その8 馬上の三人
カイ達三人の姿は今馬上にある。
昨夜、町を襲ったゴブリン相手に戦った彼らは町に残った馬を買い取り、馬で旅を続けることにしたのである。
目的地は霧の森。
大魔導士ヴォルティライネンに攫われた王女マーリアを救うための旅だ。
サーラとヘンリッキは先ほどからむっつりと黙ったまま馬を走らせている。
昨日はほとんど寝ていないのだ。若い彼らとはいえ当然疲労の色は濃い。
だが神経は高ぶって眠気は全く訪れない。
昨夜の戦闘のせいだ。
彼女達にとって昨夜は初めての実戦だった。
ーー昼間魔獣に襲われたが、あれを実戦と言って良いものかどうかは疑問だろう。
だがそれよりもサーラとヘンリッキに重くのしかかっているのは、出発前に訪れた乗合馬車の発着場の光景だった。
建物は完全に焼け落ちていた。
どうやら割と早い段階でゴブリンの火属性魔法の攻撃を受けたようだ。
中で眠っていた乗客は全員炭になっていた。
昨日まで一緒に旅をしてきた者達の変わり果てた姿に二人の心は酷く傷つけられた。
まるで荷物のように転がされる遺体の中にはあの少年と思わしき小さな姿もあった。
彼らはその場で人数分の馬を買い求めると、取るものも取りあえず逃げ出すように町を出たのであった。
「この辺りで休憩しよう。」
カイの提案で彼らは馬の足を止める。
力なく馬から降りたサーラとヘンリッキはぼんやりと立ち尽くす。
そんな二人を見てもカイは何もしない。
戦場で新兵がよくかかる症状だからだ。
自分で折り合いを付けなければいけない問題なのである。
「馬の汗を拭いてやったら少し食事を取ろう。今朝から何も食べていないからね。」
そう言いながらカイは馬の蹄鉄を確認している。あの時はあまり馬を選んでいる余裕が無かったのだ。
サーラとヘンリッキはカイに言われるがままのろのろと馬の世話を始めるのだった。
石を積んで作った簡易なかまどの上で鍋が煮立っている。
カイが作った干し肉と干し野菜スープだ。
いわゆる「野宿スープ」と呼ばれる旅の鉄板メニューである。
というか野宿をしながらの旅だと毎食ほぼコレになるのだ。普通の味覚を持つ者は流石にうんざりする。
カイが今回の旅に乗合馬車を選んだ理由の一つに、この料理を食べたくなかったというのがある。
それほど「野宿スープ」は旅慣れた者から嫌われているのである。
ちなみにこの鍋は馬を買った時に一緒に買った野外活動用品の中に入っていたものだ。
多くの旅人から「野宿鍋」と呼ばれて忌み嫌われている定番の鍋である。
「後でレベルの確認もしておいた方が良いかもね。昨夜は大分戦ったよね。」
顔を見合わせるサーラとヘンリッキ。
そういえば言われるまでそんなことも忘れていた。
この世界では戦闘を重ねることでレベルが上がる。
レベルが上がると「体力 耐久値 筋力 持久力 心肺能力 俊敏性 魔力 知力 精神力 判断力 記憶力 信仰心」の12種のパラメータがランダムに上がることがある。
ーーと、いわれているが、実は内部的にはどの数値も多かれ少なかれ上がっている。
その数値が閾値を超えた時にパラメータの表示が、FからE、CからB、のように変わるため、ランダムに上がると思われているのだ。
「あ! レベルが12に上がっているわ。」
何気ないサーラのひと言にカイが驚いて振り返る。
「凄いね、その歳で今までレベル11だったの?」
カイに感心されて満更でもない様子のサーラ。
「それほどでもないわ。」「いやいや、クラスでもレベル二桁はサーラだけだから。」
ちなみにヘンリッキもレベルが8に上がっていた。
