明を始めた。
「つまり、まな板の上には人参が7本あるように見えるが、実際には6本しかないんだ。
6本の人参でも、上手く輪切りにして並び替えれば7本あるかのように見せかけられる。
ただ、ヘタの部分だけはどうしようもないから、捨てるしかなかったんだな」
この説明を聞いて、僕はチョコレートを無限に増やすマジックを思い出した。
部長の説明は続く。
「つまり、これは『人参を輪切りにした』という事件ではなくて、『人参を1本盗んだ』という事件なんだ」
調理部の記録に残っていた人参の本数は7本。しかし、現場には6本分しかない。
誰かが1本を盗み、その犯行が露見しないよう細工をしたのだ。
仁礼さんは感心した様子で頷いていた。
部長がさらに話を続ける。
「『何のために』の部分はこれで解決だ。『誰がやったのか』については、すぐには分からないが……」
「いえ、充分です。とてもスッキリしました、ありがとうございます」
盗んだ人参は返して欲しいですけど、そう言って彼女は満足そうにはにかんでいた。
僕たちは仁礼さんに別れを告げ、調理室を後にした。
廊下を歩きながら、僕は気になっていたことを部長に尋ねた。
「部長は、誰がやったのかまで突き止めるつもりなんですか?」
「当然だろう。私たちはそこまで依頼されている」
それは至難の技に思える。
「犯行可能だったのは、この学園のほぼ全ての生徒です。どうやって探すつもりですか?」
僕の問いに答えないまま、部長はくるりと振り返り、逆に僕に問いを投げかけた。
「犯人はどうしてこんなことをしたと思う?」
動機については僕も気になっていた。
少し考えて、思いついたことを口にする。
「今すぐに人参が欲しい理由があったからだと思います」
「そうだな、私もそう思う。では、その理由とは何だ?」
そう問われると返答に窮してしまう。
僕の人生で、今すぐ人参が欲しいという状態になったことは一度もない。
強いていえば……
「お腹が空いていた、とか」
「100パーセントないとは言えない。だがふつうの人間がそんな理由で調理室から人参を1本だけ盗むか?」
同感だ。そんなことをする高校生がいるとは思えない。
「この犯人はかなり奇妙な行動をしている。スーパーに行けば手に入るものを、わざわざ盗んでいるし、隠蔽工作も杜撰だ」
僕もそう思う。みじん切りにでもしてしまえば、一本減ったことに気づかれなかったかもしれない。
もっとも、より不審に思われた可能性もあるが……
「しかし奇妙なところで律儀な性格だ。包丁はきちんと洗われていたしな」
そんなところまで気づいていなかったが、どうやら本当らしい。
僕は部長に尋ねる。
「部長は、誰がやったのかわかっているんですか?」
「誰がやったかは全くわからない。だが、なぜやったのかについては考えがある」
これを聞いて、僕は驚きを隠せなかった。
名探偵という肩書きが、急に本物じみて見えてくる。
「えっ、どういうことですか?」
「放課後になった瞬間に、人参が必要だというシチュエーションに心当たりがあるということだ」
部長は薄く微笑みながら付け加えた。
「これは君の手柄なんだぞ」
「僕の……?」
一層混乱する僕を見て、部長は頷きながら続けた。
「今通学路には衰弱した捨て猫がいるんだったな?そこに犯人がいる、多分な」
捨て猫がいた場所に到着すると、案の定、先客がいた。
その人物は猫にすり潰した人参を与えている。
あれは確か……
「うちのクラスの、御原さんです」
「彼女が調理室から人参を盗んだ犯人だ。一刻も早く、捨て猫に栄養を与えるために、な」
御原さんに話しかけ、部長の推理を話すと、彼女はひどく驚いた表情を見せた。
どうやら正解だったらしい。
「いけないことだとは思ってたんだけど、この子のことが可哀想で、ついやってしまいました……ごめんなさい」
彼女は謝罪したが、部長はむしろ謎を提供してくれたことに感謝しそうな勢いだった。
僕は目で部長を制し、御原さんに釘を刺す。
「とりあえず、調理部に謝った方がいいですね」
彼女は意気消沈した様子だったが、意を決した表情で話を切り出した。
「あの、この子のことをどうにかできませんか?私の家では飼えなくて……」
部長は尊大な態度で頷いた。
「里親探しですね?引き受けましょう。幸い、猫を飼いたがっている人に心当たりがあります」
部長は、以前僕たちに依頼してきた飼い猫を失った人物に連絡を取っているようだった。
「いやー、一件落着だな!杉浦くん」
「ええ。里親も見つかって、良かったですね」
捨て猫は新しい飼い主に引き取られ、御原さんも調理部に謝罪を済ませた。
これで今回の事件は完全に解決だ。
僕たちは部室に戻り、いつものように並んでソファに腰を下ろす。
手元には湯気をたてる紅茶。
時間解決後にこうして紅茶を飲むのが、僕たちの定番の習慣だった。
しかし、今日の部長はいつもと少し違っていた。
紅茶を一口飲むと、くるりと僕に向き直り、胸を張ってこう言い放った。
「さて、助手くん」
「何ですか部長」
「私を褒めたまえ。これも助手の仕事だ」
突然の要求に、思わず僕は言葉を詰まらせた。
確かに今回の部長は間違いなく活躍していた。
わずかな情報から犯人を探し当てたのは見事だったし、里親の手配も迅速だった。
褒めるべき点は多い。
しかし、こうして面と向かって褒めろと言われると、何を言えばいいのか分からなくなる。
気の利いた言葉が思い浮かばず、悩んだ末に僕は、行動で示すことにした。
部長の頭にそっと手を置き、そのまま撫でる。
「なでなでって……私は子供じゃないぞ」
「よしよし、偉いですよ部長〜」
「話を聞けよ」
膨れっ面の部長は一瞬抗議したが、すぐにそれを諦めたらしい。
肩の力を抜き、僕の肩にもたれかかってくる。
「まあ、気持ちの良いものだな。続けていいぞ」
言葉に甘えて撫で続けると、部長は目を閉じてリラックスし、口元にはほんのり笑みが浮かんでいる。
その姿は、いつもの凜とした雰囲気からは想像できないほど愛らしかった。
「部長は最高です。いずれ歴史に名を残しますよ」
冗談混じりにそう言うと、部長はくすぐったそうに体を少し捻らせた。
「ん〜、むず痒いぞ。助手くぅ〜ん」
いつもより親しげな声で僕を呼ぶ部長は、まるで懐いた猫のようだった。
えへへと笑いながら、部長が僕の方に体を寄せる。
その柔らかな仕草と、普段とのギャップに、僕は不思議な感覚にとらわれる。
この凛々しくも可愛らしい人が、同じ空間にいて、僕のそばにいるという事実が、妙に心地よく感じられる。
頭を撫でる手を止める事なく、僕は思う。
この穏やかで幸せな時間が、いつまでも続けばいいのに、と。