盗賊の死に場所
「いいかい、こいつはいざという時に使うんだ。あたしのところに、声を伝えることが出来る」
言いながら、ザフィーが手を伸ばした。ミレーナの胸元に、赤い石の付いたブローチを付ける。
「この石に話せば、あたしに声が聞こえる仕組みになってる。どんなに離れていようが、声は聞こえるから。話したい時は、まず石に強く息を吹きかける。そうすれば、石が光り出す。それが、話せるようになったという合図だよ。覚えたね?」
「うん、わかった」
「いいかい、おかしなことを考えるんじゃないよ。ヤバいと思ったら、さっさと投降しな。そうすれば、必ず助けに行くよ」
「わかってるって。あたしゃ、生きるために何でもするよ。絶対に生き延びるから」
答えた後、ミレーナはイバンカの方を見た。少女は、つらそうな顔で天井を向いている。地下の環境は、体によくない。このままでは、確実に悪化する。
「イバンカ、行ってくるからね。おとなしく待ってるんだよ」
そう言って、ミレーナは暗闇に消えて行った。
ザフィーらは、暗い地下通路を慎重に進んでいく。
途中、地下の住人とおぼしき者たちと遭遇した。彼らはザフィーらの姿を見るなり、すぐに逃げ出す。地下の住人にとって、一行は招かれざる客なのだろう。
もっとも、今は彼らに構っている場合ではない。無言のまま、ミレーナに教わった通りの道順で進んでいく。
やがて、道は行き止まりになる。壁には、鉄の梯子が付けられていた。上に昇るものだ。
一行は、梯子を伝い地上へと上がった。周囲は汚れが目立つ壁に囲まれており、嫌な匂いが漂っている。
ミレーナから聞いた話によれば、この区画は街の中でも最底辺の人間たちが住む場所らしい。いわゆる貧民街だ。あまりにも汚いため、衛兵も寄り付かないという。ここが地下に通じているとは、地下の住人以外は誰も知らないらしい。
ザフィーたちは、周りに気を配りながら進んでいく。と、目の前の道路を一台の馬車が進んでいく。鉄屑屋だろうか。かなり大きく、ボロボロの鍋や釜などが詰まれている。
見た瞬間、ブリンケンが動いた。すぐさま馬車の前に行き、御者台にいる男に声をかける。
「ちょっと待ってくれ。あんたに話がある」
「な、何だ?」
唖然とした様子の男に対し、ブリンケンは金貨の詰まった袋を見せる。
「悪いんだが、この馬車を売ってくれないか? ここに、金貨五十枚ある。これでどうだ?」
聞いた途端、男は目を丸くした。金貨五十枚といえば、馬車が軽く五台は買える額だ。
「えっ、いいのか?」
驚く男に、ブリンケンは半ば無理やり袋を押し付ける。
「ああ。だから、早いとこ譲ってくれ」
「わ、わかった!」
袋を受けとると、ホクホク顔で男は去っていった。カーロフはすぐさま馬車に乗り込み、積んであるものを片っ端から放り出す。
「さあ、これで大丈夫です。イバンカさんを乗せてください」
その言葉に、ジョニーは頷く。イバンカをひょいと抱き上げ、荷台に乗せた。
「さて、あとはミレーナ次第だね。あの子が、上手くやってくれることを祈るだけだよ」
ザフィーが、誰にともなく呟いた。
一方、ミレーナは暗闇の中を進んでいく。迷路のごとき地下通路ではあるが、今も地図は頭に入っている。迷うことはない。