「良かったじゃない、あとレベル二つであんたも二桁レベルよ。」
「う~ん、けど6から7に上がるのも結構時間がかかったしな~。」
ちなみに実践だと、それも魔族相手の実践だと、よりレベルは上がりやすい。
実はこれは魔族側にも言えることで、そのために魔族は人間を襲うのだ。
しかしこの事実を知る者はほとんどいない。
お腹に温かい食事が入ったことで少し元気が出たのかもしれない。
雑談に花を咲かせる二人をいつもの笑みを浮かべて見つめるカイだった。
結局この場所でカイ達は昼まで仮眠を取った。
起きた後はもう一食同じスープを作り、それを平らげた時点で彼らは再び元気を取り戻した。
「今日中に次の町までたどり着けなければ夜もこのスープだから。」
涼しい顔で非情な宣言をするカイに嫌な顔をするサーラとヘンリッキ。
「せめて豆とか芋とか目先を変えることってできないのかな?」
「バカね。豆は戻す時間が無いし、芋なんてどうやって持ち歩くのよ。」
そういうことである。馬車で旅をする商人であれば別だが、いくら馬に荷物を乗せる事ができると言ってもかさばる物は持ち歩けない。
どうしても携帯性の良い干し肉と干し野菜のスープになってしまうのである。
「でもさ、例えば最初からスープに浸しておいた野菜を干しておけばいいじゃない?」
ヘンリッキにとっては何気ないひと言だった。
だからぎょっとした表情のカイに見つめられて彼は大いに驚いた。
「詳しく。」
「・・・いや、詳しくって。まあいいや。いくつかのスープに浸しておいた野菜を干してから分けて持ち運ぶんだよ。」
一人がそういう野菜を2~3種類持ち歩けば、今回のような三人旅なら6~9種類の野菜になる。
後はお湯に戻せば食事の度に違う味のスープが楽しめるのではないか、というアイデアだ。
カイはまるで雷に打たれたような表情になる。
「ヘ・・・ヘンリッキ、君は天才か・・・」
「そこまで言うこと?!」
どれほどこの「野宿スープ」がキライなのか。
カイのリアクションにドン引きするヘンリッキ。
そんな少年二人を呆れた顔で眺めるサーラだった。
昼食を食べると再び彼らは馬上の人となった。
それからしばらく街道を進む三人。
ニャーン
「ん。」
「どうしたのカイ。」
不意にあらぬ一点を見つめるカイにサーラが尋ねる。
「何でもない。それよりここから街道を離れようか。」
カイの説明によると、街道を外れて真っすぐに進んだ方がわずかながら時間の節約になるらしい。
当然サーラは一も二もなく賛成する。
そんなサーラにヘンリッキも苦笑しながら同意する。
「分かった。僕に付いてきて。」
彼らを乗せた馬は順調に進んだ。
道すがらサーラは昨夜感じた不安を口にする。魔王がもう復活しているのではないかというものだ。
「そ・・・そんなことって。」
うろたえるヘンリッキだが、カイはサーラに事も無げに言う。
「それはないね。」
「どうしてそう言い切れるのよ? 昨夜のゴブリン達を見たでしょう?」
ゴブリンは魔王軍の雑兵だ。それが町を襲ったのだ。
魔王の復活と合わせて考えても何の不思議もない。
今朝見た犠牲者の姿を思い出し、胸の痛みを思い出すサーラとヘンリッキ。
「それなら君達は諦めて王都に帰る? 僕はそれでも別に構わないけど。元々僕一人で王女殿下を助けに行くつもりだったし。」
サーラもヘンリッキも、カイにそう言われれば黙り込むしかない。
それに悠々と馬に揺られているカイを見ていると、不思議なことに何だかカイの言うことが正しいんじゃないかと思えてくるのだ。
本当にカイって何者なの?
