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心象風景からの贈りもの  作者: 小川遥
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孤立感克服の詩

 人生、何が一番辛いって、『自分の居場所がなくなった時』ほど寂しくて辛い時はないと思う。


例えば社会、例えば会社、例えば学校、例えば仲間内、例えば家族・・・。


 それら「すべて」に自分の存在が孤立していることを感じた時に受ける焦燥感は、とても言葉では言い表せないものがある。それが「孤立」を超えて「疎外」にまで意識が向いてしまうと、もうそれはそれはどうしようもない位に悲しくなってしまう。


「私なんか、いたって、いなくたって、同じじゃないか!」

そんな風に感じてしまえば、極端な場合には自己否定にまで繋がってしまったり、屈折が進めば「自分の存在をアピールしたい」一心で人を危めたりしてしまうことだって起きかねない。


 今まで私の人生で、(たかだか数十年の人生の中で)、いや、たったそれだけの人生の中でも、似たような局面は正直何度か経験したことがある。最も強烈だった時は身内にも知人にもグループにもすべからくから疎外感を受けた。自分ではそう感じていたし、妙な確信もしてしまった。



「俺は天涯孤独さ!」みたいに言う(かっこつける?)人がいる。しかし、そんなことを言っている人の大半は、実は誰かに関与してたり、もしくは関与されていたりする。つまり、本来的には「天涯孤独」なんかではない場合が多い。そういう状況にあることに気がつかないで、天涯孤独を語っているとしたら、とんでもない『甘ちゃん』である。

本当の孤独感に駆られたら、そんな台詞すら出やしないものだ。寂しさの極みというのは、体験してみないことには解らない。


 本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、なるほどそんな選択肢で自分に価値を模索するというのは必要な行為かもしれない。ただ、焦燥感に駆られているときはそれすらにも手が出ない。






くやしいよね。



そういうときって、ほんと悔しいよね。





クスリ?・・・いいえ、それは対処法であって解決の糸口には遠いかもしれません。

自虐行為?・・・いいえ、それも全くの誤りです。完璧な『負け』だ。

帰依?・・・ある意味認められるかもしれない。でも、それもひとつの「逃げ」かもしれません。




ただ、こんな方法があると思います。


「もう誰も信じられなくなった」と言う前に、

「自分を信じてみよう」と言うことで、魂が磨かれるのではないか?と。


魂を磨けば新しい力が生まれてくるんじゃないか?と。



私がどうしようもなく悲しく寂しくなった時、心のよりどころを失った時、頭の片隅にあったメモリからアクティブ・エリアに呼び出す言葉。


それは、『さて、もう一度自分を信じてみようじゃないか!』。


そして、そこから自問自答を展開する。







自分を信じられるのかい?


信じなくちゃいけないだろう?


自分の存在価値は無いかもしれないよ?


ほんと?


だって、どこからも、誰からも、孤立してないかい?


そうかもしれない・・・。


それで生きてる意味って一体何なんだい?


孤立は永遠なの?


今のままじゃ、永遠になるかも知れないね。


自分を変えたい。


出来ないのかな?


出来そうにないんだ。


違う違う、自分の信念が消えかかってしまっているだけだろ?


いいや、今までの信念が間違った信念だったんじゃないかと思えたりするんだ。


…ならばもう一度、自分を信じることから始めようか?


どうやって?


こういう時だからこそ、せめて自分位は信じてあげなくちゃいけないさ。

自分が一番大切だろ?


そう、その通り。


だから「もう一度、自分を信じてみよう」


でも、人はひとりでは生きてイケない。


そう、それもその通り。


「人を信じられない」ではひとりぼっち。


「人『も』信じてみよう」・・・嘘でもいいから。


人を信じるには、自分を信じる事が出来なければ到底できない。


だから先ずは「もう一度、自分を信じてみよう」。


自分を信じるには、信念が必要じゃないか。

どんな?


今のその弱っている魂の力を、強くすればいい。


魂の力が自分を活かしてくれている?


自分が生きているということは、そういうこと。


それが事実?


それを忘れている。


魂が光を取り戻すように?


信念とは、自分を思い出すことから生まれる。


難しいこと?


実に簡単な事。

忘れていた本来(の自分)を思い出すだけなのだから。


絶えず自分に言い聞かせてみよう。


いつか覚えた唱句を口ずさんでみよう。



私は力の結晶だ。


強い、強い、力の結晶だ。


何ものにも打ち克つ、力の結晶なのだ。


だから、何ものにも負けないのだ。


病にも、運命にも、


否、あらゆる全てに打ち克つ力なのだ。


強い、強い、力の結晶だ。



私は、この言葉に触れるたびに何かを感じる。

自身が凹んだ時などには、いつもこれを「口にして」自分に言い聞かせながら意識を煥発する。

不思議なことに、そこから自分を肯定する意識にチャンネルが変わる。というか、断定表現によるこのフレーズが、意識への埋め込みを働きかけてくれて、新しいもう一人の自分の存在を意識出来る気がしてくる。



挫けるまい。

正しいと思う事を 正しく生きれば間違いない。

揺らぐまい。

私は力の結晶なのだから。



そうやって、違う水を飲みに出かければ、違う価値観の世界が、案外近くに存在していたことに気がつける。


そして思う。


ああ、いけない。今まで飲んでいた水ではカラダが汚れちまうところだった、と。

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