順調に進んでいた、はずだった。しかし、ミレーナは足を止める。どこからか、足音が聞こえてくるのだ。それも、ひとりやふたりではない。確実に十人を超える。これは、地下の住人ではない。
思わず顔をしかめた。ついに、地下への捜索が始まったのだ。いつかは来るとは思っていたが、こんなに早いとは予想外だった。
しかも、足音はこちらに向かっている。何と運が悪いのだろう。ミレーナは、素早くその場を離れた。幸いにも、ザフィーらは既に地上に上がっているはずだ。
どうにか隠れるしかないが、隠れられる場所もない。この辺りは一本道だ。その一本道を進むしかない。ミレーナは、ワイヤーを天井に放ち引っ掛ける。直後、振り子の要領で一気に進む。
だが、背後から声が聞こえてきた。
「いたぞ!」
同時に、後方から矢が飛んできた。幸いに外れたものの、弾みでワイヤーが外れた。下に落ち、体を思い切り打ち付ける──
「クソ……」
思わず呻いた。全身を走る激痛で、体が動かない。だが、何とか必死で腕を上げる。もう一度、ワイヤーを発射しようとした。
だが遅かった。既に、周囲を衛兵に囲まれている。彼らはボウガンを構え、こちらを狙っていた──
「動くな! 動いたら撃つ!」
ひとりの衛兵が怒鳴る。暗がりのため顔はよく見えないが、宿屋に来た者たちとは違う。手足のない女ひとりが相手だというのに、警戒し距離を置いているのだ。
これは逃げられない。ならば……。
「ちょ、ちょっと待って!」
ミレーナは叫んだ。直後、額を床にこすりつける。
「抵抗はしないよ。お願いだから、命だけは助けて。他の奴らの居場所を教えるからさ」
「本当か?」
衛兵の声。ミレーナは卑屈な態度で、ペコペコ頭を下げつつ答える。
「ああ。命さえ助けてくれるなら何でもするよ」
その言葉に、ひとりの衛兵が近づいていく。
「ちゃんと案内すれば、命だけは助けてやる。ただし、下手な真似をするようなら命はないぞ。それも、ただでは死なせん。じっくり苦しめてから殺す。わかったな?」
「も、もちろんだよ。あたしゃ、何より自分の命が大切だからね」
ミレーナは、卑屈な態度で愛想笑いを浮かべた。
「こっちだよ」
言いながら、ミレーナは進んでいく。衛兵たちは、すっかり緩みきっていた。四つん這いのミレーナを見ながら、下卑た表情を浮かべている。さすがに隊長の前で露骨な態度はとらないものの、嘲笑の音も聞こえてくる。
不意に、ミレーナは立ち止まった。
「ちょっと待って。悪いけど、用足しさせてくれないかな」
「構わんぞ。そこでしろ。嫌ならするな」
隊長の態度はにべもない。ミレーナは歪んだ笑みを浮かべつつ、ペコペコ頭を下げる。
「わかった。ありがとう」
言いながら、壁の方を向く。直後、液体が落ちる音がした。
衛兵たちは、軽蔑の眼差しを向ける。
「人前で小便とは、どうしようもない女だな」
「いや、あれは女ではない。犬畜生と同じだ」
もはや隠す気も感じられない。衛兵たちは、聞こえるような大きな声で言っている。
そんな中、ミレーナはなおも液体を流し続ける。やがて、胸に付けたブローチに息を吹きかけた。
すると、石が赤く光る。ミレーナは、その石に語りかけた。
「姐御、聞いてるかい? 悪いけど先行ってて。今から、ド派手に爆発させるから」
(ちょっと! 何を言ってるんだい!? 何がどうなってるのか説明しな!)