サーラにそんな疑問が浮かぶ。
だが、その答えを知ることは彼女の父に止められている。
ーー彼の協力を受けるつもりならばこれ以上は知ってはいけない。ーー
サーラはもう一度父の言葉を思い出すことで自分の心に蓋をするのだった。
カイの提案で街道をそれて道なき道を進むことになったカイ達一行。カイには目的地が分かっているのか彼は迷いなく馬を走らせる。
そうして彼らは夜になる前に村にたどり着いた。
街道からはずれているような小さな村だ。当然宿屋なんてものは無い。
カイの交渉で彼らは厩を借りて一泊することになった。
カイは普通に眠っていたが、サーラとヘンリッキは匂いと虫とに閉口した。
結局サーラ達は明け方近く、日が昇る前のわずかな時間しか眠ることが出来なかった。
二人はカイの提案に乗って街道を外れたことを後悔した。
夜中に何度家の人間に自分達が貴族だと打ち明けて家の中で眠らせてもらおうと思ったことか。
だがカイが言うにはこういう小さな村では家の中は家族が並んで寝れば足の踏み場もなくなるものなのだそうだ。
貴族が休むとなれば当然彼らは家から出なければならない。
家には小さな子供もいれば赤ん坊もいた。
彼女達のわがままで彼らを自分達の家から追い出すようなまねはできなかった。
翌日、サーラとヘンリッキは馬に乗ったまま仮眠を取る技術を会得した。
馬の背に揺られながら舟をこぐ二人にカイは感心した。
「二人とも凄いね、もうこの技術を覚えるなんて。これでどんな遠くまでの旅だって出来るよ。」
そんなふうに褒められてもちっとも嬉しくない二人だった。
こうして三人は日が沈む前には乗合馬車の最終目的地だった大きな町ーースオサーリの町へとたどり着くのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
薄暗い無骨な石造りの部屋の中。天井の高い大きな部屋だ。調度品の類は何も無い。
いや、一つだけ、ポツンと床に置かれた大きな箱。
だがこれを調度品と呼ぶのはムリがあるだろう。
それは石で出来た棺桶であった。
石棺の前には黒いゆったりとした法衣を纏う一人の老人が立っている。
胸元まで伸びた白髭、手には先端に鳥の羽根の意匠をあしらった銀の杖を持っている。
このどことなく不気味な老人が持つには似合わない小洒落た杖である。
老人の前には揃いのローブを目深にかぶった8人の男女。
こちらは老人ではないようだ。彼らは一様に老人の前に跪いている。
「エリベト様の結界を破った者達がいる。」
老人の声にローブの者達の間にざわめきが広がる。
「大教祖様、騎士団が王都から我々を追ってきたのでありましょうか?」
「否! 三人の少年少女達だ。そやつらは魔獣と魔人を退けたのみならず、巧みに結界の隙間を突いてこの砦に迫りつつある。」
相手がたった三人の少年達と聞かされて、ざわめきは驚愕の声へと変わる。
カッ!
老人ーー大教祖ヴォルティネリが杖を床につく音が響き、部屋はしんと静まり返った。
「魔王の使徒たる汝らよ、侵入者を砦に近付けるな。儀式の時は近い。魔王マースコラ様に栄光を!」
「「「「魔王マースコラ様に栄光を!」」」」
踵を返して部屋から立ち去るローブの8人。
「ん? どうした?」
部屋から薄暗い廊下に出た途端、一人の男が別の男に声を掛けた。
男はじっと廊下の先を見ている。
「いや・・・気のせいだ。誰かがこの部屋の様子を伺っていたような気がしたんだが。」
「警戒をすることは良し。大教祖様が執り行う魔王マースコラ様復活の儀式は明日の夜。それまでは我ら慎重に慎重を重ねようぞ。」
頷き合う8人。
彼らが廊下の先に消えた後、男が見ていた廊下の先、柱の陰からしみ出すように一人の青年が姿を現した。
8人もの目を欺くとは驚くべき隠形術である。
「騎士団の助けが来たのか? それにしては三人のガキだけってのが解せないが・・・。」
青年はしばらく考え込んでいたが、すぐに「ま、会えば分かるか。」と結論を出す。
その巧みな隠形術に似合わない軽い男のようである。
青年の姿は再び柱の陰に溶け込む。
こうして廊下には誰もいなくなった。
次回「スオサーリの町」