ブローチから、ザフィーの声が聞こえてきた。ミレーナは、くすりと笑う。声が聞けて、本当によかった
その目から、一筋の涙がこぼれた──
「死に場所をくれて、ありがとう。他の連中に、よろしくね」
「おい! お前、ひとりで何をブツブツ言っている!」
ひとりの衛兵が喚き、こちらに近づいてくる。だが、遅かった。
次の瞬間、ミレーナの腕からワイヤーが放たれる。ワイヤーが高速で石を打ち、火花が散った。
火花は、彼女の撒いていた液体に引火する。そう、液体は尿ではなく油だったのだ。それも、火花で引火するタイプのものである。油は、一気に燃え上がった。
燃え上がる炎が、周囲を明るく照らす。衛兵たちが、驚愕の表情を浮かべているのがよく見えた。
同時に、地面に埋まっている岩が、一瞬にして真っ赤に変色する。
衛兵たちは、慌てて火を消そうとする。だが遅かった。岩は、凄まじい勢いで爆発する。その周囲にあったものは、瞬時に吹き飛ばされた──
爆発するまでの僅かな間、ミレーナは笑っていた。
最後の言葉が、その口から漏れる。
「ざまあみろ、バーカ」
・・・
気がつくと、手足が無かった。
腕利きの盗賊ミレーナ。彼女は単独行動を好み、他の者と手を組もうとはしなかった。誰かと組めば、確実に裏切るか裏切られるかという展開が待っている。
ある日、旅をしていた彼女は洞窟を見つけた。中には、古代人の残したものとおぼしき壁画がある。興味をそそられ、奥深くへと入っていく。
最深部にて、奇妙なデザインの宝箱を発見する。だが、罠も仕掛けられていた。
解除しようとした時、カチッという音が聞こえた。直後、何かが作動する機械音。しくじったことを知り、すぐさま逃げようとした。
だが、罠は既に作動している。爆発するタイプだ。とっさにその場から飛びのき、体を丸めようとする。爆発のダメージを最小限に抑える方法だ。
遅かった。その体勢を取る暇すら与えず、箱は爆発する──
覚えているのは、そこまでだった。
目を覚ました時、ミレーナは宿屋のベッドに寝かされていた。両手は肘のあたりから消えうせ、両足も膝のあたりからなくなっている。
ベッドの脇にいたザフィーが、ニッコリ微笑んだ。
「気がついたかい。命拾いしたね。あたしらが見つけるのが、もう少し遅かったら、今頃オークかなにかに食われてたよ」
「命拾い? 何言ってんの?」
直後、ミレーナは自らの両腕を突き出す──
「この体を見なよ! こんなの、死んでるのと一緒じゃないか! 助けても助けなくても一緒だよ!」
喚くミレーナの目から、涙がこぼれていた。
「そうかい。余計なお世話だったってわけか」
冷めた口調で、ザフィーは言葉を返す。だが、ミレーナはなおも語り続けた。
「あんたに情けがあるなら、殺してよ」
「はあ? 何を言ってんだい?」
聞き返すザフィーに、ミレーナは泣きながら訴える。
「こんな体じゃ、生きててもしかたないんだよ! さあ、殺してよ!」
喚いた途端、髪の毛を掴まれた。ザフィーの顔が近づいてくる。
「いいかい、よく聞きな。あんたを助けるために、かなりの金がかかってんだよ。その金を返してもらうまでは、絶対に死なせない。あんたの体で払ってもらうよ」
「こんな体で、どうやって払えって言うのさ。変態親父に、体でも売れって言うのかい」
ザフィーの剣幕に怯えながらも、どうにか言い返すミレーナ。
すると、ザフィーはニヤリと笑った。
「体売るのもいいが、もっと別のやり方もある。まずは、あんたの体を動けるようにしなきゃね」
動ける体? 戸惑うミレーナに向かい、ザフィーは語り続ける。
「こんなところじゃ、絶対に死なせないよ。あんたに相応しい死に場所を、あたしが与えてやるからさ」
それからのミレーナは、ザフィーの部下となる。
ザフィーが自らの魔力を注入し造りあげた魔具により、ミレーナは自由自在に動けるようになった。手からワイヤーを発射し、壁に引っかける。次にワイヤーを背中のザックに収納し、一気に上へと移動できる。手足があった時より、さらに動けるようになった。
ワイヤーを手足の代わりに使いこなし、戦うことも可能になった。
にもかかわらず、ほとんどの人間はミレーナから目を逸らした。手足のない彼女の姿を見て、嘲笑する者もいる。
なのに、あの子は違っていた。
(す、凄いのだ! 今の、どうやったのだ!?)
(こうやったら、糸がしゅるしゅるしゅるってなったのだ! カッコイイのだ! もう一度、やって欲しいのだ!)
初対面の少女から、あんなことを言われたのは初めてだった。
イバンカの目には、曇りがない。きらきら輝く瞳で、まっすぐ自分を見つめてくれる。他の人間の、憐れむような目つきとは違う。
あの澄んだ瞳が、本当に好きだった──
姐御。
助けてくれて……そして、死に場所をくれてありがとう。
イバンカ。
何があっても生きるんだ。その優しい瞳で、この世界を変えておくれ。
あんたなら、それが出来る。あたしは信じているよ。
・・・
突然、地面が揺れた──
いきなりの轟音、そして地鳴り。地面が揺れたかと思うと、石造りの地面が崩れていく。さらに地面が割れ、そこに建物が飲み込まれていった──
「隊長! どうなってんだよ!?」
喚くジョニーだったが、ザフィーはとっさに答えられない。ミレーナがやった、ということはわかっている。だが、彼女は今どこにいる?
それ以前に、生きているのか死んでいるのか、それすらわからない。
助けに行くべきか?
「どうするのです? 隊長が決めてください」
カーロフの落ち着いた声が聞こえた。しかし、ザフィーはまだ答えられない。
先ほど聞こえてきた言葉は……死に場所をくれてありがとう、だった。ならば、もう死んでいるのか。
いや、まだ生きているのかもしれない。生死を確かめるべきではないのか。
「何やってんだよ! 生きてるかもしれないなら、助けにいこうぜ!」
ジョニーが、なおも怒鳴った。その声に、ザフィーははっとなる。
そう、まだ死んだと決まったわけではない。生きているかもしれないのだ。
ならば、助けにいく──
その言葉が出かかった時、ザフィーの目に予想だにしなかったものが映る。
街の半分近くが、地盤沈下によりとんでもない状態になっていた。いくつかの建物は沈み、中の人々がどうにかはい上がっている。衛兵たちは、巻き込まれた市民の救助に当たっていた。
無事だった建物の住人たちは外に出て、唖然となりながら変わり果てた街を見つめている。
そんな野次馬をかき分け、こちらに進んで来る者がいた。カーロフにも負けないくらいの高い身長を、黒衣に包んでいる。がっちりとした体格と、短い金髪に白い肌が特徴的だ。青い瞳は、ザフィーらをじっと捉えている。
間違えようもない。最強の傭兵、ミッシング・リンクだ。よりによって、こんな時に出てくるとは──
「逃げるよ」
ザフィーは、ボソッと呟いた。
「お、おい、本気か?」
聞き返したのはブリンケンだった。すると、彼女は凄まじい形相になった。
「本気だよ! さっさと出さないか!」
怒鳴った瞬間、ジョニーが彼女の襟首を掴んだ。
「ちょっと待て! あんた、ミレーナを見捨てる気か!」
「あれを見ろ! あの化け物と、街中の衛兵の両方を相手にやり合う気かい!」
怒鳴り返すザフィー。彼女が指差した先は、とんでもない状況になっていた。リンクは、もはや自分の存在を隠す気はないらしい。邪魔な野次馬や衛兵たちを、次々とブン投げている。ゴミでも放るかのような勢いだ。
馬車までの距離は、あと少しだ。騒ぎに気づいた衛兵たちが取り囲んでいるが、簡単に蹴散らされている。焼け石に水ほどの効果もないだろう。
もはや猶予はない。今すぐ逃げなくてはならないのだ。幸いにも、リンクの起こした騒ぎにより、衛兵たちの目は完全に奴へと向けられている。
逃げるチャンスは、今しかない──
「聞こえないのかい! さっさと出しな!」
ザフィーの声と同時に、馬車は走り出した。野次馬や衛兵らが慌てて避けていく中、馬車は走る。一気に門を突っ切り、巨大な壁を抜ける。リンクと衛兵らが戦っている隙を突き、バーレンからの脱出に成功したのだ。
しかし、一行の表情は暗い。
マルクに続き、ミレーナをも失ってしまったのだから……。
馬車は、追っ手の目を逃れるため森に入った。獣道を、のろのろと進んでいく。
そんな中、眠り込んでいたイバンカの目が開いた。
「イバンカ、大丈夫か」
ジョニーが、そっと声をかける。すると、イバンカは口を開く。
「ミレーナは、帰ってきたのか?」




